猫様と社畜〜お前は私の奴隷〜
スズキアカネ
家族を失った日、社畜と出会った日。
「ポン子ぉ、なぁポンちゃん、ポンちゃぁ〜ん」
くたびれたTシャツと短パン姿の人間が猫なで声で呼びかけてくる。デレデレとやに下がった顔をした成人男性を想像してみてくれ。たまに赤ちゃん言葉を使うんだぞ。
……鬱陶しいことこの上ない。
猫用のおもちゃで私を誘おうとしているが、生憎私はそんなチープなおもちゃには引っかからない。
おい、そんなことよりもおやつはまだか。
──パシャリ
「ふふふ、ポンちゃんたのしー?」
おもちゃが邪魔だったので、前足で振り払っていたのが、じゃれているように見えたらしい。
目の前にいる人間は文明の利器であるスマートフォンで私を無断撮影しおった。
…気に入らん。
私は人間に飛びつくと、スマホを猫パンチで叩き落とした。
「あぁーっ! ちょっポンちゃん! こないだもそれやってガラスフィルム割れたんだよ!? ガラスフィルム高いんだよ! 5千円だよ? ポンちゃんのおやつどれくらい買えると思ってるの!」
黙れ社畜。この家では私がルールだ。
私が気に入らないと思えば、常識など簡単にひっくり返るのだ。わかるか? …いや、お前が理解できずともそんな事関係ない。
──私が法律であり、私がこの家の主だ。控えおろう。
ひと仕事を終えた私は、毛づくろいを始めた。
うるさい社畜はスマホの画面を見て「5千円…」とぼやきながらうなだれている。写真を撮るなら、私に貢物をするというのが筋というもの。
それをわからぬとは……呆れた社畜だな。
とにかくおやつ寄越せ。私はチャオ○ゅーるを所望だ。
■□■
「なーぉん」
私は橋の下で生まれて育った。母猫と数匹の兄弟と共に暮らしていたのだ。
暮らしは極めて貧しかった。私ら子猫兄弟達は母猫からの母乳で生き永らえたが、母猫は食料調達に難儀しており、ガリガリに痩せ細っていた。
だけど彼女は決して私達兄弟を見捨てず、精一杯育ててくれた。
ささやかな幸せ、穏やかな日々だった。兄弟猫と喧嘩しては母猫に叱られ、猫好きの人間から食料をもらったら、それを咥えて家族の元へ駆けてく。
皆で分け合いながら食べた。あの時食べたサツマイモは美味しかったなぁ。
だけど、私達を迷惑に思っている人間がいるのもわかっていた。
いつも餌をくれる人に餌を与えるなと苦情を言う人、汚い野良猫だと足を振り下ろす人。顔をしかめて避ける人。
私達はそれから命からがら逃げ延び、ひたすら安住の地を求めてさまよう生活を送っていた。
だけどその生活は突如終わりを告げた。
「ンニャアアアアア!」
「ミギャーオ!!」
兄弟猫達が人間によって乱暴に掴まれて捕獲するシーンを目撃してしまった私は固まっていた。
ひどい、なんでそんな事をするんだ。私達はただ生きているだけなのに。
「フシャー!!」
それに母猫が怒り狂って突進していく。私も加勢しようと思ったけど恐怖で身体がすくんで動かなかった。
そうこうしているうちに母猫まで捕まり、彼らをのせた車が排気ガスを吹き出しながら発進してしまった。
人間の目から死角の位置にいた私を置き去りにして。
一気に家族を失った喪失感で私はその場にうずくまっていた。外に出たらまたあの怖い人間たちがやってきて、今度は自分も連れ拐われてしまうかもしれない。
私は、何もできなかった。自分を生んでくれた母猫を助けることも、兄弟達を庇うこともできずに、ただ呆然としていただけ。
悔しかった。私の小さな体では、あの人間たちに復讐することなぞできない。悔しい、悔しい。人間め、許さないぞ。この恨み、いつか晴らさん。
「なんだぁ? お前ひとりかぁ?」
私が人間に向けての怨嗟を送っていると、呑気に声を掛けてくる1人の人間がいた。
ヨレヨレのスーツに、くたびれた鞄を持つ冴えない男だ。髪は適当に切りそろえ、黒縁メガネを付けたその男は……私に視線を合わせるかのようにしゃがみ込むと、三角座りをした。
「なぁ、聞いてくれるか? うちの部署の上司がさぁ最近変わったんだけど…新しい上司が本当にもう、最悪なんだけど……」
そして勝手に何かを愚痴り始めた。
何だこいつとは思ったけど、私に害はなさそうなので放置しておいた。
「前の部長のほうが良かったよ。ちゃんと分量考えて仕事もらってきてくれたしさ。…俺ら下請けとか立場が弱いのに…。仕事量考えないと絶対に潰れるってのに、自分の手柄になるからって…あのオッサン、鳥のフン頭に落とされねーかな…」
何だその地味な呪い。
どうやら仕事関係でストレスが溜まっているらしい。つまりこいつは俗に言う『社畜』だな。醸し出すその疲れ切った雰囲気が社畜そのものじゃないか。
声的には若いほうだけど、髪艶ないし、顔色悪いし、肌も荒れてるし、随分老けて見えた。
社畜……あまり無理すんなよ。
