私は崇高なる猫様。犬っころとは違うのである。
「あー、帰りたい」
何いってんだこいつ。ここが家だぞ。
社畜は起き抜けにどんよりした顔でそんな事をぼやいていた。家にいるのに帰りたいとはどういう事なのだろうか。
「もういっそさぁ、インフルにかかればしばらく会社行かなくていいと思うんだぁ」
その代わり病気に苦しむことになるぞ。金もかかるぞ。収入も減るぞ。それでいいのかお前。
仕事行きたくないなー。とグダグダ言いながらも準備をするその姿は社畜の鏡。生きるために働く社畜はちょっとかっこいいぞ。
私は社畜を見送った後、少し眠って、昼すぎになったら大家のオバチャンとおばあちゃんのところに顔を出した。
今日もあいつ来てんだろうなぁ…嫌いとかそんなんじゃないけど……なんかねー…
「んなぁーお…」
「ンミィィ…」
「にゃー」
増えてる。
昨日まで餌をたかりに来るのは灰色猫だけだったのに。
更に二匹増えてるんですけど。三毛猫とトラ猫……奴らは我先にと餌を貪っているではないか。
オバチャンがのんきな声で「あらポンちゃん」と声を掛けてくるが、私は彼女に愛想を振りまくどころではななかった。
おい、灰色猫お前、私の縄張りによくもズカズカ入りおって。仲間を引き連れやがって…! 入りたいなら一言私にお伺いを立てるのが筋ってっものだろうが。
気に入らん。やっぱり気に入らん。ここは私のシマだと言うのに…!
地面を蹴りつけ、そのまま灰色猫に突進すると、ヤツの頭に猫パンチをお見舞いした。平和ボケしていた灰色猫は目をギョッと見開いた後、なにが起きたのか把握したらしい。目を細め、反撃体制に入った。
フシャーッと威嚇しながら私に飛びかかってきたが、私かて負けない。
ここの主はオバチャン、そして私だ!
お前は何様のつもりだ、初対面から気に入らなかった! 私のおやつを盗むわ、図々しいわ……! ここでいっぺんお前のその態度を改めさせてやろうではないか!
「あらあら! ダメよポンちゃん、灰色ちゃん。餌ならたくさんあるから喧嘩しないの」
オバチャンはなにかを誤解している。
私は餌を求めているのではない。
ここで一度どちらの立場が上なのかをはっきりさせる必要性があるのだ。
「ミギャーッ!」
「ンナァーオン!」
私と灰色猫のネコ内戦は再度勃発した。
■□■
クッソ…イッテぇぇ…
私と灰色猫の内戦は引き分けに終わった。喧嘩を売ったことをオバチャンから怒られてしまって二重に心と体が痛い。
オバチャンは理解してくれないのか。猫様には譲れない物があるのだ。
やさぐれた私は大家のオバチャンの庭を離れ、外へ出てきた。社畜には「危ないから外に出ちゃダメだよ」と言われているが、私は時折こうして外を散歩することがある。
ちょっと遠出するのだ。私が育った、あの河川敷まで。私の家族が戻っているのではないかって希望を抱いて。
怖い人達に連れ拐われてしまった家族達が、奴らの拘束を解いて逃げ出しているんじゃないかという一縷の望みを捨てきれないのだ。
「ニャーオ!」
母猫、兄弟猫どこにいるんだ。
あちこちうろついて声を掛け続けたけど、返事は返ってこない。
今日もいなかった。
私はしょんぼりと耳と尻尾をヘタれさせた。のそっとその場に座り込むと脱力する。
…会いたいな。…もう会えないのかな…
あの日私は何も出来なかった。家族猫たちが拐われているのに、恐怖で固まっていただけ。……私は臆病者だ。自分だけが助かって、優しい人間に拾われて……
ごめん、ごめんね母猫、兄弟猫……
あの日と同じように、河川敷の雑草が生い茂る場所でうずくまっていた。少しだけ感傷に浸らせてくれ。まったくもって私らしくはないが、私かて家族愛はある。……寂しいし、悲しいのだ……
私は目をつぶり、家族猫たちの姿を思い描く。ささやかだが幸せな日々。あの日にはもう戻れない……
──バタン!
車のドアを乱暴に閉める音が聞こえた。私の意識は家族猫からその音に持っていかれた。
河川敷のここは夕方になると人通りが増えるが、日中はそうでもない。絶対に誰も来ないわけではないが…珍しいなと思って顔を上げた。
「早く捨ててこいよ」
「うぅ…ごめんね、ごめんね」
2人の人間がそこにいた。泣きながらダンボールを抱えた女が、それを河川敷の隅、ひと目のつく場所に置いていた。
ゴミの不法投棄か?
