1000年生きた最強のドラゴン、二週目の人生は気ままに冒険者を目指す

はいきぞく

第1話 ドラゴンは逝く

「……かゆい」

 

 やあ、おはよう。

 ワシの名前はアッシュ。しん殿でんもりのドラゴンだ。

 今、全身が痒くて痒くて起きたところだ。

 どれほどの痒みかと言うと、アリやハチに鱗の付け根を噛まれたり、刺されるのと同じくらいかゆい。

 

「これは……まさか、カビか?」

 

 すっかり重たくなった頭をようやっともたげて、背中を見ると、びっしり緑色の斑模様になっていた。

 

「まさか、体にカビが生えるとこんなに痒いなんて、知らなかったなぁ。竜生りゆうせいは何が起こるかわからないものだ」

 君たちは、体にカビが生えたことがあるだろうか?



 ……あるわけないか。



 そりゃあ、普通に生きていたら体にカビが生えることなんかないし、正常な体なら皮膚の代謝でそんなみっともないことにはならないし。

 ワシもかれこれ999年生きてきたが、体にカビが生えた記憶なんて一片も無い。

 ドラゴンの記憶は脳ではなくもれなく魂に保存されるからため、忘れたくても忘れようがないのでこれは確実だ。


 どさっと、苔に覆われた石畳に頭を落とすと、埃が舞って視界を白く染めた。


 どうやら、ずいぶん長い間眠っていたらしい。

 これでは水面に映る月のようにつややかだった鱗がその辺に生えている苔と同じような風合いになってしまうのも当然だろう。


 こんな様で言うのは説得力に欠けるけれど、この世界、『ディステッド』でドラゴンは最も古く強く、気高い生物でね。その中でもワシのように神殿の守護者に任命される竜は万の成竜の群れを一睨みですくませて従えるくらい強いんだ。


 ワシの場合は、強かったというべき何だろうけどね。なんたってカビなんかに良いようにやられているんだから。


 それにしても、長いようであっという間の竜生りゆうせいだった。

 ワシがいくら強かろうと、時間の流れには勝てない。そもそも、生きとし生けるものはすべて死ぬという、創造神様の定めた摂理に逆らう理由はないし。


「しかし……もうすぐ死ぬというのに、最後に気にしているのが『体が痒い』だなんて、なんとも締まらないなぁ」


 もはや立ち上がる体力もなく、ごろっと転がり一番痒い翼のまくを苔むした石積みの壁にこすりつけて、ほっと一息つく。

 瞼を閉じるときっと目覚めの来ない眠気がぼんやりと近づいてきた。それを追うように若かりし頃の記憶がよみがえってくる。


 もっともワシの魂に濃く記されていたのは、何を勘違いしてか財宝を求めてやってくる冒険者を追い返す日々だった。ドラゴン相手に一生懸命に戦う彼らになるべく無事に諦めてもらうのに毎回苦労したんだよなぁ。


 ワシ、物理的に人語はしゃべれないし、念話とかの魔法はとくいじゃなかったから意思疎通できなくてなぁ。ああ、しん殿でんもりになってすぐ、あまりにも失礼な冒険者がいて叱りつけたときは、大変だったなぁ。「おいこら!」って大声をだしたらそれだけで何人かショック死しかけて、慌てて癒やしの魔法をかけたんだよなぁ。あのときはぎりぎり全員回復させることができたから良かったよ。


 ん? そういえばその時から、この聖域まで入り込もうとする冒険者が増えたっけ。


 いままで追い払った冒険者達の顔がつぎつぎと思い出される。ドラゴンの記憶力は肉体の衰えに影響を受けないので、見たままをはっきりと思い出し、見返せる。


 あれ?

 

 こうやって振り返って見てみると、全員なんだか楽しげだ……。でも、ドラゴンに挑むのだから彼らは決死の覚悟で戦いを挑んでいるはず。それなのに、これは……?



 「冒険って……そんなに楽しいの……か?」



 先ほどまで感じていた痒みが段々と消えていく。


「どうせなら……ワシも……彼らみたいに……冒険が……してみかった……な」


 真っ白な、魂まで漂白される安らかな眠りがやってきて。

 しん殿でんもりのアッシュと自称した一匹のドラゴンは、999年のしようがいに幕を降ろした。




 ——と思っていたんだけど?



