第16話 アダムの苦悩
魔法学院、上級職員寮。
下級職員寮はワンルームだが、この寮の部屋は寝室、書斎、広いバスルームなど、十分すぎる設備が整っている。
すでに階級7を取得しているアダムは、1年前から上級職員寮に住んでいた。
新人歓迎会会場から帰ってきたアダムは、リビングの大きなL字ソファーにジャケットとネクタイを脱ぎ捨て、空いたスペースに倒れむ。
会場でずっと作り笑いをしていたせいで疲労困憊だ。
アダムはテーブルの上に置かれた錠剤ボトルに手を伸ばし、中に入った睡眠薬錠剤を数個取り出して口に入れる。
「はぁ……」
エバと婚約破棄して以降、アダムはずっと睡眠障害を患っており、薬が手放せない状態に陥っていた。
寝室は一度も使っておらず、いつも明かりをつけたままこのソファーで眠っている。
部屋を暗くするのが怖かった。
なぜ怖いのかは最近まで忘れていたが、エバの死に際を必ず思い出してしまうことが原因だった。
——こんな思いをまたするくらいなら、エバのことなんか思い出したくなかったよ……。
しばらくすると薬の効果が出始め、アダムは眠ってしまった。
そして、再び同じ悪夢が流れ始める——。
夢の中は、アダムが魔法学院卒業を控えた時期だった。
スコット家、食卓。
アダム、父、母、長男、次男の家族全員で夕食を食べていた。
いつもは賑やかな食卓だが、今日はなぜか雰囲気が暗くて重い。
「アダム、首席卒業が決まったらしいね。おめでとう」
次男はこの重い雰囲気が耐え切れず、口を開いた。
「ありがとうございます。ジェームズ兄上」
「「「おめでとう」」」
家族全員が拍手をアダムに贈った。
今がチャンスだと思ったアダムは、今後のことについて話し始める。
「父上、母上。首席卒業になった場合の約束、覚えていますか?」
「ああ……」
父親はすぐれない表情で答えた。
「前にもお伝えしていましたが、学院を卒業後、エバ・シャーリーさんと結婚をして独立するつもりです。首席の特別手当として、学院内に2人の部屋も用意してもらうことになりました」
それを聞いたアダムの家族は、苦々しい表情で父親の方に視線を向けた。
その様子にアダムは怪訝な表情を浮かべる。
「先ほどから重い空気が流れていますが、どうされたのですか?」
父親は苦渋の顔でしばらく黙り込んでいたが、意を決して重い口を開く。
「昨日、アダムが外出している時なのだが……、ジョーゼルカ家の執事がいらっしゃった……」
アダムは首を傾げた。
「父上、なぜジョーゼルカ家が?」
「リリス様とアダムの結婚が決まった、と言われたのだ……」
アダムの顔は真っ青に変わる。
「どういうことですかっ!?」
「アダム、すまない……。王家に近しいジョーゼルカ家の『命令』なんだ……」
アダムは『命令』と聞いて絶句する。
父親は今まで、息子の不利益なるようなことは絶対にしなかった。
貴族では珍しい心の広い性格で、平民に対しても低姿勢で接するほど。
アダムはそんな父親を尊敬していた。
「すまない、貴族として名乗ることすらおこがましいスコット家は、ジョーゼルカ家には逆らえない……」
スコット家先代当主——アダムの祖父は国の重要な役職についていたが、国に大きな損益を出す失態をおかしてしまった。
それがきっかけで上級貴族だったスコット家は没落し、かろうじて下級貴族にとどまっている状態だ。
絶対階級主義のこの国では、より上の階級の人間には逆らえないのが常識で、ジョーゼルカ家は特に権力を振りかざす威圧的な家系で有名だった。
「もちろん最初は断った。アダムには婚約者がすでにいると……。だが……、それは断る理由にはならない、と言われてしまった。断れば、家族全員が『反逆の罪で投獄する』と言ってきたのだ……」
アダムの父親は苦痛の表情でアダムに説明した。
「なぜそれが反逆罪なのです!?」
アダムは声を荒らげた。
しかし、アダムにはすでにわかっていた。
これは絶対に逆らえないこと——エバとは永遠に結ばれることはないと……。
「アダム、明日、ジョーゼルカ家に参るぞ」
その後、アダムはエバに別れを告げた……。
そして、その数時間後。
アダムと父親はジョーゼルカ家の門の前に到着していた。
ジョーゼルカ家の大きな門の前には警備兵が2人。
アダムの父親は馬車の窓から書状を見せる。
確認した警備兵は、重い門を開けて馬車の通過を許可した。
馬車はスピードを上げて走り出した。