私は目を眇めて彼らを観察した。
「早くしろ!」
女は名残惜しそうにしているが、同行者の男に怒鳴られてビクッと肩を震わせていた。彼女は最後までダンボールの中身に「ごめんね。ごめんね」と謝ると、車に乗ってどこかへと立ち去っていった。
ブロロロ…とエンジンを吹かす音を後にして車は立ち去った。私の存在には最後まで気づかなかったようである。
人間どもが立ち去ったのを見計らって、私はのっそり立ち上がると、そっとダンボールに近づいた。あの人間、謝りながら捨てていたな。どんな物を捨てたのか興味が湧いたのだ。
私はダンボールの中を覗き込もうとダンボールに手を掛けた。
…すると、なにかがピョコッとダンボールから顔を出したではないか。驚いた私は慌てて手を引っ込める。
「わんっ!」
「……」
…犬だ。
まごうなき犬だな。
子犬だ。私とそう大きさの変わらない子犬。多分ミックス犬だ。
黒目がちのその瞳と私の翡翠の瞳がかち合う。その表情は今しがた捨てられたとは思えないくらい無邪気で、明るかった。
おい、お前捨てられたんだぞ。飼い主を追いかけなくて良いのか? そう問いかけたが、飼い主のことは眼中にないようだ。
犬はダンボールから出ようとよじ登り、箱が身体の重さに耐えかねて傾いたことでドテッと地面に倒れ込んでいた。
だが痛みなどを感じていないのか、すぐに立ち上がると、しっぽを振って私に近づいてくるではないか。
前屈姿勢になり、私の周りをチョロチョロする犬。遊ぼうと誘っているようだが、生憎私はそんな気分ではない。
私は犬ではないのだ。気高く尊き猫様なのだ。人間に服従し、媚びへつらう犬っころとは身分が違う。
立場をわきまえよ……犬。
私がそっぽ向いてツンと無視していたら、犬が突進してきた。
ムカついたのでひっぱたくと、犬が吹っ飛んだ。地面の上に転がった犬はポカーンとしていたが、「何今の遊び! もう一回!」と嬉々として再度突っ込んできた。
私は猫様ぞ!
お前ごとき犬畜生を相手するような立場じゃない! 弁えよ! おい!
馬鹿なのか、アホなのか。どんなに蹴散らされても犬っころが突っ込んでくる。あまりにもしつこい。その姿はまるでかまって状態の社畜である。
お前は何なんだ本当に!
私は、空が夕焼け色になるまで、ワンコロの相手をし続けたのである。
■□■
アパートの一階部分に大家さんの家があって、社畜が借りている部屋はその隣にある。私は普段ベランダを通って大家さんと社畜の部屋を行き来している。
今日もベランダから帰宅した。窓の鍵が空いているのは不用心だが、そこはあれだ。隣に常駐の大家のオバチャンの家があるからってことで。…窓など猫様にかかれば簡単に開閉できるのである。
「……ポンちゃん、このワンちゃん、どこの子の…?」
──知らん。勝手についてきたんだ。
私は疲れていた。長時間コイツの相手をし、家に帰ろうとすればついてくるし。家に入ったら私にピッタリくっついて、勝手に毛づくろいしてくるし。
もう訳がわからない。
今日も働いてきた社畜は疲れ切った顔をしていた。だけどいつもより表情は明るい。なんたって今日は金曜の夜だからである。コンビニで酒とつまみなどを購入しており、今夜は酒に溺れる予定らしい。
そんな社畜だが、さすがに知らない犬がいたらびっくりするよなそりゃ。
犬は社畜が帰ってきたことに反応すると、立ち上がり駆け寄る。戸惑っている社畜の膝にすがりついていた。
尻尾振ってら。遊んで、構ってと訴えているようである。
この犬は警戒心を持ち合わせてないのか? 人間に捨てられたということを自覚していないのか、飼い主にさほど懐いていなかったのか……
社畜は困惑しながらも犬っころを撫でて相手してやっている。犬は嬉しそうにはしゃいでやがる。
「うーん、野良にしては綺麗にしてるなぁ……でも首輪してないし……ポンちゃん。また外に出たんでしょ。ダメだよ?」
社畜がなにか言っているが知らんふりだ。何も聞こえない。
「仕方ないな。明日飼い主探しのチラシでも作ろう…捨て犬かもしれないけど」
そう言って社畜は犬をひと撫ですると、財布を持って立ち上がった。
「コンビニで犬用の餌買ってくるね。ちゃんと留守番しているんだよ」
おい、ちょっと待て。私の餌の用意がまだだぞ。まずは猫様である私の餌を用意するのがお前の役目であろう! けしからん!!
ニャーミギャー! と鳴いて訴えたが、社畜の耳には届かず。
私の夕飯はしばしのお預けとなったのであった。
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