「はい、ではこれから旧大神殿の警衛担当、アッシュくんの定年退職行事を執り行いま〜す。拍手〜!」


 気がつくとワシは巨人の美少女の目の前で背筋を伸ばして立たされていた。

 ワシの999年蓄えた知識が正しければ、『ディステッド』に巨人はいなかったはずだ。


 しかし、目の前にいるのは顔付きや声の感じが明らかに人間の少女だが、その縮尺がおかしい。ワシの全長は十メートルで頭頂部から足先までの、いわゆる体長となると八メートル弱になる。今の姿勢で体高を測るともう少し八メートル強だ。そんなワシと目線が同じ高さにある人間を巨人と呼ばずになんと呼ぶ?


 さらに、向かい合う巨人の少女とワシを挟むように、左右にはさらにワシよりも大きな巨人が男女ともそろいの貫頭衣を着てずらりと整列していた。


「おめでとう」

「おめでとう」

「おめっとさん」

「おめでた〜い」


 止まない拍手を浴びて、正直ワシ、びびってる。だって、生まれてこの方自分より強そうな存在にあまり会ったことがなかったし。いきなりドラゴンよりも大きな巨人に囲まれるなんて、どんな経験があれば予想できるのか?


「およ? どうしたのアッシュくん? 顔が硬いよ。笑って笑って、はいピーススマイルエブリバディ!」


「は? ははは?」


 二本の指を立ててワシの口角を無理矢理引き上げる巨人の少女。何を言っているかわからない。


 息が掛かりそうなほど近づいて見ると、その少女はワシが今まで見てきたどの人間よりも美しい顔をしていて、まるで神がかった容姿をしていた。どこかで見た顔だけれど、なぜか記憶にない。いつものように、魂から湧くように出てくるイメージが見えなかった。


「あのすみません。あなたたちはどちら様? 『定年退職』って何ですか? ワシは老衰で死んだのではなかったのですか?」


 ワシは人語が話せないが、ダメ元で聞いてみる。


「おう、そうだった! アッシュくんと面と向かって会うのは初めてだった! すっかり失念してたよ、ハハっ!」


 緩く波打って背中に落ちる金色の髪の毛をふりふりと揺らし、ずいぶん大げさに笑う少女の反応でワシはある重大事項に気がつく。


「そういえばワシ、まともに会話が成立するの……生まれて初めてだ!?」


 基本的にドラゴンは群れを作る生物だ。けれど、実はワシはあの神殿で生まれ、生を受けた瞬間からしん殿でんもりとして暮らしてきた。冒険者はダンジョンマスターと呼ぶしん殿でんもりのワシがドラゴンの中でも指折りに数えられる実力者であるというのは、挑んできた冒険者同士の会話から仕入れた情報だったりする。他にも、神殿の入り口でキャンプする冒険者の会話に聞き耳を立ててから世界の事を知ってきた。


 ワシはこれまで聞くばかりで、誰かに言葉を届けたことがない。


 ワシが生まれた時には先代のしん殿でんもりはなくなっていたので、ずっと話し相手がいなかったのだ。記憶にある冒険者は誰も竜の言葉を話せなかったから、こちらが呼びかけてもまともな返事をもらったことがない。


「それは気の毒に。じゃあついでに初、会話おめでとうアッシュくん! 拍手〜!」


「おめでとう」

「おめでとう」

「おめっとさん」

「おめでた〜い」


 拍手と称賛の雨を受けて思わず、ワシは気後れしてきた。享年999歳になって、初めての会話を祝われるなんて、よく考えたらすごく恥ずかしいじゃないか。


 少女がリズムよく四回手を叩くと、その拍子に会わせて拍手もピタッと止んだ。無駄にそろった無駄のない無駄な動き、というのはこういうのを言うのかも知れない。

 そして、少女は大手を広げて言った。


「さて、あらためまして自己紹介をば! 私は二代目創造神です! 崇拝せよ☆」

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