第7話 旅立ち準備
「シン! 旅に出るって聞いたけど、本当か?! 」
走ってきたのか、汗だくのカムイが顔を真っ赤にさせて肩で息をして目の前に飛び込んできた。頭に巻いた黒布を無造作にむしりとると、汗だくの顔をゴシゴシ拭いた。
「うん、とりあえず都へ行ってみようと思っています」
「都って……」
村に住むかぎり、よほどのことがないと村から出ることはない。生まれてから成長し、親の職業を継ぐか雇われるかして、村の中で結婚して老いていく。
たまに出来のいい次男や三男などが都へ出て行くことがないではないが、本当に稀なことだ。
「エルザさんも一緒って聞いたけど、村じゃ老人達が大騒ぎだよ」
「何でご老人が? 」
「だってほら、エルザさんの丸薬の効き目が抜群だからさ」
「そうか……、村には薬師はいないんですよね」
エルザが村にくる前はどうしていたかわからないが、この村には薬を調合する薬師がいない。
「渡りの薬師がたまにくるけど、エルザさんの程効く丸薬を調合できる薬師は見たことないし、渡りの人間は災厄も運ぶとして、あまり村には入れたくないって、長老様方は言ってる」
「同じ人間なのに……」
「エルザさんやシンみたいに、生まれが違う人間が村に認められる方が珍しいんだ。都はそんなこともないだろうけど、そこまで村があっても入れない可能性だってあるよ。昼はともかく、夜は特に」
「うん、それは心して行くよ」
カムイは、ドシンとシンの横に腰を下ろした。
「戻ってくるんだろ? 」
「そうだね……どうだろう? 」
数年単位の旅になるだろうし、数年後逞しく成人するだろうカムイ。しかし、きっとその時シンは今と変わらない姿の筈だ。
カムイの顔がクシャッと崩れ、プイッと横を向く。
「別にさ、行きたきゃ行けばいいさ。俺はずっとこの村にいるから、いつでも戻ってくればいいし、シンのことは絶対に忘れないから。サラだってミランダだってダンだってアイリーンだって……みんなおまえのことは忘れないさ」
一緒に森に入り、植林した面子だ。年が近いこともあり、シンも含め六人は仲が良かった。
森の中で獣に遭遇し、力をあわせて撃退したこともあった。
カムイは素早さで、ダンは力強さで、女性陣は知恵を駆使して一匹の獣を狩った。シン一人でも楽勝ではあったのだが、シンは目立たないようにさりげない援護をしたものだ。
長い年月を生きるシンにしたら、瞬きするくらいの短い時間だったが、別れるのが寂しいと感じるくらいには、この生活に馴染んでいた。
「そうだ、カムイ。これ、欲しかったんじゃないですか? 」
シンは出来あがっていた簪を懐から取り出した。カムイは真っ赤な顔になり、オタオタとする。
「バッカ! 誰がそんなもん……」
「いりませんか……、そうですか。てっきり欲しいのかと思って、カムイの為に作ったんですが」
「い……いらねぇとか言ってないし! まだ必要ないけど、シンが俺の為に作ったんなら貰ってやるし」
シンから簪を奪うようにひったくると、その細工の細かさに一瞬見とれる。
「なになに? なに貰ったの? 」
後ろからサラがひょこっと顔をだし、カムイが慌てて簪を懐にしまった。
「な……な……なんでもない! 」
「なんか感じ悪いなあ。まあ、別になんだっていいんだけどさ。シン、あんたに餞別持ってきたよ。ほら、干し肉。半年はもつからね」
「なんだよ、餞別って! シンはすぐに帰ってくるさ」
「そりゃそうでしょ。都を見てくるだけでしょ? 違うの? 」
「そうだけど、そうだけど、寂しいんだよー! 」
叫びながら走り出すカムイを呆れ顔で見ながら、サラは干し肉の包みをシンに手渡した。
「全く、カムイはいつまでたっても子供なんだから」
一番子供扱いされたくない相手に子供扱いされたカムイは、すでにその俊足で姿が見えなくなっていた。
「村のババ様の占いだと、赤い満月は今週中に上がりそうだって」
「そう、今週ですか」
シンミリとしたシンの背中をサラが叩いた。
色んな人に会ってみたいと、旅をすることに決めたのはシンだが、やはり出発のカウントダウンが始まると寂しさが募る。
赤い満月がいつ昇るかわからないが、おおよそであれば村の占いババの予言が当たる。が、本当に大まかな予言である為、あまりその予言は意味をなさない。
「ね、お土産は都で流行っているって噂の帯留めでいいから」
「帯留めですか? 」
サラが地面に絵を描いた。
「行商のおっちゃんが言ってたの。都の女性はみんな洋服に帯をまいているらしいの。その帯を留めるピンみたいなもの。こんな形してるらしいわ」
あまり上手とは思えないサラの絵だったが、シンはしっかりと頷いた。
「わかりました。もし帰りが遅くなるとしたら、行商のおっちゃんにでも託しましょう。お土産、必ず買いますから」
「ダメよ! 遅くなってもいいから、シンが必ず届けてちょうだい。無事にね」
なるほど、無事に帰ってこいということを言いたかったらしい。
それから、シンが仲良くなった村人達がひっきりなしに訪れ、シンに贈り物をしていった。
全てを持って旅に出ることは難しいかもしれないが、みな心を込めてくれた物だから、なるべく持って行こうと決意する。
