第227話.梅宮華子の頑張り
「……」
数学が苦手な訳じゃない、でもこの時間は憂鬱だ……私は自分に自信がないし、人前で何かを発表するという事が酷く億劫だ。
けれど私のクラスの数学を担当する先生は無駄に情熱的で、事ある毎に私を指名しては答えを発表させようとする。
どうやら皆の前で私の優秀さを見せつければクラスの見る目も変わるし、私も自信が持てると思っているようだ……余計なお世話なのに。
「じゃあ、この数式を──梅宮華子さん」
「……っ」
……ほらきた。
「……」
「この問題の答えを教えて?」
仕方なく席を立ち上がるけれど、胸の前に両手を持ってきて俯く私は傍から見たら酷く不気味だろう……俯いているお陰で私の髪の毛が垂れ下がり、視線を遮っているのが不幸中の幸いかも知れない。
先生の『今度こそは』という期待の篭もった眼差しと、クラスメイトの『早くしろよ』という迷惑そうな顔……そして親友である小鞠ちゃんや正義くんの心配そうな顔を一挙に受け止める事なんて私には出来ない。
「わ、わかっ……り、ま……せん……」
……本当は答えなんて分かってる。
黒板に先生が書いた基礎問題と応用問題をノートに書き写し、それぞれで計算して出した答えが合っているのかの確認でしかない。
場合によっては誤答の中から『気を付けるべき引っかけ』なんかの解説が行われる、この先生の大好きな授業形式……当然、視線をさらに下げれば自分のノートに書かれた答えが乗っている。
私にとっては本を読みながらでも簡単なその問題……素直に『答えは(x=12、y=8)です』と答えれば良い。
「……そうですか、では他の方」
先生の落胆した様な声と、何処からか漏れ聞こえるクラスメイトの嘲笑……クスクスと形容されるその忍び笑いにさらにいたたまれなくなってしまう。
私にとっては簡単すぎる問題……けれどもしも間違っていたら、凡ミスや計算ミスを何処かでしていたらと考えると酷く臆病になる。
……人前でミスするくらいなら、はじめから身を引く方が楽だ……惨めなプライドが傷つかなくて済む。
「次は──あ、チャイム鳴ったね。次の授業までに教科書百八十五ページの問題を完璧にしてくるように!」
委員長の号令によって今日の授業が全部終わる……やっとこの重苦しい空間から出られると思うと、酷くせいせいとする。
「華子ちゃん、一緒に帰ろう?」
「小鞠ちゃん……」
帰り支度を私よりも早く終わらせた親友がそう声を掛けて来る……隣には双子の弟の正義くんも居る。
彼女らはスクールカースト上位のくせに、カースト最下位である私を……図書室の隅で虐められていた私を救ってくれた恩人でもある。
……けれど、私は偶に二人が眩しすぎて距離を取りたくなってしまう。
「ご、ごめんね……今日は用事があって……」
「うーん、そっかぁ……なら仕方ないね!」
「また今度な」
そう言って離れて行く二人の背中を、罪悪感に胸を締め付けられながら見送る。
……でも今回は違うから……貴女達のためであって、私の勝手な劣等感から遠ざけた訳ではないからと、自分に言い聞かせながら私も学校を出る。
▼▼▼▼▼▼▼
「……なぁ、あの子お前の知り合い?」
「はぁ? 女子中学生の知り合いなんか居ねぇよ」
小さい頃から厄介事を惹き付ける自分のつり目が嫌だった……外側からは曇りガラスにしか見えない眼鏡を着けて、前髪だって長く伸ばして……それでも他人の視線から逃れようと背中を丸める毎日。
目立たない様に目立たない様にと……地味に見える事を心掛けては来たけれど、年齢にしては不釣り合いに大きな胸と、話し掛け易い雰囲気が……悪く言えば虐めてオーラみたいなものが出ているらしい私は必ずと言って良いほどに絡まれる。
……虐めてオーラってなんだ、自分では分からないし直し様もないそんなオカルト地味た説明で片付けられたらたまったもんじゃない。
「ねぇ、君どこの中学校から来たの?」
「お兄ちゃんでも居るのかな?」
……まぁ、今回に限り目立つのは仕方ないとも言える。
だって高校の正門前に明らかに部外者……それも中学生の女の子が一人で突っ立っていたら嫌でも目立つだろう。
外側から見たら曇りガラスにしか見えない大きめのレンズの眼鏡に、長い髪の毛を三つ編みにして両側から垂らすなんて努力もここでは通用しない。
