第5話「作家少年と商業作品」

「宮野くんっごめんなさ~い! 会議が長引いちゃって」


「いえいえ、こちらこそお忙しいのにありがとうございます」


 家の近くの喫茶店で待っていたところ、待ち合わせに10分遅れて慌てて入って来たのが僕のWeb小説を書籍化してくれたレーベルの編集者である雨音燈子あまねとうこさんだ。


 最初は雨音さんからペンネームでしかもミヤタ先生って呼ばれてたけど、学生の自分が他人から先生と言われるのにはかなりの抵抗があったので、先生なんて付けずに本名で呼んでもらうようにお願いした。


 それに実際にウチの学校には宮田先生っていう現国教師がいるから、なんかそれと被っちゃってとにかく違和感バリバリだったんだよ。


「次刊の初稿を読ませてもらったよ~。かなり良い感じだね。細かいチェックはまだだけど、大筋はOKだし、これならそれほど改稿する必要がないかもね」


「それは凄く嬉しいです。一巻のときは僕のワガママでとてもお手数を掛けてしまいましたから」


 Web小説を商業用に書籍化するときはまず文庫を読む読者のニーズに合わせて『売れる』ように内容を改変しなくてはいけないわけで、レーベル編集者はまずそこを指摘する。


 しかし初めて書籍化の打診を受けたそのときの僕にとって、今までカクヨム上で書いていたその作品の設定やキャラクターに愛着があったのでそう簡単に変更するというのは躊躇われた。


 サブキャラなどはまだ良いとしてもメインヒロインなどは『この作品にはこのヒロインしか考えられない』という自分の中にガッチリとした概念が既に存在していたため、ヒロインのキャラ設定を弄るというのはどこか自分の恋人を変えてしまうみたいな忌避感があったのも確かだ。


 そんな商業用としての小説作品の在り方をレーベル編集者の雨音さんが懇切丁寧に教えてくれたんだけど、自分の作品に対する気持ちが強くて改変の一部を受け入れられなかった僕との折り合いを一生懸命考えてくれた。


 普通なら『改変できないなら書籍化は諦めて下さい』と言われても仕方がないのに、それでも雨音さんは粘り強く僕を説得してくれて、その上最後はヒロインをそのまま使いたいという僕の気持ちを汲んでくれたんだ。


 一巻の売り上げの初動が二巻目が出せるギリギリのラインだったのは、間違いなく僕のワガママの責任なのだと思う。


「宮野くんはまだマシな方だよ。どうしてもWeb小説の書籍化ってたくさんの人に読まれていて既に評価されていることもあって頑なに変えたくないっていう人も多いから、中には本当に改稿の話になると耳を貸してくれない先生だっているんだからさ」


「そう言って頂けると気が楽になります」


 まだ駆け出しにも満たない書籍化作家の僕なんて、ほとんどWebで書いてた趣味作家と違わないのでその先生気持ちも凄くわかる。初めてコメントをくれた人とか応援してくれた人のこととか今でも覚えていて、そんな人から『異世界旅人のヒロインって落ち着いていて凄く好きです』なんて言われるとどうしても『もうこのヒロインしかいないっ』ってなっちゃうんだよね。


 雨音さんが『WebはWeb、書籍は書籍って気持ちを切り替えていかないとこの先キツイよ、しんどくなるよ」って、とても親身になって教えてくれたから、今はそれほど改稿に抵抗はない。


 そして僕よりWeb版の内容に固執する人がいるのも確かなようで、カクヨム以外のWeb小説サイトには表紙の絵をつけられるところもあって、そこの作品に書籍化の打診をしたときに『ファンアートを描いてくれたイラストレーターさんを使ってくれなきゃ書籍化したくない』って、打ち合わせの最終段階でお流れになった例もあったらしい。


 その気持ちもわかるけどね。ファンアート貰ったらめっちゃ嬉しいし。


 書籍化の際の僕も色々とワガママを言って多少なりともそれを通してもらったんだけれど、結局、正に雨音さんに言われた通り二巻目が出せるギリギリの初動になってしまったんだ。しかし、それでも『最低ここまで改稿してもらえたらギリいけると思う』とそのギリギリのラインを見定めた雨音さんのプロの編集としての眼識と経験は流石だと思わされた。


「一巻目は危うかったけど、この二巻目の内容ならかなり巻き返せると思うな。今回の新キャラの年下キャラがヒロインの幅を広げていてハーレム要素に深みが出てるからね。……何か心境の変化でもあったの? 今までのヒロインはこぞって年上キャラばっかりだったのに。宮野くんは私みたいなお姉さんにしか興味がないと思ってたよ」


