第11話 旅立ち

 荷造りも完了し、ほとんどの荷物をシンが背負い、身軽なエルザは滝の前で両手を合わせた。唇から漏れる低く響く詠唱は、辺りの水を反応させて渦を巻く。一瞬、滝の流れが止まったように見え、次の瞬間水煙を上げて流れ落ちた。


「何をしたんです? 」

「水の守りをはったんだ。これで、私とおまえ意外の何人もここに侵入できない」

「はあ……」


 一見、滝の裏にある洞窟があるなんてわからないし、そこまでする意味があるのかわからないが、出れるけど入れない裏の出口の存在にしろ、エルザが何かに備えているらしいというのはわかった。

 エルザがそこまで警戒するモノに不安を感じないこともないが、聞いても答えてはくれないし、今すぐそこに迫っている……という緊迫感も感じられない。いつかは話してくれるのだろうか? と、シンは滝を見つめながら考える。


「本当に村に挨拶に行かないでいいのか? 」

「はい、お別れは昨日してきたし、改まって挨拶をすると、何か二度と会えないような気がしてしまうから。だから、いいんです」

「そうか」


 村に入らず、塀沿いを歩いて北の森に向かう。都は北の森を抜け、さらに数個村を経由して、さらに山や谷を越えて行かなければならない。

 シン達がいたのは、ザイール王国最果ての村だったのだ。つまり、田舎も田舎、ド田舎もいいところだ。だからこそ村人は素朴で人も良く、シン達あまり偏見をもたれずに受け入れられたのかもしれない。


「北の森を抜けると、おまえの故郷の村があるな」

「はあ……」


 はっきり言って記憶はほとんどないし、たぶん知り合いもすでにいないのではないだろうか? あれから三十年、母親の実家がまだあるかどうかもわからないし、あったとしても、母親の兄弟のその子供に代替わりしていることだろう。

 母親の顔だって思い出せないくらいだから、祖父母や母親の兄弟なんか覚えてる訳もなく、ましてや成長してオジサンオバサンになっている従兄弟など、他人も同然だ。


 それに、今だからわかるが、きっと母親は絶縁されていたと思う。かろうじて、夜休む家を与えられていた……というくらいで、獣人の子供を産み、なおかつ婚姻生活を持続させていた母親は、村の中では異質な存在として村八分にあっていたかもしれない。

 シンが両親と妹以外の記憶がないことが、その証ではないだろうか。


「あまり興味なさそうだな」

「そうですね。望郷の念にかられることはないようです。エルザは、帰りたい故郷はあるんですか? 」

「……」


 いつものことだが、エルザは自分のことを語ることはない。

 どこで生まれて、どんな半生を生きてきたのか、聞いても答えてはくれないとわかっていたが、やはり気になるので聞いてみた。


「エルザはお母さんの記憶はありますか? 僕は、匂いとか抱きついた感じは覚えているんですが、顔はもう朧気にしか覚えていないんです」

「ふむ、私もおまえの母は一瞬しか見ていないが、人間にしては整った顔をしていたな」

「エルザのお母さんも綺麗な人でしたか? 」

「さあな。母親は人間の姿をしていなかったから、綺麗かどうかはわからんな。艶やかな金色の鬣の美しい狼女だったがな」


 初めて聞くエルザの肉親の話しに、シンは目を丸くした。

 母親が狼女ということは、父親が妖精エルフだったということか。


「人化しなかったんですか? 」

「私を生んで、人の姿と声をなくしたらしいな」



 さらりと言うエルザだが、そんなこと聞いたこともなかった。

 しかし、妖精と獣人の婚姻自体聞いたこともなかったし、野合は存在するのかもしれないが、それにより子供が生まれるなんて、奇跡以外のなにものでもないだろう。その奇跡の代償なんだろうか?


「私が獣人でなければ、母に食われていたかもしれんな。何せ父親は家族というものに頓着しない、生粋の妖精エルフだったからな。子育てなどするタイプではなかった」


 エルザの年齢を考えると、母親はすでに他界しているのかもしれないが、長寿の妖精エルフならばまだどこかで生きているのではないだろうか?