「だいたいさぁ、こっちも無理だって要望出しているのに、なにが“大丈夫、欠員が出ても、残った人数で回せたじゃないか”だよ。…必死こいて残業して終わらせたんだっつの。俺らのこと駒としか思ってねーだろ……今夜こむら返りにあえばいいのに。精々のたうち回れ」
…人間も大変だな。
人間なら、私達猫よりも生命の危機に瀕しないだろうと思っていたが、種族が違うと悩みの内容が変わるんだな。私は明日の食事と明日無事に生きながらえるかが心配だ。
なぁ社畜よ、お前に情というものがあるならば、コンビニで猫用の餌を買ってきてくれないか。私はそれだけで救われる。
私は猫だ。どう頑張っても人語を話せないので、念を送って社畜に懇願した。
さっきその辺の草を食べたけど、まずくて食べれるものじゃない。腹の足しにもならん。
とにかく腹が減ったんだ。
「お前、おとなしいなぁ。野良だよな?」
私の念は社畜には届かなかったらしい。
おい、やめろ。撫でるな。
社畜は私を抱き上げて膝の上に乗せると、両手でワシャワシャしてきた。…この社畜……この私を撫でるとはいい度胸じゃないか。
「フシャーッ!!」
苛ついた私は社畜の顔を殴った。
「うわっ何!? ここ撫でられたくないの!? 嫌なの!?」
猫パンチをしたが、爪は出していない。せめてもの情けだ。ありがたく思え。
素早く社畜の膝から降りると、私は歩き始めた。
「? そっちにお前の寝床があるのか?」
馬鹿め。察しの悪い社畜をコンビニまで案内してやってんだ。その位わかれ、この社畜め。
呑気に「お散歩かー?」と社畜はどこに向かっているかも理解せずに、のこのこ着いてきた。
そうしてたどり着いたのは、24時間営業のコンビニ。真っ暗な夜でも煌々と輝く、社畜達のオアシスだ。
疲れ切った社畜達がここに入っていくのをよく見かける。こいつもここが大好きなはずだ。
私はコンビニ前の駐車場に座ると、社畜を黙って見上げた。社畜は私を見て、コンビニを見比べる。
そして合点がいった様子で、「あぁ!」と声を漏らしていた。
全く鈍い社畜である。
5分後に私は遅い夕飯にありつけた。社畜もおにぎりとお茶を購入して私の隣で食べている。お前それが夕飯で足りるのか?
「うまいか? コンビニだから品揃え悪くてなぁ。ホームセンターやペットショップならもっといい餌が置いてあるんだけど」
そうなのか。
だけど野良である私には縁のない話だ。
食べられるだけ、与えられるだけ、生き伸びられるだけで幸せなのだ。
「お前は賢いなぁ、餌のおねだりの仕方が上手だ」
生きる術ぞ。生きるためには人間に媚びを売ることだってある。私達だって生き物なのだ。背に腹は代えられない。
私は黙って食事を続けた。……なにが楽しいのか、こちらを見つめながら社畜はニコニコしている。そのおにぎりは笑顔になるほど美味しいのか?
「…猫はいいなぁ、締切に追われないし、寝たい時に眠れるし……自由でいいなぁ」
一瞬だけ、一瞬だけ社畜が泣きそうな顔をしていた。声も涙声になっていたが、彼は深呼吸をしてそれを抑えていた。
こいつもこいつで難儀なことだな。人間社会とやらを私は知らんが、辛いこともたくさんあるのだろう。知らんけど。
「ごめん。野良のお前も大変なのにこんなこと言ったら失礼だよな。……頑張れば、頑張っただけ報われると思ったけど、損するだけだよな……正直者は馬鹿を見るってこの事なんだな」
そう呟くと、社畜は食べるのを止めて沈黙してしまった。
私の目の錯覚だとは思うが、社畜の目に涙が光った気がするが……うん、きっと目の錯覚だな。見なかったことにしてやろう。
なんとなくだ。その社畜が危なげに見えたので、せめて家まで送ってやろうと思ったんだ。一飯のお礼もあったからな。
そしたら何を誤解したのか、私は家に招かれ、そのままその家に飼われることになったのである。ペットOKの物件らしい。
野良猫から飼い猫に進化したはいい。衣を省いた、食住に困らないしな。
だけど、社畜。お前は察しが悪い上に、ネーミングセンスが最悪だ。
私は黒猫ぞ!? 美しい翡翠色の瞳を持つ美しい黒猫様だぞ!?
普通はもっと格好いい名前をつけるはずなのに…なぜ、よりによって【ポン子】なんだ!
ポンという単語はどこから引っ張ってきた!? ダッセーなポン子!!
お前そんなんだから彼女いないんだぞ! わかっているのか!?
でも、まぁ社畜には感謝している。一匹残された私があそこにいたままではきっとあの怖い人間たちに連れ拐われていただろう。
こいつは命の恩人である。
ほら、今日も仕事なんだろ。
帰ってきたらまた一緒に飯を食べてやるから今日も戦ってこい。
お前がいないと私まで共倒れになってしまうからな。
精々、私に貢ぐために頑張ってこいや。
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