 はい、そうです。正直言うと二十代後半で僕みたいな子供にも気を使ってくれる優しい可愛い系のお姉さんなんてドストライクですっ! しかも僕好みのゆるふわボブのヘアスタイルと来たもんだ。これが書籍化の打診としての出会いでなければ僕はのっけから雨音さんの下僕になっていたことだろう。


「いえ、その……心境の変化ってわけじゃないですけど、以前から雨音さんに僕の弱点だって言われてたキャラ個性の多様化に挑戦してみたくて」


 年上好きの僕がどうして二巻のサブヒロインに年下キャラを登用したのかという、明確な理由が見つからず差し触りのない返答をしてしまった。実際に気がついたときにはそういうプロットなっていたんだ。


「それに主人公のヒロインたちへの感情も今までは友情とか家族愛みたいなかんじだったけど、二巻から徐々に恋愛感情が交ってくるようになったのも良いと思う」


「それも多分雨音さんからアドバイスを頂いたからだと思います。Web版ではスローライフハーレムに恋愛感情を持ち込むとどうしてもヒロイン間にギスギスしたものができてしまってほのぼのした雰囲気が壊れると敬遠していましたけど、やっぱりプロ作家になった以上はいくら書きにくくても逃げてはいけないって思ったんです」


 主人公と主人公ハーレムの面々がずっと仲良しこよしでいたらいつまでたってもドラマは生まれない。スローライフだからってラブコメ要素を最後まで停滞させていたら物語が終わらない、その点の雨音さんの指摘は本当に僕の胸に刺さった。


「あのね宮野くん……ちょっとだけ偉そうに言わせてちょうだい。今の貴方は他の大多数のWeb作家と一緒であくまでも副業作家でしかないの。貴方は学業が本分、他の作家さんたちは本業の他の仕事をしながら小説を書いているのよ。今の作家さんたちの大半はそんな感じなのね」


 雨音さんが僕の目を見据えて話を続ける。


「でもね、貴方が今の高校もしくは進学した大学を卒業したのちに物書き一本で食べていきたいのなら異世界ファンタジーだけじゃなくて色んなジャンルを書けるようになっておくべきだと思うの。特にライトノベルでのラブコメは王道よ。今は勢いがある異世界ファンタジーが売れているけど、ライトノベルの歴史を長い目で見ると絶対に学園ラブコメには勝てない。その上ラブコメ要素ってどんなジャンルにも応用できるし、物語の中核を担う要素でもあるんです」


「それにねレーベル編集者の私がこんなこというと編集長に怒られちゃうかもだけど、ラブコメがどんなジャンルにも応用できるってことは、ラブコメ作品の実績があればライトノベル以外のゲームシナリオとかノベルアプリとかの仕事だって入ってくる可能性があるのよ」


「私は二巻初稿を読ませてもらったとき宮野くんにはラブコメが書ける才能があると思ったわ。もちろん恋愛が肝になるからもっともっと勉強しなきゃダメだけど、今刊行している『異世界旅人』を続けながら、高校生のうちにラブコメの長編を一作書いてみたらどうかしら?」


 雨音さんが僕の将来のことまで考えてくれて、将来的には物書きだけで食べていけるような作家になれるかもしれないと評価してくれていることに涙が出るほど嬉しかった。


「はいっ。雨音さんに認められるような作品が書けるかわからないですけど、いつかラブコメに挑戦してみたいと思います……絶対!」


「そう、良かった……」


 雨音さんは肩の力が抜けたように、少し前のめりになっていた体の重心を椅子の背もたれに戻した。


「あっ、きたきたっ。私がカウンターを通るときに注文したおいたのよ。ここのアップルパイは絶品だから食べてみて」


 喫茶店のウェイトレスがテーブルに並べたアップルパイから焼き立ての香ばしい香りが漂って来て確かに美味しそうだった。


「ん! 本当に美味しい! 今まで冷蔵のアップルパイしか食べたことなかったけど、焼き立てってこんなに美味しいんですねっ……持ち帰りに買って帰ろうかな?」


「それならこの燈子お姉さんにまかせなさい、どうせ経費で落とすんだから一緒にお支払いしておくわ。本当はお土産なんて認められてないけど、打ち合わせ中にここで食べたことにしておけばバレやしないわ」


 こうして異世界旅人の二巻目の内容の解り辛い点や細かい調整の打ち合わせをした後にお土産としてアップルパイをいくつか持たせてもらったんだけど……本当に良かったのだろうか。


 確かに今まではお土産代も飲食代も見分けがつかなかったかもしれないが、今月から消費税増税の関係でレシートには軽減税率が適応されない持ち帰り分がはっきりと分けて表示されるからね。

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