仕事が終わり、それらの贈り物をかついで滝裏洞窟に戻ると、エルザが呆れ顔でシンを出迎えた。
「何だその荷物は? 」
「いや、もうすぐ旅立つだろうからって、村の人達がくれたんですよ」
「バカか? そんなに持っていける訳ないだろう。なぜ断らない」
「せっかく、僕達のために用意してくれたので……」
食料がほとんどだったが、寝袋や毛布、衣類に食器などもあった。
「衣服は最小限でいいし、食器はいらない! 寝袋はいいとして、この食料は一年分か? 確実に腐るぞ」
「でも、干し肉とかだから日持ちするし」
「私は荷物を持たんからな! おまえが持てるだけ荷造りしろよ」
「占いババが一週間のうちに赤い満月が昇るって占ったとか」
「二日後だ」
「え? 」
「明後日の夜だ。出発は三日後だな」
断定するエルザに、戸惑うような表情を浮かべる。
赤い満月は不吉。獣人が獣に変化し、人間の血肉を食らうから。人間達は赤い満月の夜、かなり早い時間から村の門をしっかりと閉め、家々も戸締まりもして、さらに各々の家の隠れ部屋に家族で固まって休む。
占いババが占った期間は、赤い満月が登ろうと昇るまいと、不便なその生活を強いられることになる。
まだ今回はマシだ。一週間の間だから。これが三週間の時もあれば、一ヶ月の時もある。そんなアバウトな占いでしかわからない筈が、エルザは明後日昇ると言い切ったのだ。
「なぜ明後日と? 」
「統計だ。私が今まで記録した物から、季節や気候、その他諸々の条件から算定して、明後日がいちばん確率が高いだけだ」
「それは予言? 」
「だから、統計と言っている。あんなババアの占いと一緒にするな」
ババア……って、年齢的にはエルザの方がかなり年上なのだが?
「三日後ですか……」
「そうだ! 面白いから今晩村へ行ってみないか? 」
「村ですか? でも、今日から夕方は門が閉まるから中に入れないんじゃ? 」
「ふん、あんな塀。乗り越えられないのか? おまえは」
「いえ、それは可能ですけど……可能ですね。それって、ヤバくないですか? 」
高い塀で村は囲われており、二ヶ所の門から出入り可能になっている。しかし、確かに人間には高い塀かもしれないが、獣人には? シンが登れそうだと言えてしまう高さということは、獣人にも可能な高さではないのだろうか? そのことに思い当たり、シンは思わず眉をひそめる。
「そうだな。普通ならな。だから、たまに獣人の襲撃を受ける村があるんだ。どんなに塀を高くしても、獣人の爪ならよじ登ることは容易い」
「じゃあ?! 」
一瞬、カムイが、サラが、獣人の牙にさらされている姿を想像し、いてもたってもいられなくなる。もうすでに顔も覚えていない母の、血だらけの背中と二人の姿が重なる。
「呪いが施されているんだよ。獣避けのな」
「何だ、脅かさないでくださいよ。心配しちゃったじゃないですか」
「まあ、完璧なものじゃないし、よほど優れた獣人には通じないがな」
「完璧なものにはできないんですか? エルザの……妖精の力で」
「できなくはない。でも、するつもりはない」
「何故? 」
「妖精は、自然の摂理を曲げることを嫌う。魔法など、自然の摂理そのものだから」
シンの顔が歪み、どうしても隠せない嫌悪感が表情に滲む。
「獣人が人間を食らうの自然の摂理……」
「物を食べないで生きられる生き物はいない」
「それはそうですけど……」
母親を父親に食われたシンとしては、自然の摂理として受け入れられるものではなかった。第一、本人達だって、決してそれを望まなかっただろうから。
「まあ、それはおいておいて、この村の呪術士はそれなりにやり手だから、私が手を貸すまでもない。心配はないだろう」
「それなり……ですか? 」
「うむ、まあ私に比べたら赤ん坊レベルだが、人間にしたらかなりやり手じゃないか? あのババアの占いはいまいちだがな」
呪術士の占いババアことサリアの皺だらけの顔が目に浮かぶ。
長老会の重鎮で、お飾りの村長などよりも村で幅を聞かせていた。ちょっと何を考えているのかわからない面もあるが、村で唯一エルザと対等に話す強者だ。
「ババア、ババアって、サリアさんが聞いたら怒りますよ」
「ババアをババアと言って何が悪い」
シレッと言うあなたはいくつですか? と聞きたくなったが、そんな怖いことはできない。
「サリアさんの呪術が塀に施されてるなら、ボク達だって塀は越えられないんじゃ? 」
「はあ? あんな呪術、私には○ンカス同然さ」
上品そうな絶世の美人の口から、聞きたい言葉ではなかった。
「第一、あれが効くのは、純粋な獣人さ。私らはちょっとチクッとする程度だよ」
「はあ……」
「誰もいない村、イタズラし放題じゃないか」
シンはため息をつき、ついていく決意を固める。四百歳も超えてイタズラ好きって、それこそ年齢を考えてくださいとつっこみたいところだ。
「行くだけにしてくださいよ。イタズラは禁止です」
「はいはい」
貰った干し肉を一かじりしながら、エルザは洞窟の奥へ消えていった。
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