第165話老いた指導者
「……皆の者、下がれ」
「は?」
ほんの数日前に起きた渡り人達による内ゲバの処理についてを重役達と話し合っていた途中で、懐かしくも以前よりも禍々しい気配を隠そうともせん少女がこちらに向かって来ておるのに気付き、声を掛ける。
「しかし中央政府からの攻撃に対しての議論が……」
「すまんな、大事な客人が来る」
納得はしていないだろうにワシを信頼してなのか、素直になんの疑問も持たずに退室していく彼らの背に、申し訳ない気持ちになりながらも……覚悟を決める。
「……で? なんの用じゃ?」
「あら、バレてましたか」
「隠れる気も……なかったじゃろ?」
まったくどこから入室しとるんじゃ、この娘は……この部屋は三階じゃぞ? 若い娘が足を大きく上げて部屋に入り込んで来るなど……いや、こやつについては今さらなようなものじゃな。
「それで? 敬虔なる信徒を扇動し、中央政府への憎悪を煽った理由を聞かせてくれるかの?」
王太子が死んだ事も、第二王子が次期王位確実な事も……初耳じゃが事実ではあるのだろう。……だが、第二王子が王太子を殺した事、第二王子の差し金で渡り人達がこの街を襲ったというのは……この少女の嘘であろうな。
「? それが気になっていたんですか?」
「……そうじゃな、クレブスクルム様の信徒を扇動し、なにを企む?」
やはり、ロノウェの奴が警戒心を隠そうともせんかったのは正しかったのかも知れんの……だからと言っても、あの時は既に《海神の司祭》の権能はバカ息子に移っておった……ワシにできる事など無かった。
「答えによっては──今回は消すぞ?」
「……」
後継者たるロノウェが死んでから七日……ワシの身に戻った《海神の司祭》としての権能、歴代の継承者と──ロノウェの記憶。……この前の時よりも禍々しい混沌の気配を思えば、ロノウェの奴と戦った時よりも手札は増えておろうが……その短刀や鎧、生きておる事は知っておるぞ。
「そんなに睨まないで下さいよ、私はただ……心の赴くままに、自由に……行動しているだけですよ?」
「……」
心の赴くままに、自由に……か、その考え方はクレブスクルム様の御心に沿うものであるというのに……なぜじゃ、なぜなのじゃ……なぜこれほどまでに《海》と相性の良いこの娘が混沌に堕ちた? ……ロノウェの記憶を見ても、分かりはせん。
「そうですねぇ、強いて言うのなら──」
果たしてこの娘を救う方法はあるのだろうか……広大で、全てを受け入れる海であっても救う事など出来ないのじゃろうか。……いかんな、この娘は既に《海の敵》だと言うのに、歳をとると異端にまで甘くなってしまうわい。それに、今はこの娘の企みを聞くのが先じゃわい、その小さく艶のある唇から紡ぐ次の言葉はなんなのか──
「──建国しませんか?」
「……なるほどのぉ」
建国が目的であるならば、中央政府に対する憎悪を煽るのも分断工作の一つと言えよう……既にこの娘の求心力は無視できないレベルにある。……それに加えて中央政府はワシらから信仰や自由を搾取する前領主一族を放置しておった……この状況で第二王子からの大規模な攻撃、それをまた救ってくれた美しい女……もはや愛おしき信徒がどちらを選ぶかなど、明白じゃな。
「どうです? 既にバーレンス辺境伯とは話が付いています、貴方が頷けば王国から海を完全に奪えます」
「……」
バーレンス辺境伯、か……確かそこでもこの娘はロノウェの様な若い芽を摘み取り、混沌に堕としたのだったな。もはやあの領地に秩序は無かろう……そのような所と共謀して、一時的に生き永らえたとしても……ワシの信仰は守れん。
「……………………しかし信徒は守れる、か」
「? なんです?」
指導者たるワシ自らクレブスクルム様への信仰の誓いを破るなど……若い時分には考えられんかったな。……しかし、ワシは信徒である前に指導者。一人でも多くの信徒が生き残れる道を……選ぶ、か。
「まぁ、良いです……そうですね、三日ほど猶予をあげます」
「……三日?」
「えぇ、明日には渡り人同士の集まりがあるので……余裕を見て三日です」
最後に会った時も同じ事を言っておったのぅ……この前の騒ぎといい、渡り人とやらは本当にお祭りが好きな集団なのかのぉ。……まぁ、そうじゃな……三日もあればワシの覚悟も、そしてブランクも……埋められるじゃろう。
「では、私はこれで──」
「──最後にあの姉妹に会っていかんか?」
「……姉妹?」
「あぁ」
また会わないまま出ていくつもりか? あの後、お前さんが何も言わずに出ていってしまったせいで、妹のニアが酷く泣き叫んでおったぞ? ……それに、あの姉妹に会えばこの娘の考えもなにか変わるやも──
「──誰です?」
「──」
……………………あぁ、そうか……そういうことなのじゃな? お前さんは本当に…………救えん奴じゃ。所詮はあの姉妹もお前さんにとって道具でしか無かったと……。
「姉妹、姉妹……はて?」
「……」
「…………あぁ、あの〝奴隷〟の姉妹ですか」
「…………もうよい」
やっと思い出したとばかりにこの娘が放ちおった言葉に……我らに対する侮辱とも言うべき〝奴隷〟という言葉に──
「どうかしましたか?」
「なんでもない、それよりも三日もいらんよ」
「? どういう事です?」
「ワシらは建国に協力しようではないか、これからは……いや、これからも共に戦う同志よ」
──ワシの覚悟は今、決まった。……もはや目の前の若い芽を、姉妹や子ども達の懐く少女を、一時とはいえ事実として我らを救ったこの娘を……摘み取る事になんら躊躇はない。
「渡り人同士の集まりとやら、しっかりとこなして来るが良い……こちらでも建国の準備はするでの」
「そうですか? ありがとう存じます」
「なに、気にするな……これも信徒を生かす為じゃ」
建国に協力はしよう、信徒を生かすために信仰の誓いも破ろう、大地に跪き、靴すら舐めて見せよう……だが──
「それでは私はこれで」
「あぁ、達者でな」
──この老いた指導者の命と引き換えにその首……獲らせて貰う。貴様はもはや、明確に秩序の敵である。
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