銀河に咲く花

和泉茉樹

序章 走り出す瞬間

0-0 駆け出す少年の目指す先

 広大な宇宙を人類は我がものとして、超巨大な文明の黄金時代を謳歌していた。

 銀河帝国がその人類の版図の全てを支配して、短くない時間が過ぎている。

 反乱軍を名乗るテロリストや、宇宙海賊などの反抗勢力を抱えつつ、しかし概ね、平和な時代が訪れていた。

 これはそんな世界の片隅で、幼くして才能を開花させ、栄光の階段を駆け上がった男の物語である。

 彼の名前はケルシャー・キックス。

 彼はまさしく、銀河に咲く花、だった。


     ◆


 惑星ディーアの第八十二小学校で、教師のシーマは、お昼休みの後に担当している教室に戻った時、午前中はなかった空席があるのに気づいた。

 あそこの席は、ケルシャー・キックスか。

「ケルシャーはどうした? 誰か知っているか?」

 児童たちがバラバラ答えるが、どうやら頭痛を訴えて早退したらしい。

「午前中も、給食の時も、ピンピンしていたじゃないか」

 探るつもりが半分、からかうつもりが半分でそう教室中に言うと、笑い声の中で、またバラバラに返答があった。

 仮病みたいだな。シーマはそのことを記憶に書き留めておく。

 小学一年生が仮病とは、図太いというか、不良への道をまっしぐらに走っている気もするが、シーマの責任ではない。教師が何もかもの責任を負っていたら、身がもたないし、重労働が過ぎるというものだ。

 早退して、さっさと家に帰ってくれればいいが、確かあいつの両親は共働きだったな、とすぐに気づいたものの、シーマは特にそれ以上の不安を感じなかった。そんな家庭はごまんとある。

 厄介なのは補導されるか何かして、学校と家庭に連絡が行くことだ。

 シーマも教師になって七年ほどが経ち、海千山千とまではいかなくとも、相応に様々な経験を積んでいる。担当クラスの児童が補導されたことも何度もある。

 ケルシャー・キックス。特徴のない、普通の子どもだ。

 どこで何をしているのやら。

「授業を始めるぞー」

 そう言って彼は、手元の端末に教科書を表示した。

 窓の外にある都市は、特に変わったところのない、普通の昼下がりだった。


     ◆


 惑星ディーア第三首都警察に所属する二人の警官は、自動運転車の中で雑談していた。よそ見をしても、少しも気を配らなくても、自動で走っている。まったくの安全運転だ。

 その時、警告音が車内で短く鳴り、二人の視線がさっとフロントガラスに向いた。そこには人工知能が判定した対象にカーソルが浮かび上がる仕組みがある。

 裏通りに入っていて、どこかの浮浪者がゴミ箱をこじ開けようとしている。が、カーソルは別のどこかに向いている。

 二人が考える前に自動運転車のパトカーが自動で車列を離れ、停車する。やれやれ、と二人は車を降りると、浮浪者に歩み寄った。浮浪者も警官に気づき、身を翻そうとする。路地へ飛び込むその背中を少し追ったが、とても事件性はない、と警官二人ともがすぐに足を止めた。

 路地を見ると、その向こうで何かが翻った気がしたが、二人とももう気にもしなかった。路地をバタバタと浮浪者が逃げていき、二人はさっさとパトカーに戻った。

 再び雑談をしつつ、パトカーは勝手に走り始める。


     ◆


 仕事を失って数年になる、筋金入りの浮浪者である彼は、路地から路地へ警官から逃げていくと、前方を少年が走っているのに気づいた。

 思わず加速したが、足が何かに蹴躓いた。転倒する彼をちらっと少年は振り返ったが、すぐにまた走り出し、視界から消えた。

 空腹を抱えたまま、彼は一人きりで警官の気配がないことを確認し、もう一度、あのゴミ箱を漁れるかな、と考え、もう少年のことは忘れた。


     ◆


 都市全体の治安を維持する部局が惑星警察にあり、大勢がそれぞれの仕事部屋で、防犯装置などからの情報をチェックしている。

 監視員の一人の彼の端末が音を立て、彼はコーヒーの入ったマグカップを片手に画面を覗き込んだ。

 小学生が映ってるが、一瞬で画面から消える。カメラが切り替わる。別の映像。やはり少年だ。走っている。

 人工知能が、監視用のドローンを飛ばすか、確認してくる。

 カメラに映されているとも知らない少年は、ゲームセンターに入った。

 何の問題もない、と彼はコンピュータに音声入力し、コーヒーを一口、飲んだ。

 普通のコーヒーだった。


(続く)

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