第37話 横槍
ケリーとアダムはレストランを出て、無言で歩いていた。
魔植物園出口が見え、ケリーは目を少し潤ませる。
——数時間前はドキドキしてた場所なのに、今は……そこに行きたくない。時間、止まってほしいな。
「——僕はこっちの道だから……、ここで……」
ケリーは胸が苦しくなっていた。
「うん、今日はありがとう。……アダム、最後に聞いていい?」
「なに?」
「少しは私を信用してくれた? アダムはまだ私に壁を作っているみたいだから」
「……ごめん。こういうことは慣れてないから」
アダムは困った表情を浮かべる。
「また、会ってくれる? 私をもっと知ってほしいの」
——アダムと離れたくない。もっと一緒にいたい。触りたい……。抱きしめてほしい……。
言葉に出せないアダムへの思いがとめどなく溢れてきた。
そんなケリーは、アダムの顔を引き寄せる。
「ん……」
アダムは驚きで声を漏らす。
ケリーはアダムにキスをしていた。
——今は女だから許して。
「じゃあね! また連絡するから!」
アダムの反応を見るのが怖かったケリーは、すぐに背を向けて駆け出した。
*
エリーゼの家。
ケリーは寮へ帰らず、ここに泊まることにした。
今はケリーでもエリーゼでもなく、エバとしての時間を過ごしたかったからだ。
——私ったら、また我慢できずにアダムに……。どうしようもなくダメな女だな……。
ケリーは帰ったままの格好でベッドの上に横になり、体を丸めていた。
唇に指を当て、アダムの柔らかい唇の感触や香りを懐かしむ。
——またアダムに会いたい。あなたもそう思うでしょ?
ケリーは指輪の光——『息子の魂』に問いかけ、目を瞑った。
その後しばらくして、ケリーの意識が遠のく。
『ママ——』
アダムに似た5歳くらいの少年——息子がケリーの夢の中に現れた。
髪色はエバと同じ赤茶色だ。
「また会えて嬉しいな」
『僕も』
息子は、アダムと同じ柔らかな笑顔をケリーに向ける。
「パパには会えた?」
『まだ。呼びかけてもらってないから』
息子は寂しそうに視線を落とす。
「そっか。でも、すぐに会えると思うよ」
『本当に?』
「うん」
『やった』
息子は満面の笑みを浮かべる。
その笑顔はキラキラと輝いていて眩しく、アダムにも早くこの笑顔を見せたい、とケリーは願った。
***
翌日。
ケリーはエリーゼの家を出た後、アリスにお土産を買おうと街で買い物をしていた。
そんな時——。
急に背後から肩を叩かれる。
「——ケリー様」
女が耳元で囁いた直後、ケリーの体が硬直する。
ケリーの体に服従魔法がかけられていた。
「無礼をお許しください。主人の命令ですので。こちらへ」
女がそう言うと、ケリーの足は勝手に動き始た。
女も横に並ぶ。
「何の用? 忙しいんだけど」
その女と会うのは久しぶりだった。
思い出したくもないあの家の使用人——リリスの母親の侍女だ。
「すぐに終わりますので」
侍女は冷淡な表情で答えた。
——こんなところを知り合いに……、アダムに見られたらどうしよう……。
ケリーは不安を抱きながら、逃げる隙を探していた。
残念ながら、そんな幸運は訪れなかった。
ケリーの足が突然止まる。
「——この店の中へ」
示された店は、いかにも高級そうな仕立て屋だった。
侍女が扉を開けると、ケリーの足は再び動き始める。
ケリーは抵抗できないまま店の奥へ進み、重厚な扉の前で足が止まった。
「奥様、お連れしました」
『——入ってちょうだい』
侍女は中の声の指示に従って扉を開けた。
もっとも憎む人物の1人が視界に入り、ケリーは顔をしかめる。
「あなたは部屋の外で待機していなさい」
「畏まりました」
侍女はケリーの足を動かして入室させた後、扉を閉めた。
「ケリー!」
母親はソファーから立ち上がり、ケリーを抱きしめようと近づいてきた。
「こんなところでやめてください」
体が自由になったケリーは、手を前に出してそれを制した。
母親は動揺し、悲しみの表情を浮かべる。
「ケリー……そうね、今は身分を隠しているから警戒しているのね。でも、大丈夫よ。今は人払いをしているから問題ないわ」
ケリーは母親を睨みつけた。
「街中で侍女にあんなことをさせるなんて、非常識ですよ! 私が今まで隠していたことが台無しです!」
ケリーの語気の強さに母親はビクつく。
「ケリー、悲しいことは言わないでちょうだい。私だって我慢していたのですよ。あなたは私の大切な娘です」
「言葉にお気をつけください。私は男です。学院に入る時、ジョーゼルカ家の姓を捨てた赤の他人です。同意頂いたはずですよ?」
「ケリー……」
母親は涙ぐんでいた。
「私を危険に晒さないために、もう会わないとおっしゃいましたよね?」
「そうね……。でも、たまたまあなたを見かけて……、そんな小汚い格好をしていて不憫になってしまったのです。どうしても助けてあげたくて」
「余計なお世話です。こんなことは一切おやめください。あなたは自分の都合で私を危険に晒した。もう、金輪際あなたに会いたくありません!」
ケリーは今までの怒りを吐き出すように叫んだ。
「ケリー……、ごめんなさい」
「もう一度、宣言しておきます。私は一生ジョーゼルカ家の人間とは関わりません。命を無駄にしたくないですから。あなたも誓ってください。そして、アリスにも絶対に関わらないことも」
「ケリー!」
ケリーは号泣する母親を無視し、踵を返した。
「さようなら」
店を出た後、ケリーは急いで寮へ帰った。
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