第56話 チョコレート大作戦

 海から吹く冬風が、コートを無視して侵入してくる。


 十二月の最初の土曜日、吉井は海浜幕張駅にいた。サークルが行う今年最後の全体会議、アワードに参加するためだ。済に依頼された通りにスタッフに志願したらあっさりと採用されたため、早めに入場するため開始の一時間半前、八時半に駅に着いていた。


 幕張メッセまでの道をスマホで確認していると、背中をつつかれた。


 振り向くと美少女がいた。黒髪ロングの髪は眉上で揃えられ、グレーの眉は細く整えられている。瞳には青のカラコンが入っており、涙袋とその下に赤いクリームチークが乗っている、「病みメイク」だ。白いコートの下から、光沢のある水色のドレスが覗いていた。肩から紺のハンドバッグを下げ、キャリーバッグを引いている。しかし、付き合いの長い吉井にはすぐに正体が分かった。


「久しぶりにこっちの姿を見たぜ、ワタル。」

「気付くの早くてつまんなーい。」


 学生時代から顔も体型も変わっていないというこの魔性の男は、学生時代に大学女装コンテストを三連覇、社会人になってからも全国女装コンテストで何度も優勝しており、新宿二丁目の女装バー界隈では「奇跡の三十代」と呼ばれているらしい。このため、イカれた趣味を多数持っているにも関わらず常に遊び相手がいるという、恐ろしい奴だった。


 アワードのチケットは済も購入済のため、吉井がいなくても入場できるはずなのだが、万一断られたら困るというので待ち合わせしていたのだ。


 チケットは簡単に入手できた。入会チェックが緩くなったこともあり、師匠に合わせることなく、すぐに済をサークルの会員サイトに登録させることかできたのだ。サイトでチケットを購入してしまえば、後は何のチェックもない。


「全く、あの頃から全然変わってないな。一体どうなってるんだか。何か変な薬でも使ってるのか?」

「日々の努力だよ♪」

「その微妙な女口調をやめろ!」


 南口のアーケードを直進し、幕張メッセに向かう。1~8ホール側の中央エントランスで受付を済ませた。新製品だという幹細胞成分入りのドリンクを勧められたが、何が入っているか分からないので二人共断った。その後、済はしばらく時間を潰すためどこかへ去っていき、吉井はスタッフ陣に合流するためスタッフ控え室へ向かった。控え室には既にスタッフの多くが集合しており、すぐに持ち場の確認が始まった。吉井は志願した通り、ステージ脇で出演者の案内や飲み物、マイクの準備をする係に割り当てられた。


 ◇


 一通りの役割説明が終わり、開始時間が近づく。会場はドレス姿の女とスーツ姿の男で一杯だった。七千人はいるのではないだろうか。アワードが始まり、真っ白なタキシードを着た小太りの男が出ていく。サークルのトップ、島村だ。ジェルで固めた髪が光沢を帯びている。歳は四十前後か。顔は脂ぎっており、ステージの照明を受けて光っている。


 島村は満面の笑みでステージに立つと、マイクに向かって大声で叫んだ。


「皆さーーーーん!好調ですかーーーーーー!!」


 数千人の観衆から、まるで火山が噴火したかのような轟音が返ってくる。


「好調でーーーーーーーーーす!!!!!!!」


 法の華三法行まがいのコール&レスポンスだ。やり取りを繰り返す度に会場の熱狂は高まり、完全に目がイッてしまっている。興奮のあまり倒れる女子会員もおり、医務室に運ばれていった。以前済から聞いたのだが、科学の道でも同じようなことをやっているらしい。奴らはよほどこれが好きなのだろうか。


 狂気のコール&レスポンスが終わると、今年大量の会員を勧誘した者の表彰、十五万円の自己投資を達成した者の表彰、先月新規会員勧誘を達成した者の表彰と進んだ。ステージ上に次々と会員が繰り出していく。普段人前で褒められることはなかなかないため、これが病みつきになって自己投資を続ける会員も多いらしい。


 表彰が終わって小休憩に入ると、吉井はステージ裏にある映像担当のテーブルへ向かった。パーテーションで区切られた一角に、スクリーンに映像を投影するための機器が並んでいる。吉井は投影に使っているパソコンを確認すると、テーブルに差し入れのチョコレートを置いた。テーブルの周りには十人程度のスタッフがいたが、全員が礼を言い、チョコレートを口に入れた。吉井はチョコレートがみるみるなくなっていくのを確認し、再び持ち場に戻った。


 小休憩が終わると大量の弟子を抱える師匠陣の講話があり、それが終わると昼休憩になった。昼休憩ではほとんどの会員が会場を出たところで売っているパンを買って食べる。実はこのパン屋を経営しているのもサークルの師匠なのだが、価格が安く設定されており、自己投資やセミナー代で金がないサークル会員には人気だった。


 吉井は駅のコンビニで買ってきたおにぎりを食べながら済にLINEをした。念のため、昼休みも持ち場を離れないようにしていたのだが、済がどこにいるかは確認しておきたかったのだ。済からは最後尾に潜んでいるという返事が返ってきた。何が起きるかを後ろから見たいのだろう。「こっちも準備はバッチリだ!」とも書いてあったが、何の準備なのかは聞かないでおいた。


 昼休みが終わると新製品の発表が始まった。今月の新製品は幹細胞成分が入った例のサプリだ。スクリーンに白いシンプルなボトルが映し出され、派手な音楽が鳴り響く。島村が満面の笑みでステージで上がり、再び「好調ですかー!!」を始めた。


 それを横目に、吉井は映像担当デスクの後ろについた。


 後ろから映像担当を見ていると、腹を押さえながら画面を見ているのが分かった。映像担当だけではない。デスク周辺の全員が青ざめている。


 そこですかさず吉井が歩み寄り、「大丈夫ですか?俺、手伝いますよ!」と声を掛けた。すると、「も、もう限界……。ちょっと、これ終わったらこのファイル流しといて!」と映像担当が小声で言い、トイレのほうへ走っていった。それをきっかけに周囲の全員がトイレへ走る。


 実はこの状況は計画通りだった。吉井が差し入れたのはただのチョコレートではない。少し前に海外で流行った、チョコレート型の超強力な下剤だったのだ。もともとは甘くないのだが、吉井が持ち込んだのは一度溶かし、砂糖をたっぷり入れた特製品で、ラベルを取られてしまうとまず気づかない。これは済が下剤チョコを持っていたために実現した作戦なのだが、済は「何かの役に立つと思ってしこたま買い込んどいた。」と言っていた。何に役立てるつもりだったのかはさっぱり分からない。


「そろそろ時間だな……。」


 周囲から人がいなくなったのを確認すると、吉井はサイバーテレビの再生を始めた。

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