第161話一条直志の生活

「本日のご予定ですが──」


ただ機械的に、淡々と、今日の予定を述べる秘書の声を聞き流しながら朝の廊下を歩く……今日の予定そんなものは既に頭に入ってるし、忘れたくても忘れられるはずもないが、一応の確認というものを怠ってはいけない。


「…………今日は別邸から出るな」


「…………そうですか」


途中なんの用事か、珍しく朝早くから本邸に来ていた玲子の忘れ形見にすれ違いざまに釘を刺しておく……今日は大事な客人が来る予定が入っている。この前の姉小路伯爵のような身内ではない。


「……」


そのまま顔色を一つも変えずに去っていく奴がまったく面白くない……監視を常に付けてはいるが、少しも安心はできない。何を考えているのか定かではない……玲子に関する事になら、酷く感情的人間的になるのだがな。


「……みんな、揃っているのか」


「お父様!」


「……父上、おはようございます」


「あぁ、おはよう」


息子の朝の挨拶に返しながら頭を撫でる。微妙に気恥しそうでいて、迷惑そうな顔を見ながら……もうそんな歳ではなかったなと、遅れて気付く。だがこれはもはや癖だ、日常の一部だ……息子本人から明確に拒絶されるまでは続けても良いだろう。


「お父様、ご相談が……」


「なんだね?」


息子の次は娘の頭を撫でる……優しく、優しく、壊れないように、労わるようにして、撫でる。息子と違い素直に目を細めるのを見て、やはり父親にとって娘とは特別・・なのだと再認識する。


「お、お義姉様の事について──」


「──そういえば山本、今日はピアノの発表会だったな?」


「…………えぇ、そうでございます」


そうだそうだ、今日は娘と息子のピアノの発表会があるのだ……早めに仕事を終わらせて見に行かねばなるまい。この子達には普通に……そう、普通に健やかに育って貰わねばならない。


「さぁ、朝食を摂ろう……席に着きなさい」


「……はい」


長テーブルの上座に座り、その右に妻、左に息子、娘の順に着席した後に朝食が運ばれてくる……また、一日が始まる。


▼▼▼▼▼▼▼


「総理、この難民問題に対してどのような政策を?」


「う、うーむ」


時刻は午前十一時頃。岸根内閣閣僚が勢揃いして、ある議題について政府の方針を話し合っているのを冷ややかに見詰める。……この総理は人間性に問題はないが、メンタル面が弱く、そこまで優秀でもない……が、悪い人間ではないので自然と人が付いてくるタイプだ。……ハッキリと言ってあまり好きではない。


「既に中東ではかなりの国が財政破綻しており、国を失った難民達が遠い我が国に対しても受け入れを求めております」


「しかしなぁ〜」


人類のエネルギーが石油から月に移行してから久しい……太陽の中の核融合反応によって生まれるヘリウム3という物質。太陽風に乗って月が生まれてから四十五億年もの間、月の表面の砂レゴリスに吸着し続けていたそれヘリウム3を水素の一種である重水素と核融合する事でヘリウム4となる……この時に飛び出す陽子が膨大なエネルギーを生み出す。核融合は原子力核分裂に比べて発生できるエネルギーが多く、また放射能も少ない。


「まだ残っている中東の国々に対して財政支援などは……」


「はぁ……総理、いいですか? 稼ぎの大部分を占めていたエネルギー産業が用済みになり、ハイテクやIT産業も先進国に遅れをとっている中東の国々に、たかだか財政支援しただけで難民の面倒を見切れるはずもないでしょう?!」


月に埋蔵するヘリウム3を含めたエネルギー資源……その全てを使い切るのに全世界の電力を賄ってもまだ数千年は持つ。しかしながら月の権益・・・・を持っているのは日米中がそれぞれ二割、EUが共同で二割、イスラエルとインドがそれぞれ一割ずつ……先の大戦の結果として占有している。

もちろん大国のみの独占を防ぐために、ヘリウム3の禁輸や値上げなどは国際法によって禁じられてはいる……が、そうはいっても得られる利益は大きい。他の国に先立つ技術などが無いだけならまだ良い……しかし石油に拘ったあまり、ヘリウム3への移行が遅れた国々は中東を含めて早々に破綻しているのが現状だ。


