主人公、追手に見つかる 3-4
――自分にとって不都合な事実を前にして、酒を口にして押し黙る。
我ながら大人気ない反応だと思ってしまったけれど、酒が入っているからしてしまったことだと思いたいところではあった。
ただ、こちらから切ってしまった会話の流れを戻さなくてはいけないことはわかっていて。
……どうやって再開したらいいものかしら。
だけど、最初の言葉が浮かばなくて黙りこくってしまっていた。
そうやって落ちた沈黙を、彼はこちらのそんな心情を見透かしているかのように小さく笑った後で破ってみせた。
「ともあれ、あんたの事情は理解した。
面倒事に巻き込まれて災難だったな、とでも言うべきか」
会話が続くことはありがたかった。
でも、内容が気に食わないのであれば反発してしまうものである。
「……あなたはいちいち人の気を逆撫でないと気がすまない性質なの?」
「そんなつもりはないが、口が悪いのは生来かもしれんな」
「あまり良いものではないけど」
「この年になるとそうそう変わらんし、変えられんよ。今のところ不便はしてないしな。
――さて、話を戻そう。
あんたの事情は理解した。何が目的なのかもな。
しかし、それを俺の側でどう扱うかはまた別の話だ」
「そうでしょうね」
彼の言葉を、私は素直に肯定した。
私が語った理由は、嘘も本当も含めて全てこちらの事情によるものだ。
……これらを聞き入れてもらうことに利点があるのは私だけ。
彼にとっての利点があるとすれば、それは、国を敵に回さずに済むという点くらいのものだけれど。
彼がそこを利点として捉える可能性は非常に低かった。
……そもそも、彼はそんなものなんてどうでもいいと思っているはずだもの。
規模や権力は異なるものの、既に彼はギルドや互助会を敵に回していた。
一人で集団を相手取ることを選択できてしまっていた。
その選択が自棄になった結果なのか何なのか、それは私にはわからないが――そんな人間が、今更国と敵対することを恐れるわけがなかった。
……それに、彼はあの城から自分の意思で逃げ出したんだし。
この国の庇護に期待できないと、そう判断していたはずだった。
そんなものが今更自分に味方をしなくなる程度で、判断が動くはずもなかった。
……だったら何か言わないと。何か。でも、何かって何を!?
平静を装いつつ必死に頭を回す。
だけど、彼に提示できる材料が思いつかなかった。
焦る気持ちからか、酒を口にするペースが上がる。
――ああ、このお酒ホントに美味しい。止まらない。
「…………」
彼はそんなこちらの様子を若干呆れの混ざった視線で眺めていたが、溜息を一つ吐いて視線を外すと、こちらではないどこかを眺めながら口を開いた。
「現実逃避してるのかその酒が気に入っただけなのかはよくわからんが、話を進めるぞ?
あんたの要求は、簡潔にまとめれば書置きに関する疑問の解消と、俺の旅への同行の二点だな。
なぜそんなことをしたいのか――その本意はあえて確認しないが、ひとつはっきりさせておきたい。
それらを了承することで、俺にどんな利益がある?」
交渉に近いこの場で、本来なら言わなくてもいい言葉をわざわざ口にしたのはこちらへの助け舟のつもりなのだろうか。
……本当に、妙なところで人が良い。
ただ、彼のお陰で状況は単純になった。
――これで駆け引きをする必要はなくなった。
こちらが提示する条件を彼が気に入るかどうか、それだけの話になってしまったからだ。
大きく溜息を吐いてから目を瞑り、天井を仰ぎ見るように顎をあげる。そのままの状態で深呼吸を一度して覚悟を決めてから、彼をまっすぐ見て言った。
「私を自由に使っていい権利がもらえる。どう?」
私の言葉に、彼はこちらに向き直り、目を見開いて驚いていた。
そして、しばらくそのまま固まった後で、呆れを隠さない声音でこう言った。
「好きに解釈されたらやばい言葉だな、それは」
「そう取ってもらっても構わないわ。
私なんかでよければ相手になってあげるわよ?」
にやりと笑ってそう答えると、彼は降参と言わんばかりに両手をあげながら天井を仰いだ。
「これだから女ってのは怖いんだ。
……追ってきたのが男だったら、殴ってとんずらも出来たんだがなぁ」
彼はそう言って笑うと、私に視線を戻してこう続けた。
「さっきの言葉の意図をどう解釈するかはまた別な機会に話すとしよう。
……明日の昼、またここに来い」
「今日はしなくていいの?」
「酔ってんのか? それとも素がそれか?
――単純に、いきなり色々言われて俺にも考える時間が欲しいんだって話だよ。
急にあの書置きの意図を話せと言われても、きちんと説明できるかわからん」
「あなたが明日ちゃんとここに現れるって証拠はどこに?
今日のうちにあなたは逃げるかもしれないじゃない」
「そこは信用しとけよ。この話はそこからだ」
彼の言葉に、なるほど、と頷いた。
……彼は十分以上に譲歩してくれている。
これ以上は無理だ。
「……わかった。また明日、昼に、ここで落ち合いましょう」
彼の言葉にそう返してから、席を立つ。
「今日はもう帰るわ。
……送ってくれてもいいのよ?」
「送っていきたい気持ちもあるが、俺はまだ少し飲んでいくことにするよ。
あんたの一言で酔いが覚めちまったからな。飲み直すさ」
彼の不貞腐れたような物言いに、小さく笑ってから背を向けた。
「じゃあお先に。私が言うのもなんだけど、ほどほどにね」
「ホントだよどの口が言ってんだ。
――ただまぁ、帰り道ではよくよく気をつけることだ。
ご存知の通り、この街は比較的治安は良い方だろうが、あんたは酔ってるからなぁ」
そう思うなら送りなさいよ、と思わなくもなかったけれど。
……彼にはそこまでする義理もないからね。
忠告してくれるだけ優しいと、そう捉えておくことにして。
「忠告どうも。それじゃあ」
彼の気遣いに一言、礼を返して酒場を出た。
話をしている間に、陽は落ちて既に夜になっていた。
――酒で火照った体に冷たい夜気が身に染みる。
彼と話をした酒場から、私が取っている宿まではだいぶん距離があった。
受付の人間が起きている時間に戻れればいいけれど、とそんなことを考えながら進む足を速めた。
――酔っていた。急いでいた。油断していた。
言い訳はいくらでも思いつくけれど、それらをいくら思ったところで意味はない。
異変に気付いた時点で終わっていたのだから。
「……っ!?」
路地の暗がり、そこから突然迫ってきた人影に何かをかけられた。
頭からひっかぶったそれが何かの薬品だと気付いたのは、妙な匂いに意識が遠のいていくのを感じたからだった。
夜、暗がり、女一人――それらの単語が繋ぐ最悪の未来を頭の片隅で感じつつ、なんとか意識が落ちないようにと抵抗しようとしたけれど。
波が引くように意識が薄れていくのがわかって。
……これじゃあ忠告を受けた意味がないわねぇ。
そんな言葉が頭を過ぎった直後に意識が途切れたのだった。
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