門のすぐ先に玄関があるわけではない。
大きな庭が門の先に広がっており、玄関まで歩くには少々辛い距離だ。
馬車はまだ見えない玄関へ向かってクネクネと曲がりながら進んで行った。
ようやく玄関までたどり着くと、アダムと父親は馬車から降り、待っていた執事に声をかける。
「私はスコット家当主のオリバー・スコットと申します。後ろにいるのは私の息子、アダム・スコットです」
2人とも顔色が悪い。
アダムは昨晩散々泣いていたため、目を赤くしていた。
執事は恭しく礼をする。
「お待ち申し上げておりました。こちらへどうぞ」
2人は執事の後ろについていき、無言で長い廊下を歩く。
アダムは一生この廊下が続いてほしいと願いながら、重い足を一歩一歩踏み出す。
本当は死にたい思いだった。
しかし、エバにはそれは絶対にしてはいけない、と誓わされていた。
昨夜のエバを思い出し、無力な自分を罵る。
『エバのためだけに生きる』
アダムの生きる理由はそれだけになっていた。
長い廊下を歩く時間はあっという間に終わりを告げた。
執事が応接間へ2人を通す。
扉が開くなり、リリスの声が響きわたる。
「まぁ! アダム! 2日ぶりですわ〜!」
リリスがギラついた笑顔でアダムの元へ駆け寄り、抱きついた。
アダムは腕をまわさず、呆然と立っているだけだ。
リリスはそんなアダムの様子に気づき、怪訝な表情に変わる。
「——も、申し訳ございません、リリス様。アダムが失礼な態度を……。昨夜、悪い物を口にしてしまったようで、アダムは体調がすぐれないのです……」
アダムの父親は慌てて釈明した。
リリスは両手を口に当て、わざとらしい驚きを見せる。
「まぁ! アダム、心配だわ〜! こちらにいらして! 私が介抱して差し上げるわ〜。お父様、そういうことですから、お2人で話を進めてくださる?」
「よしよし、そうするといい。リリスの好きにしなさい。はっはっはっ!」
「さあ、アダム、行きましょう!」
リリスは無理やりアダムの手を引っ張って部屋を出て行った。
*
リリスの部屋。
リリスはベッドにアダムを寝かせた。
アダムを愛おしそうに眺め、頭を撫でる。
そして、口が裂けそうなほどに口角を上げた。
「アダム〜。結婚のこと驚いたでしょ〜? でも、アダムが頑張ったから私たちは結婚できるのよ〜! アダム、ありがと〜! 私のために勉強を頑張ってくれて〜」
アダムは現状を受け入れられず、目を瞑っていた。
話しかけても反応を示さないアダムに少しムッとしながらも、リリスはあることを思いつく。
リリスは顔を赤らめながらアダムに大きな胸を押し当て、顔をゆっくりと近づける。
そして、アダムの唇に自分の唇を重ねた。
その瞬間、アダムはリリスを突き飛ばした。
「俺に触るな!」
突き飛ばされたリリスは、大きなベッドがクッションになってケガをせずに済んだ。
「アダム! 何をするの! お父様に言いつけるわよ!」
「いいさ。それを理由に俺との結婚を破談にしてくれ……」
アダムは涙を流していた。
リリスは動揺する。
「何を言っているの? アダムは私のものよ。そんなことするわけがないじゃない……。でも、今みたいなことはよしてよね……。痛かったわ……。そうそう、今日からここが私とアダムの部屋よ。一緒に眠れるのだから、ありがたいと思ってね」
アダムはそのまま目を瞑り、何も考えないようにするしかなかった。
***
アダムが睡眠薬で眠ってから数時間後。
まだ深夜だったが、薬の効果が切れてアダムは目を覚ました。
悪夢から脱出できてホッとする。
——仕事だけが嫌なことを忘れさせてくれる……。
自分にそう言い聞かせながら、重い足取りで書斎へ向かった。
アダムの書斎は散らかっていた。
デスクの上や床は、本や資料で隙間がないほどだ。
床に放置された勲章が視界に入り、アダムはケリーに言われた言葉を思い出す。
『——運だけで階級7は難しいと思います』
——僕は出世に興味はない。褒められるようなことは何もしていないんだ……。嫌な記憶を思い出したくなくて、忘れたくて必死に仕事をしているだけなんだよ……。
アダムは扉の横にある冷蔵庫から水が入った瓶を取り出し、喉へ勢いよく流し込む。
悪夢で大量に汗をかいたせいで喉がカラカラだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます