第4話

 マスターが丁寧に紅茶を淹れている間、バーテンはジュークボックスにコインを入れて曲をかけました。とかげの初めて聴く曲でした。


 男の人がゆったりとのびやかに歌っています。


「いい曲だなあ…。

 外国語だから、なんて歌っているのか、わからないけれど」


「『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』という曲ですよ。

 私はこの曲が大好きでしてね。

 それで、この店の名も『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』」


「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」

 

 とかげは繰り返しました。意味は解らなかったけれど、素敵な呪文のような響きに聞こえます。


「『私を月まで連れていって』という意味ですよ」


 バーテンが気を利かして説明してくれました。


「いい曲でしょう。曲名もいいでしょう。

 私はこの曲が好きでねえ…。

 自分の店を持ったらこの曲名を付けるんだって、早くから決めていたんですよ」


 この時、とかげは初めて自分のいる店の名前を知ったのでした。


 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン。《私を月まで連れていって》


 なんていい名でしょう。


 おいらも誰かにそんなことを言われてみたいなあ。

 そうしたら、どこへだってその人を連れていきたいと思うだろう。

 その人と一緒に飛んでいきたいと思うだろう。


 とかげはうっとりと考えました。


「私はこの名が自慢でね。

 紅茶の店からバーに変えるときも、名前だけはそのまま残したんですよ。

 それと、ジュークボックスも前の店のときからあったんです。

 まるで、こうなるのがわかっていたようでしょう?」


 マスターが言うと、


「本当に、いつかきっといいことがありそうな気になる名前ですよね」


 バーテンも同意しました。

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