第203話一条玲奈の日常その9

「お、おはっ……よ、う…………ございます」


「……」


 朝早く、登校するべく門を出た所であの女の娘が挨拶をして来ます……それを一瞥だけして素通りし、いつもの道を歩きます。

 最初の勢いは良かったですが、後から尻すぼみするぐらいなら無理にやらなければ良いと思うのですが……朝から私の機嫌を悪くしてどうしようと言うのでしょう?


「あ、あ〜、そういえば昨日の『名探偵アンジュ』面白かったですよね!」


「っ! そ、そうね! マサはあの推理どう思った?」


「いつも思うけど、よくネタ尽きないよな〜って」


「確かに原作者は凄いよね」


 …………歩く速度を少し速めましょうかね。なにやら不審な人物二人に纏わり付かれていますし、イライラが酷くて手が震えてしまいます。

 それに、あんまり怒りが昂って視界が狭ばるのって好きじゃないんですよね……自分の身体さえ自分の思い通りにならないなんて理不尽で詰まらない……最悪の状態です。


「あ、義姉上はどう思いますか……?」


「……」


「……も、もしかしたらお義姉様は見てないのかま知れない!」


「あ、あぁ〜……そういえば義姉上の好きな番組って何ですか?」


 …………曲がり角で人とぶつかってしまいます。驚いてる男性の方に緩く、優雅に頭を下げて簡単に謝意を示すと共にさっさと歩き出します。

 何やら呆けていますが、何も言わないなら多分相手は怒っていないのでしょうし、今のうちに距離を離します……こんなところで厄介事に巻き込まれても詰まらないですかね。


「……は、話は変わるんですけど! 料理長のビーフシチューって本当に美味しいですよね!」


「昨日の夕飯にも出たわよね! 私もあれ好きなのよね! ……お、お義姉様も好きですか?」


「……」


 …………消えない消えない、雑音が消えない。不愉快な雑音が消えない。どうして私の耳に不快な音を吹き込み続けるのでしょう。軋む音を吐き続ける人形に対して私はどうすれば良いのでしょう。母はこういう場合は何か言っていたでしょうか。分からない。分からないです。イライラして仕方が──


「よう、クソ女──って、何してやがんだ?」


「……正、樹さん……ですか」


「それ以外に誰に見えんだよ? ……まさかお前、また俺の名前を忘れたとか言わねぇだろうな?」


「……いえ、別に」


 どうやら周りをあまり見ずに歩いていたようですね……気が付いたら大分進んでおり正樹さんと鉢合わせしてしまいましたね。

 確か彼の家は比較的学校に近いと伺っておりますので、結構な道のりを危うい状態で進んでいたようですね……私らしくなく、反省しなければなりません。


「後ろの二人は誰だ?」


「……関係のない方々です」


「……っあ」


「……」


 あぁ迂闊でしたね、まだ彼らが着いて来ているではないですか……正樹さんも私と彼らを交互に見て難しい顔をしなくてもいいですから、無視してください。

 もうさっさと行きましょう……どうせもう少し進めば彼らは中学校に行くために別れるのですから、それまでの我慢です。


「そういえばKSOがスラムの奴らに無料で環境を与えてゲームをさせてるって知ってたか?」


「……いえ知りませんね、そうなのですか?」


「あぁ、なんでもゲームで稼いだ額と同じだけ現金に換金する。ただし定期的に設けられる期限までにカルマ値がマイナスだと留置所送りだとさ」


 気を利かせたのかは知りませんが、正樹さんが話題を変えてくれましたのでそれに乗ります……正直あのゲームの運営が何をしようとそれ自体にはあまり興味はありませんが、ただのゲーム会社が何故そんな事をしてるのかは気になりますね。


「んでもって、一定の額のお金とカルマ値を稼いでサービス終了までいられたら上層に住めるんだとさ」


「……へぇ」


「一般人や富裕層だけでなく、貧困層のサンプルも必要……らしい」


 なるほど、確かこのゲームの理念というか開発目的は『究極の人間観察』でしたか……現実の法に抵触するようなものでない限り、あらゆる言動が運営によって黙認されます。

 そのため限りなく際限のない自・・・・・・・・・・を与えられた時、人はどんな行動を取るのか? 本当に理性を持って行動できるのか? などなど色々な行動を観察するのが目的らしいですので、餌をぶら下げつつ貧困層に対して「目先の金」と「いつになるか分からないお金以上のもの」のどっちを取るのか、また我々ほどお行儀良くお金稼ぎはしないだろうという事でしょうね。

 そして留置所送りも、身分がはっきりとしない過激な思想を持った危険人物を炙り出したと言えますし、所詮はスラムの住人ですから誰も文句言わないのでしょう。……彼らを上層に招く事の危険性も訴えられる事にも使われるのでしょう。

 ……なにやら既視感のある手口ですね。


「そんでKSOに資金援助してるのがお前の家なんだが、何か知らねぇか?」


「……さぁ? あの男の考える事なんて知りませんよ」


 私があの男の近況なんて把握している訳が無いじゃないですか、資金援助している事も初耳ですよ……まぁ大方新技術に対する投資、倫理的に問題があって財務省としては予算が出せない研究に対する個人的な出資・・・・・・、それによる党内野党である過激派である吉田派閥に対する恩の押し売り、また実験の結果如何では政敵である融和派に対する攻撃や反撃の材料にでもするつもりでしょう。