「……」
「……ありゃりゃ、怖がらせちゃったかな?」
「おいおい健人、お前女子の扱いは得意だろ?」
「違いますー! 正樹の顔が怖いんですー!」
「あぁ?! なんでここで俺が出てくんだよ!」
目の前で唐突に始まったじゃれ合いに思わず肩を揺らして驚きながら一歩後退して距離を取る……これだからリア充は嫌いなんだ。
唐突に内輪のノリを見せつけられても困惑しかないのに……私たち底辺の虫が、それを前に文句を言うことも許されずに愛想笑いをするしかないとか知らないんだろうな。
一度でも文句や拒否の言葉を吐いてみたらそこで終わりだ……『ノリ悪っ』の一言で虐めても良いという免罪符が出来上がってしまう。
「ほら、急に大声を出すから怖がった」
「ぐっ……でも、それはてめぇが……!」
なるべく目を合わせない様にしつつ、目的の人物を探す……もしかしたらもう帰った後かも知れない。
いや、むしろその可能性の方が高いだろう。
いくら頑張って走ったところで中学校とこの高校の距離を考えれば仕方のないこと……下校時間だってそうなに変わらないだろうし。
「おや、正樹さんではありませんか……そんな所で何をしているんですか?」
「い、一条……」
「……っ!」
……目的の人物が居た、っていうか来た。
ゲームのアバターとは違って髪にメッシュなんて無いし、目の色も黒だけれど確かにアイツだ。
私と違って自分を隠す為じゃなく、自然と伸ばされた綺麗な髪が酷く劣等感を刺激して堪らない……本当に嫌な奴だ。
「……?」
「……」
独りでにアイツの前に……ジェノサイダーことレーナの前に歩み寄る。
今日はコイツに、小鞠ちゃんや正義くんの二人抜きで話があった。
「あ、う……えっ、と……」
「……」
……手を口元に持っていき、俯きながら視線を彷徨わせて肩を震わせる……そんな酷く不審な様子の私に訝しげにするでもなく、不思議そうな顔をするでもない……ただ黙ってじっと、何を考えているのか分からない無表情で私を見つめるコイツが怖い……気を抜いたら今にも首を締められそうな恐怖がある。
私に話し掛けていたコイツの知り合いらしい男三人は黙って成り行きを見守っているだけだし、多分いざという時の盾には──って、さすがにコイツもリアルでは大人しいよね。多分。
「……」
「あ、ぅ……」
……私はコイツが嫌いだ、酷く羨ましい。
私が持っていないカリスマだとか、自由だとか……可愛くてカッコイイ優しい弟妹だって居る。
私がどれだけ求めても手に入れられない、それらをコイツは全部持っている。
自分に自信を持って堂々と、何一つ正しさなんか疑わない様なそんな有様か酷く私の嫉妬心をムクムクとさせる。
「……」
「そ、の……」
……私はコイツが憎めない、酷く可哀想に見える。
私の持っていないものを全部持っているコイツは、自分に必要なものを全部持っていない……他人に対する共感性だとか、弟妹の差し伸べた手を掴む方法だとか……コイツは何も持っていない。
自分にとって絶対に必要であるはずのそれを、コイツは何も有してはいない。
ただひたすらに内向きなコイツを見ているとよく分からない苛立ちが募って仕方がない。
「こ、これ! ……これ、を……見てくだ、さ……い……」
「……そうですか」
結局この場で口で伝える事の出来なかった私は、予め用意していた手紙を奴に押し付ける様に渡してから走り去る……本当に情けない。
似合わない努力をして、親友二人の恩返しになればって頑張ってここまで来たのは良いけれど……衆人環境に耐えきれず、結局モゴモゴとしてる内に許容限界に達してしまった。
「私のバカバカ!」
家に帰り着いて早々に布団に倒れ込み、枕に顔を埋めて足をバタバタとさせながら自分を罵る……だから私は私が嫌いなんだ。
「……こんな時、
ベッドボードに置かれたヘッドディスプレイを撫でさすりながらポツリと呟く……私も、リアルで彼女の様になれたらな……叶わぬ願いだけどそう思う。
「……よし」
だから、だからせめて仮想空間だけでは──
「……ログイン」
──私はブロッサムとして成りたい自分を演じる事にする。
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