第44話 入国


 エリーゼとアリスが乗る船は、すでにイタリ王国へ向けて出航していた。

 乗船した人々はすでに各自の部屋へ移動し、船尾にとどまっているのは2人だけだ。

 アダムとサラの姿はすでに見えない距離に来てしまっていたが、エリーゼはまだ2人が立っていた場所をじっと見つめ、乗船前のことを思い出していた——。



 乗船直前。


「——サラさん、いつかまたお会いしたいです」


 エリーゼは涙ぐみながらサラに言った。


「もちろんですわ。イタリ王国へ絶対に遊びに行きます。これからもずっと、あなたと親友ですから」


 サラはエリーゼに抱きつく。


「はい……、うっ……、ずっと親友です!」


 2人は涙を流しながら抱き合った。


 ——こんなに信頼できる友人は、もう見つからないかもしれない。別れたくないよ……。


 サラは名残惜しそうにエリーゼから体を離す。


「さあ、エリーゼさん。アダムと最後の言葉を交わしてください」


 サラは横にいたアダムを前に押し出す。


「エリーゼ、今度は必ず会えるから。心配せずに待ってて」


 アダムは泣きじゃくるエリーゼを強く抱きしめる。


「……うん、信じてる」


 ——大丈夫、これは別れじゃない。少し離れるだけだから。


 2人はこの国で最後のキスをした。




 エリーゼは強い風に吹かれて我にかえり、口角を無理やり上げる。

 悲しい旅立ちではない、と自分に言い聞かせて。

 そして、横で黙って付き添ってくれたアリスに顔を向ける。


「アリス、待たせてごめんね! もう、大丈夫だから」

「はい」


 アリスも無理に笑顔を浮かべる。


「アリス、本当に今まで苦労させてごめんね。これからはもっとワガママを言ってくれていいから。一緒に新しい生活を楽しもうね!」

「はい、姉さん!」


 2人は睡眠不足だったこともあり、夕食後はすぐに眠ってしまった。



***



 翌朝。

 イタリ王国首都『マーロ』。


 2人は港に下船し、乗っていた大きな船を見上げる。


「船には初めて乗ったけど、快適だったね」

「はい。揺れもなく、ぐっすり眠れました」

「新居までは馬車で1時間くらいかかるけど、先に向かう?」

「そうですね。港周辺の飲食店はまだ空いていないようですし」

 

 2人はすぐ側にある馬車乗り場へ移動し、新居へ向けて出発した。


 馬車が動き出してすぐ、アリスはストレージバッグの中をゴソゴソと探り始める。


「こんなこともあろうかと、軽食を用意しておきました」


 アリスはクラッカー、チーズ、数種類の果実をエリーゼに手渡す。


「さすがアリス! 本当に気がきくんだから〜。お腹すいてたんだー」


 アリスは頬を赤らめる。

 エリーゼはその反応に微笑んだ。


 ——可愛いから、もっとほめたくなるんだよな〜。


「水も渡しておきますね」

「ありがとう、助かる」


 お腹を満たした2人は、馬車の心地よい揺れで再び眠ってしまった。





「お客さん、着きましたー」


 御者が操縦席から声をかけてきた。


「あ、はい! 今降ります!」


 エリーゼは眠気まなこで馬車を降り、あたりを見回す。


「姉さん、ここが新居ですか?」

 