 日本全国に五千万人……暗数も含めればそれ以上のスラムの住人を上層に受け入れれば、ワクチン等を受けられていない彼らからパンデミックが起こりますし、財務省としては全員のワクチン代なんて出したくないでしょう……ですが融和派は「同じ人として」等と、現実的ではないけれど否定しづらい綺麗な言葉を並べてきますから、スラムの住人の彼ら自身に問題がある・・・・・・・・・・と証明する必要があるのでしょうね。

 ……あの男がやりそうな手口です……一手で色んな事柄を自分の有利に進めたがるあの男の事ですから、まだ理由はありそうですね。


「あ、あの! お父様なら最近ゲームに興味があるって言ってました!」


「お? ……お前ら姉弟だったのかよ」


「違います」


「……ふーん」


 正樹さんにはちゃんと否定しておきましょう、彼にこの二人の姉と思われるのは嫌ですからね……ですが、そうですか……計らずともあの男がゲームに興味があるという事が判明してしまいましたね。

 まさかとは思いますが、個人的な興味もあって出資を? ……いえ、違いますね。彼ら二人に対する方便でしょう。あの男が溺愛している彼らに自身の汚い部分を見せるはずがありません。


「れ、れ、れ……んんっ! 一条は」


「玲奈で良いですよ」


「……れ、れ、玲奈……さ、んは」


「呼び捨てで良いですよ」


「……玲奈は昨日の夕飯は何を食べたんだ?」


「? ……ビーフシチューでしたが、それが何か?」


 いきなり話題が変わりましたね? いきなり私の昨日の夕飯なんて聞いてどうすると言うのでしょう? たまに正樹さんの考えてるい事が分かりませんね。


「そんなもん食ってんのかよ、俺なんかファーストフードで済ませたぞ? ……美味かったか?」


「……特には」


「ふーん……お前らはどうだった?」


「ぅえ?! あっ、えっと……とても美味しかったです!」


「あ、義姉上もちゃんと完食してたくらいには美味しかったですよ」


「なんだ、ちゃんと食ってんじゃねぇか」


「……」


 ……まぁ不味くは無かった事は否定しません。


「あら正樹じゃない」


「おう、お前らもこっち来いよ」


 そんな会話を正樹さんとしていると、彼のパーティーメンバー……というか友人達も合流して来ましたね。

 ……そして正樹さんは彼らに二人を紹介しつつ私を遠ざけます……この人は本当に不器用な方ですね。


「それでよ! この前なんかこのクソ女に機嫌が悪いからって出会い頭にキルされてよ〜!」


「……さ、さすが玲奈ちゃんね」


「機嫌が笑い時のアイツは何するかワカンねぇからなぁ…………だから今はやめとけ(ボソッ」


 何やら私が貶されている気がしないでもないですが……正樹さん達が二人の気を引きつつ、私を集団の先頭に追いやる事で幾分か落ち着いて来ましたね。……正樹さんが二人の肩に腕を乗せながら小声で何か言っているのはこの際です。気にしない事にしましょう。


「あ! 玲奈さ〜ん!」


「……舞さんと結城さんですか」


 同じクラスの友人二人とも合流しましたね、学校が近い証拠です……足早に逃げる様にして二人の所へと赴き、軽く挨拶してから他愛のない会話をします。……できてますよね? 話題選びは『普通』ですよね?


「今日は良い日! 玲奈さんがいっぱいお話してくれる!」


「今日は槍でも降る──ごめんなさいごめんなさい」


 ……どうやら話題選びを間違えたのは私ではなく結城さんの方だったようですね? 何かを言いかけて舞さんに首元を掴まれて揺さぶられていますね……まぁ彼はいつも話題選びを間違えているらしいですが。


「仲良くしてぇんなら後ろから観察しとけ」


「そうそう、彼女と正面からぶつかって仲良く出来るのなんて正樹くらいよ」


「……別に仲良くねぇし」


「はいはい。……まぁ止めはしないけど、彼女とぶつかるなら気を付けてね?」


「あ、ありがとうございます……」


「すいません、色々と……」


 そういえば先日でしたか、確か舞さんが今日は駅前でクレープ屋さんがリニューアルオープンするので一緒に行きましょうとか言っていましたね……初日は混んでいそうですが、今日は遅く帰りたい気分ですし誘ってみましょうか。


「そういえば玲奈さん、今日駅前のクレープ屋さんがリニューアルオープンするんですけど一緒に行きませんか? ……ユウの奢りで」


「なんでよ?!」


「……この前の罰」


「うっ……はい」


 ……私の方から誘うまでもありませんでしたね、彼らはいつも積極的に行動を起こしますから。……にしてもまた結城さんは何か舞さんにやらかしたのですか、彼も学習しませんね。


「それでは放課後! 絶対に一人で帰らないでくださいね!」


「えぇ」


「うふふ〜、玲奈さんとクレープ楽しみ〜」


「……お小遣い足りたかな?」


 気が付けば雑音を放つ二人の事をすっかりと忘れたまま私は通学路を歩きます。


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