主人公、襲撃される 2



 ――彼が振り下ろした斧は、倒れた男の頭の横に落ちていた。



 正気に戻って殺すことを躊躇ったように見えるが、実際のところがどうであるかは、外から見ているだけではわからなかった。


 ……他人の心情など、推し量ることしかできないからねぇ。


 そんなことを考えながら視線を注いでいるのは、目の前にある、ここではないどこかを映し出している道具だった。


 それは――遠見の術だとか千里眼だとか、まぁ表現は何でもいいのだが――遠くに在る見たいものを見るためのものだった。


 見る角度や見える範囲、明度などの調整が面倒くさく厄介ではあるけれど、快適な空間に居ながらにして外の様子を見ることができるという非常に都合がいいものである。


 とは言え、それも万全に、というわけにはいかなかった。


 今見えている風景は像が荒く見辛いし、全体的に暗くて輪郭もわかりにくいものだった。


 先ほどの彼の行動を判断しかねたのは、詳細が見えにくいためでもあったというわけだ。


 ……我ながら締まらないといったらないね。


 しかし、これでも色々と調整をしてみた結果なのだから、もうどうしようもなかった。以前使ったときにはもう少し鮮明に見えていたと思うのだが、


「やっぱり、久しく使っていなかった道具はなかなかうまく使えないな」 


 そう呟いて、思わず笑ってしまった。


 なにせ、誰かに興味を持つということ自体が久しくなかった出来事なのだ。

 笑いもこぼれるというものだった。


 ……以前これを使ったのは、さて何十年前か、あるいは何百年前か。


 もう思い出せなくなるくらいの遠い昔なのだから、そりゃあ使い方も忘れようというものだった。


 ここまでくると、普段であれば苦痛に感じる面倒や不便さも、好奇心などの新鮮な感情が上回って楽しく感じられるのだから不思議なものだ。


 そして、そんな感情が残っているという事実から、自身に人間味を感じることができたという意味でも驚きがあるのだけれど。それはさておき。


 そんな面倒を惜しまずに見ている相手は、既に打倒された賊たちではなく、それらを打ち倒した人物である一人の青年だった。


 少し鍛えているように見える以外は、特に特徴らしい特徴はない男だった。

 おそらく事情を知らない人間からすれば、なぜ興味を持つのか、わからないことだろうと強く思う。


 ただ、なぜ彼に興味を持ったのかと聞かれればその答えは単純だった。


 彼が異世界からやって来ただろう人間だから、である。


 彼が異世界の存在であると断言しないのは、彼がそうであると断定する材料が無いからだった。



 ――いやまぁ一応、異世界の存在は確認されているということになっているし、異世界の存在かどうかを見分ける術もあるんですよ?

 でもね、結局はそうであろうと思える材料が積み重なっている状態に過ぎないのであって、その気になれば誤認させることも容易かったりするわけで。

 結局、自身が行き来をしていないのであれば、存在を仮定し実在を確信しても、そこ止まり――



「…………」


 脱線しかけていた思考を、頭を振って中断した。


 ……いかんいかん、また悪癖が。


 つまり何が言いたいかと言えば、彼が異世界の存在だろうと判断する根拠はいくつかあるが、確固たる物証があるわけではないと、そういうことだった。


 状況証拠として最も大きいものは、やはり彼が国に保護されたという事実だろうか。


 記憶の限りでもそうはないほどの大きな反応と位置、そして国の動きが一致しており、かつその時期に城に運び込まれた外部の人間となれば、その可能性は非常に高いと判断できるものだった。


 ……彼が異世界からやって来たと思える理由があるのならば、興味を持たないはずがない。


 というか、興味がありすぎて居ても立っても居られなかったというのが正確だろう。


 わざわざ彼が居る街にまで出向き、直に接触する機会を作ろうとしたくらいなのだから、顧みるまでもない事実だった。


 具体的な計画をその場に着いてから考えたというのは、今考えるとどれだけ慌てていたんだと呆れてしまうけれど――同時に、なぜそうしてしまったのかという理由はよくわかっていた。