「お父さんは……ご存命なんですよね? 」

「さて、殺されたとも聞かないが、すでに木と同化しているか、水に溶けているか、土に還っているか……。妖精は基本死ぬことはない。自然に還るだけだ。自然に還った妖精エルフを精霊と呼ぶ。それを死とは言わない。死ぬと言われるのは殺された時だけなんだよ」


 土を踏みしめながら、ここにお仲間が休んでいるかもしれないねと、エルザは遠慮なくドカドカ蹴る。


 それから、エルザの魔法談義が始まった。

 妖精エルフが魔法を使えるのは、自然に還った仲間の力を借りているからで、けして自分の力ではない。強い魔法を使うためには、強い力を持つ精霊と対等に会話をし、彼らの承認を得ることができれば、その力を借りることができるようになるのだ。

 詠唱とは、対話であり、決まった文言がある訳ではない。究極、頭の中でしっかりとイメージができ、対話が成立するならば、詠唱は必要ではないということだ。


「じゃあ、もしもですけど、僕が火の精霊と会話して、認めてもらえたら、その力を借りられる、魔法を使えるということですか?」


 自分にも魔法が使えるようになるかもしれない!

 それはエルザに育てられるようになってからのシンの夢でもあった。エルザの詠唱を聞き齧って、唱えてみたこともあった。当たり前のことながら、不発であったが。


 まるで子供のように目を輝かせて聞くシンを見て、エルザは馬鹿な子供を見るような憐れみの表情を浮かべる。


「精霊は妖精エルフよりも気分屋で扱いが難しい。また、プライドがえらく高い。たかだか獣人の言葉に耳を傾けると思うか? 」

「……思いません」


 シンはシュンとしてうつむいてしまう。

 憧れの魔法使いへの道程は遥か険しいらしい。


「まあ、私が精霊になったら、おまえと対話してやろう」

「えっ?! 」

「おまえの寿命がそれまでもてば……という条件付きだがな」

「それは無理だし、無理でいいです。魔法が使えるようになっても、エルザのいない世界では何の意味もないから」

「フン、私の存在などたいした意味はないさ。第一、妖精エルフは精霊になってからの方が力は放出され、本来の姿になるのだよ。私の姿が見えなくても、その力は無限になる。世の中の真理を見ることができるだろう」


 まるで精霊になることを望んでいるようなエルザの言葉に、シンは取り残された子供のような切なさを感じる。


 一緒にいたいと思うのは自分だけなんだ……。


「そろそろ、獣人達の部落がある筈だ。まあ、一応警戒しろよ」


 エルザは獣人の姿をしているが、シンは毛染めで黒髪になっている。昨日は赤い月が昇ったから、テンションが上がった獣人がいるかもしれない。 いきなり襲われることはないだろうが……。


 しばらく歩くと、エルザがピタリと足を止めた。


「どうしました」

『狙われてるぞ(エルフ語)』

「えっ? 」


 エルザは特に緊張した面持ちでもなく、さらっと言ったかと思うと、視線だけを右後方へ向けた。

 シンも荷物を置き、休憩するふりをしてさりげなく後方をチェックする。


 木の上に二人、茂みに一人、シン達よりも風下にいるから匂いがしなかったらしい。

 獣人なのか、盗賊なのかわからないが、確かに気配を消して潜む人影があった。殺気は感じなく、狙うというか観察されているようではあった。


『獣人でしょうか? (エルフ語)』

『さあ? 盗賊かもしれんぞ。最近は獣人を売買する輩もいるらしく、盗賊の小遣い稼ぎで獣人狩りをする一味もいるらしいからな(エルフ語)』


 確かに獣人は美形が多い為、観賞用としてももちろん、労働力としても需要があった。また、人数が少ないだけ希少価値もある。


 今、シン達を付け狙っているのがどちらかはわからないが、身の程知らずというか、この二人を狙ってしまった相手に、同情を禁じ得ない。


『どうする? 無視して襲ってくるのを待つか? それともこちらから行くか? 』


 エルザの目が怪しく輝く。

 好戦的なところは、ばっちり獣人の血を引いているからだろう。エルザは腰にさした短刀に軽く手を触れ、構えることなく一見無防備に見えるように立つ。しかし、全く隙がないのは、ある程度剣技を極めた人間ならわかっただろう。

 シンは、杖として持っていた木から削りだした木刀をいつでも振れるように持ち直した。


『やはり、待つのは性に合わない』


 エルザの姿がいきなり消えたように見えた。無反動で跳躍し、木の上に跳び乗ったのだ。重力を無視したその動きに、誰の視線もついていくことはできなかっただろう。

 それと同時にシンも素早く駆け出す。

 エルザが木の上の相手に向かったから、シンは茂みに飛び込んだ。木刀を振るおうとし、見たことのある顔にコンマ一ミリのところで寸止めした。


「たんま! 待った! 」


 茂みの中から転がるように出てきたサシャは、両手を上げて戦意がないことを示す。

 そう、見たことのある顔、それは獣人の娘サシャだった。

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