「難民が可哀想だ、受け入れるべきだ、これらの声は理解しているが……しかしだなぁ」


「月を独占している大国としての責任を果たすべきです、総理! 特にEUからの圧力がかなり大きい」


「う、うーむ……一条君はどう思うかね?」


ここで私に振るか、無能め……岸根総理の行動によってこの場にいる人間が自分に注目しているのが分かる。……まぁ良い、トップに立つ人間は問題が起きた時に、最終的な責任さえ取ってくれればそれで良い……無駄に知識がある方が変に現場に口出しをして掻き回す事がある。それを考えれば働き者の無能でないだけ、マシだな。


「確か神奈川県が難民の受け入れに積極的であったはずだ、そこに税金の無駄と思わせるような……大きい難民収容施設を造る」


「……それがなんになると?」


「一条財務大臣! そんな物は地域住民からの反発が必至です!」


「それが狙いだ、彼らには大いに反発して貰いたい」


「……どういうことです?」


難民を受け入れるべきだとする国民の数が神奈川県はかなりの人数に上り、その数字は七割を超える。……であるならば、横浜辺りに大きく、わかり易い難民施設を建てると宣言する。


「反発するのなら、口先だけだとSNS等を使って世論工作をする」


「……」


「税金が無駄なんだと、論点を変えるのであれば彼らの家にホームステイさせると言えば良い」


日本は外国人に対してかなり臆病だ……それは決して排他的などではなく、ただ単に慣れない者への恐怖心からだ。画面の向こうで『この人達が可哀想だわ』などと単純に感動ポルノとして消費する分には良いが、本当に自分達の街へ大量に流入するとなると途端に手の平を返すだろう。

そこをネット等で叩かれれば、その施設の大きさに目を付けては『税金の無駄だからだ!』と論点をズラすだろう。『なにがなんでも助けてあげるべき』等と言っておきながら、ケチな事を言う。


「神奈川県は七割の人間が受け入れに賛成と聞く、ならば十人に七人の国民の家に一人は受け入れられると主張すれば良い」


「……それは、あんまりでは? 関係のない他の県からも批判が来そうですが?」


「それこそ、歓迎すべき事柄だ……我が国の民意は『受け入れない』だ」


「『……』」


難民を受け入れる事に積極的に賛成の地域であっても『税金を掛けたくない』、『自分の家に入れたくない』……等という事実が浮き彫りになり、他の県からも無理やり『受け入れさせるのは可哀想だ』との声が上がれば最高だ。……我が国民は難民よりも同じ日本人の方が可哀想に映るという事だからだ。


「それら全てを終えた後に国民投票でも開催し、民意を完全なものとすれば良い……民主主義国家らしいではないですか?」


「……うーむ、一条君の案を採用しようかな」


「総理ッ!!」


「だって、他に外圧や国民の声を躱せないでしょ?」


目の前の机に出されているお茶を口に含む……大分温くなってしまっているな? 午前十一時頃に始まったこの会議に思いの外、時間を食われているらしい。


「結論が出ましたね? ……それでは私は大事な用事があるので一足先に」


「あぁ、一条君! 用事は分からないけれど、午後の予算委員会には来てくれよ!」


「えぇ、もちろんです」


神奈川県に支持基盤があるリベラルの塚本国交大臣の鋭い視線を背後に受けながら退室する……総理が内閣内のバランスに気付かぬ無能で良かった。これで同じ党内の政敵をまた一人蹴落とせる。さて、彼にはどんな失言・・をして貰おうか……。


「……この義足も古いようだな」


杖を突いて歩きながら右脚の違和感が無視できないレベルにある事を悟る。そろそろ新しい物に替えるべきだが……これは玲子が私に選んでくれた物、再度修理に出して使うとしよう。山本にその間の代替品を手配させねばならんな。


「さて、小鞠と正義はどれほど上達したのか……」


娘と息子のピアノの発表会へと出席するべく、秘書の運転する車に乗り込みながら……一条の家に相応しいだけの技術を身に付けているのかを思案する。


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