 ……ずっと求め続けていた、新しい刺激だから。


 今の世界は確かに平和からは程遠い。


 相変わらず治安は悪いし、賊による凶行は止まないし、戦争だってある。


 まぁ戦争といっても、人間同士で争うことは少なく――魔王という共通の脅威があるためだろうけども――最近は小競り合いのような小さな争いばかりだが。


 ……ただ、この状態でずっと安定しているのよね。


 長く生きていれば新しい刺激というのは少なくなってくるものだけれど、楽しく生きるためには、世界は変化に富んでいる方が面白い。


 しかし、安定してしまった世界に波を起こすには、外部からの刺激が必要だった。


 ……それが彼だ。


 彼がどういう人間であったとしても、どういう生き方を望んでいようとも、周囲が彼の存在を無視できないのであれば、変化は必ず起こることだろう。


 ……彼は必ず何かに巻き込まれることになる。


 いずれ、という点が残念なところではあるが、それは確実に起こることだろうと踏んでいた。


 なぜなら、彼はこの世界の人間とは根本的に異なる思考の持ち主だからだった。


 それはすなわち、着眼点や発想が異なるということであり、この世界の人間なら普通はやらないだろうことを、彼は行い得るということだからだった。


「だったら、彼を眺めていれば少なからず得るものはあるでしょう」


 ならば彼の動向を追わない理由はない。


 ――そして実際に、面白いことが起こっている。


 つい先ほど我を失うほどに激昂した彼が見せた一幕が、まさにそれだった。


 恐らく初めて行ったであろう殺人に対する彼の憤りは、まったく関係ないとわかっている自分でさえ、聞いていて底冷えするほど恐ろしいものであったし。


 その後で賊連中を壊滅させた際に垣間見えた彼の力は、実に興味深いものだった。


 ……一見しただけではその内容を想像するのさえ難しい。


 確実にわかることがあるとすれば、それは、敵対者からすれば非常に恐ろしいという、その威力だけだった。


 ――考えても考えても、自分の言葉では理解できない現象がある。


「……ふふ」


 その事実に、思わず笑みが漏れた。


 ……わからないことはもどかしいことだけど、考えることはそれ以上に楽しい。


 再び彼から視線を外して思考に耽る。


 あの現象はどういう能力であれば発生し得るのか、後ほど現場に行って資料を確保しなければならないな――などと考えていたところで、


「……?」


 ふと視線を感じて思索を中断した。


 ここには自分しか居ないはずなのに、いったいどこから――という疑問はすぐに解けた。



 ――目の前。



 ここではないどこかを映す風景の中に、一人だけ視線を向けうる相手が居ることに気づいたからだった。



 ――即座にそこから身を離し、距離を取ろうと動けたのは、長く生きてきた経験によるものだろう。



 次の瞬間には、遠見の道具を含めた一定距離内にある全ての物が破壊されていた。


 ……攻撃、じゃないわね。


 攻撃とはどれほど不恰好でも、破壊された際の形状は決まっているものだ。だからこそ類推も出来る。


 しかしこれは違った。

 どうすればこんな壊れ方をするのかという、そう思うことしか出来ない結果だけが目の前に残っていた。


 ……我を失っているはずの彼が、自分を観察している視線に気付いて力を向けてきたのか?


 しかも、


「……生かされたわね」


 自分の体を見て気付いたことだが、四肢を覆う服の一部が、目の前にある光景と同様の破壊を受けていた。


 こちらの行った回避は間に合っていなかった、というわけだ。


 ……だったら相手が誰か気付いてやめた、と取るのがこの場合は自然でしょう。


 感知した魔力から相手を識別する術を、彼はすでに持っているし。


 ……彼のひととなりからすると、そうなるのが自然だもの。


 彼は基本的に他人に興味を持たないが、それでも、顔や名前を知った上で長く交流を持った相手を無碍にできるほど冷血にはなれない人間だった。


 ……まぁ、我を失っているだろう状態で敵対者の識別を正しく行えるかについては疑問が残るけれど。


 少なくとも、相手が誰か完全にわかっていない状態であれば破壊を止める理由はないはずだった。


 もちろん、たまたまここまでしか力が届かなかった、と考えることもできたものの、もしそうであれば自分の体に被害がある方が自然であり――つまりその可能性は限りなく低いというわけだった。


 ……だったら、この推測は当たりなんでしょう。


 彼に魔術の類を教えたのは、彼がこの世界を自由に生きる術を持つことでより面白い何かが見られるのでは、と考えたからだったのだけど、


「何が身を助けるかはわからないものよねぇ」


 呟いてから、笑った。


 自分の命が失われていたかもしれない恐怖、そして助かったことに対する安堵。

 どちらも久々の感情で、得られたことがたまらなく嬉しかったからだった。


 ――しかも、だ。追加で気付けたことがある。


 彼の力について、その一端が理解できたのだ。


 ……これは単純な破壊じゃない。


 そこに気付けた理由は、破壊された自分の服が元の形状に戻らなかったことにあった。


 ……私は面倒を嫌う性分だ。


 だから、清潔さを維持し、綻びや破損を修復して元の状態を保つ程度の魔術は普段使いの物には施してあった。


 自分の服などその最たるものだが、それが破損の状態のままでいっこうに修復される気配がなかったのだ。


 試しに自ら修復用の魔術を使用してみたものの、それすらも効果がない。


 なぜ効果がないのか。

 それについては幾つかの理由が思い浮かぶものの、どれが正しいか、あるいは間違っているのかはわからなかった。


 結論を出すためには、調査が必要だった。


「……だったら、期せずして資料が手に入ったことを喜びましょうか」


 服とこの場は資料として確保しておくことにしようと、そう考えながら、足を動かす先は別な場所へと続く扉だった。


 流石にボロボロになった服を着続ける趣味はないし、調査をするにも様々な道具が必要となる。


 いつまでもここに居続ける意味はなかった。


 調べるためにはどんな道具が必要か。

 どんな検証や実験が必要か。


 考えるべきことは多くあり、また、準備するべきものも多くあることだろう。


 ただ、やるべきことがあるということそれ自体が嬉しく。

 それを行っていく過程が今からもう楽しみで。


 それだけ時間と頭を使わなければならないものが目の前に現れた事実が、楽しくてたまらなかった。


「……魔術を教えた見返りとしては、むしろ貰いすぎなくらいよね」


 そして、この楽しみがいつまで続くかはわからないが長く続けばいいと、そう思いつつ、扉をくぐって部屋を出た。


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