 アリスが後ろを向いて指を差していた。


「うん、これこれ」


 エリーゼは5階建の集合住宅を見上げる。

 古い町並みに合った煉瓦造りの建物だ。


「じゃあ、行こうか!」

「はい!」


 建物の入り口に着くと、エリーゼはその横にある管理窓口のベルを鳴らした。

 しばらくすると、窓口に老齢の男性が顔を出す。


「ご用ですか?」


 その男性は、優しい笑顔で迎えてくれた。


「おはようございます。今日からここの5階に住まわせて頂く、スコットです」

「あー、はいはい。身分証を見せてくれるかね?」

「はい」


 2人は指輪とネックレスを手渡す。

 受け取った男性は、背後の特殊な装置にそれらを置いた。


「照合が済んだから返すね。それで……これが鍵。そこの入り口も同じ鍵で開くよ。何か困ったことがあったら、管理人の僕か妻が対応するから、いつでも頼ってくれ」

「はい。これからよろしくお願いします」

「よろしくね。奥の浮遊装置で5階に上がれるから」

「ありがとうございます」


 2人は一礼して建物内へ入った。

 浮遊装置に乗り、5階へ。


「——実はあの管理人さん、元イタリ魔法大学院の教授だったらしいよ」

「そうなんですか?」

「ここは人気物件で入居希望者が何人かいたんだけど、アダムがその大学院の教員として働くことを伝えたら、すんなりアダムが選ばれたらしいよ」

「へー、幸運ですね!」

「本当に!」


 そんなことを話しているうちに、浮遊装置は5階で止まった。


「さて、お楽しみの我が家だよ〜」


 エリーゼは鍵を開け、扉を開く。


「アリス、すでに玄関から綺麗だね」

「はい!」


 2人は廊下を抜け、奥のリビングへ。


「広い! あかるーい!」

「本当ですね! 外観が古かったので少し心配しましたが」


 その後、2人は興奮しながらキッチン、2つのバスルーム付き寝室、物置部屋を次々に見ていった。

 どの部屋の内装も新築同様に改装済みで、2人は大満足だ。


「ここに決まってよかったー。やっぱり新生活を始めるなら、綺麗なところがいいよね〜」

「そうですね。……でも、お高いのでは?」


 アリスは不安の表情を浮かべる。


「大丈夫。魔法大学院の職員は、国から補助金がもらえるの」

「安心しましたー」

「大きな家具はもう揃ってるから、早速、生活用品の買い出しに行こうか?」

「はい!」


 2人は外に出て、商店街まで歩くことに。


「ここから徒歩で20分くらいだよね?」

「そうですね。あ、この少し先に人気のパン屋さんがあるみたいですよ?」


 アリスは端末の地図を確認しながら答えた。 


「本当に? じゃあ、今度、そこに行ってみないとね」

「はい。ちなみに、人気は『白味魚フライのサンドイッチ』だそうです」

「聞いただけでヨダレが……」

「それだけはやめてください!」

「はい……」


 アリスは次に、買い出しリストを端末で確認する。

 

「買う予定のものは、布団類、掃除道具、調理器具、食材、姉様の洋服類ですね」


 ——さすがアリス。私なんか、その場で思いついたものを買うつもりだったのに……。 


「アリスの魔法道具とか魔法書も買わないとね」

「はい!」





 商店街。


「——姉さん! こっちです!」


 アリスはエリーゼの腕をグイッと引っ張り、調理器具の店へ連れていく。


「どうしましょう。どれも素敵な形をしてます。姉さん、これなんてカーブが美しいですよ——」


 アリスは目を輝かせながら、まくし立てるように調理器具の魅力を伝える。


「そうだね……」


 料理下手なエリーゼにとって、全く同意できない内容だった。


「あー、どうしましょう……迷います。姉さんでも使いやすい方がいいですよね。『かなりの料理オンチ』でも使えるような……」


 ——今のは失言ですよね?


 エリーゼはショックで目を潤ませる。

 アリスは買い物に熱中し過ぎて、今の失言に気づいていないようだ。


 ——楽しそうだから、いっか。

 

 エリーゼはアリスを眺めながら微笑む。


 その後、他の店舗でもアリスは同じように興奮状態を維持し、エリーゼはそれについて回るだけになってしまった。





 新居。


 家に着く頃には、日が沈みかけていた。


「——歩き疲れたねー」

「はい。でも、とても楽しかったです! 生活用品を1から選ぶっていいですね〜」


 ——満喫してくれてよかった。


 こんなに楽しそうなアリスを見たのはいつぶりだろうか、とエリーゼはふと考える。

 

 ——もしかすると、初めてに近いかも。ジョーゼルカ家の不安が払拭できたからか

な……。これからは、もっと楽しんでもらわないと!


「もう夜になるから、食品と布団以外の荷ほどきは明日にしようか?」


 アリスは顔を横に振った。


「手伝ってもらわなくていいので、片付けは今日中に終わらせていいですか?」


 エリーゼは目を丸くする。


「なんで? 疲れてないの?」

「部屋を早くセッティングしたくて、したくて……。うずうずしてるんです!」

 

 ——変な禁断症状がでてるのかな……?


「アリスがしたいんだったら反対はしないよ。納得いくまでやってみたら?」

「はい!」


 やる気で満ちあふれたアリスの目は輝いていた。 

 

「じゃあ、私はご飯食べたら部屋で休むから。もし、助けが必要だったら声かけて」

「はい!」

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