第40話 潜入!自己啓発セミナー 二日目③ 号泣しながら抱擁!

 短い休憩が終わると、梅田とアシスタントの指示でバラバラに床へ座らされた。部屋が暗くなり、静かで物悲しい音楽が流れ始める。


 普通に生活していると夜中でも何らかの光があり、真の闇を経験することは少ない。入り口を閉め、遮光カーテンできっちりと外からの光を遮断した部屋で電気を消すと、本当の意味での真っ暗闇が陽子達を包んだ。隣の人がどこにいるかも分からないくらいの漆黒だ。滅多に過ごすことのない暗闇にいると、徐々に感覚が麻痺してきて、まるで体と空間が溶け合うような錯覚に陥った。


 軽い催眠を掛けられたような状態になったところで、梅田がゆっくりと囁き始める。


「皆さんが人生で最初に向き合った人は誰ですか。そう、お母様ですね。この時間では、初めて自分に向き合ってくれた、お母様のことを思い浮かべましょう。この暗闇に、皆さんのお母様を思い描いてください。思い浮かべましたか。それでは、思い描いたお母様を少しずつ若返らせていきましょう。一年、三年、五年……。」


 真っ暗闇の中で囁きかけられると、何だか不思議な心持ちになる。まるでこの場に自分と梅田しかおらず、その囁き声が耳を通して体に染み渡っていくようだ。


「皆さんが子供の頃、お母様はどんな人でしたか。優しくされた記憶、叱られた記憶、泣かせてしまった記憶もあるかもしれません。それでもお母様はいつも、あなたのことを思っていてくれた……。」


 梅田は十分な間を取ってゆっくりと囁く。暗闇のあちこちから、静かな泣き声が聞こえてくる。内容を知っていた陽子もしんみりした気分になってしまった。


「皆さんもかつては子供だった。きっとお母様に辛く当たったり、心無いことをしてしまったことがあるでしょう。それでもいいのです。親子なのですから……。」


 梅田の囁きが進むにつれ、悲しいムードは加速度的に部屋を覆っていった。十分に瞑想が進み、陽子までも思い出の世界に浸った時、梅田が最後の決めゼリフに入った。


「さあ、ここであの時言えなかった言葉を言ってみましょう!」


 すると、一人が「ありがとうー!」と言ったのをきっかけに、部屋が号泣と感謝の声に包まれた。「お母さーん!」「本当は嬉しかったんだよー!」といった声が前から後ろから聞こえてくる。


 参加者たちは完全に集団催眠に入っていた。陽子までも半分泣いてしまっていた程だ。環境操作によってこれほど人は操作されてしまうのかと、半泣きになりながら陽子は戦慄した。


 その後父親についても同じことを行い、部屋の照明が着けられると、目を泣きはらした若者の集団が現れた。


 ◇


 瞑想の後は両親の思い出についてのダイアードを行った。これが終わると今度は部屋が薄暗くなり、全員で二重の輪を作るように促される。「選択についての実習」が始まるのだ。


 参加者で作った二重の輪は、外側と内側で逆方向に進むよう言われる。こうすることで、進むごとに外側の人間と内側の人間が向き合うことになる。


「選択」というのは、参加者同士が向き合うごとに指を出し合い、その本数で次の行動を選ぶことを指す。本数と行動の組み合わせは下記の通りだ。


 一本:そっぽを向く

 二本:見つめ合う

 三本:握手

 四本:抱き合う


 梅田が「見合って、判断して、投票して。」と言うのに合わせて指を出し、移動する。本数が合えばその通りに行動し、合わなければジャンケンのあいこのように何度か指を出し直す。それでも合わなければ素通りだ。輪が動き始めると、一本を出すのは相手に失礼だし、四本出すほど親しくはないということで、大抵が二本か三本で落ち着いた。陽子もほとんど二本を出していた。薄暗いこともあり、見つめ合ってもそれほど緊張はしない。中には四本ばかり出す若い男もいたが、ことごとく無視されていた。


 五人ほどが終わった頃、梅田が少し深刻そうな声で


「皆さん、本当にそれでいいんですか?今すれ違った相手のように、人生でも様々な人とすれ違ってきているはずです。もしもその時を逃したら、もう二度と会えないんですよ。」


 と言うと、再び物悲しい音楽が流れ始めた。陽子は(そりゃ沢山の人がいるのだからすれ違うだけになる人がほとんどなのは当たり前でしょう……。)と思ったが、密閉された薄暗い空間と音楽がなせる業か、周囲は切ない空気に包まれている。見回すと涙ぐんでいる参加者までおり、両親の瞑想と同じく、集団催眠に入りかけているようだった。


 移動を再開すると、今度は次々と四本が差し出されるようになっていた。被害のダイアードでも一緒になったアキと抱き合うと、アキは涙を流し、体を震わせていた。会場は徐々に異様な空気に包まれていった。


 梅田が「投票して!」と言う度に四本指が出され、次々と抱擁が繰り返される。しかもほとんどの人が泣き始めているのだ。一人だけ平気な顔をしていると怪しまれるので陽子も空気に飲まれることにし、涙を浮かべながら投票を繰り返した。


 輪が一周すると梅田から「輪を崩して、バラバラになって投票を繰り返しましょう。」と言われ、そこら中で「投票」が始まった。閉め切った部屋の中で大勢の大人がウロウロし、泣きながら抱擁し合う姿は異様なものだったが、特殊な精神状態に入ってしまっているので全く気付かない。


 ひとしきり「投票」が終わると、梅田から「皆さんも、これでようやく心の壁が取り払われたのではないですか。」と言われ照明が明るくなり休憩に入った。ところが、休憩に入っても男女構わず抱擁が続いていた。何か本能的な欲求に根ざした行動のようにも見える。


 自分が抱擁のサインを出すと、相手もそれを受け入れてくれる。これはまるで恋の告白のようであり、何も知らずにこの「投票の実習」に入ると、ある種の快楽に取り憑かれてしまうのかもしれない。


 その後は再びダイアードと瞑想を行い、二日目は終了となった。二日目ということもあり、昨日に比べると疲労は軽い。


 ここで陽子は潜入の目的に立ち帰ることにした。このセミナーを受講した目的は、恭子の行方のヒントを探るためである。セミナー終了後も建物に残り、内部を探ってみることにした。

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