決戦

 再びここに来ることになろうとは。ニコルは小さく呟いた。薄暗く見通しの悪い森は相変わらずの無愛想さでニコル達を出迎える。狼たちは居ない。殆どニコルが倒してしまったことに加え、大軍が近寄って来ることを察し、どこかに身を隠したようだ。見覚えのある小道を進み、突き当たると、そこにはガリア帝国の建設した門があった。 今日、門番の姿は無い。

「皆、覚悟はいいか」ニコルが振り返る。

「我々は今からこの門を破り、ガリア帝国へと突き進む。裏には強大なガリア軍が待ち構えているだろう。しかし怯えるわけにはいかない! 亡き王女ミズカはリューデン国民全ての妹でありそして母であった。仇を取るぞ! 異論がある者は居るか?」

「あるわけねえ!」

「ニコル様、早く進みましょう!」

「ミズカ様を殺した残虐なガリアを許さないぞ!」

 ニコルは頷く。

「伝えた作戦は覚えているな! 攻撃を押さえることに専念せよ! 私は王子コンラッドを必ず討つ!」

 兵隊たちは右手を上げ、それぞれ大声で勝利を誓った。

 ニコルの合図で大きな丸太を持った兵隊たちが門を激しく打つ。門はあっけなく開き、ガリア領内にリューデン軍を迎え入れた。


 ガリア軍の大軍が距離をあけて待ち構えていた。リューデン軍は怯まず突進する。

ニコルは歩みを一旦止めて後方へ移動し、ガリア軍とリューデン軍が衝突するのを待っつ。

 

 ガリア兵は異変を感じる。勢いよく攻めて来たはずのリューデン兵が、いざ戦闘になると防御に徹している。これではお互い消耗し勝負が付かない。その場合数で圧倒しているガリア軍の方が断然有利だ。リューデン側もよく分かっているはずだ。何を考えているのだろうか。全員が一様に同じ行動を取っている。

「殿下、何か様子がおかしい。」ホフマンがコンラッドに言う。

「どういう作戦だろうか? まさか援軍でも居るのか? 到着を待っているんじゃないか?」

「その可能性は低いかと・・・リューデン王国の規模を考えれば・・・」

 その時、二人は頭上で、何かが太陽の光に反射するのに気づいた。

 それは、混ざりあう両軍の上を、脅威の身体能力で駆け抜けるニコルの姿だった。

「何だあれは!」

 ニコルは馬から飛び出し、予め定められたリューデン兵の手の上を渡っていた。空中を渡るニコルをガリア兵は抑えることが出来ない。ニコルは飛びながら、軍衆の中に目標であるコンラッドを見つける。大軍の真ん中に立ち、呆気にとられた顔でこちらを見ている。姉の心を弄び、死に追いやった残虐な王子のその身体まで、一直線に向かっていく。 

 あと一歩踏み出せばたどり着く。足に力を込めた。ニコルは一層高く飛びながら、剣を構え、そのままコンラッド目掛けて振り下ろした。

 ニコルとホフマンの腕に衝撃が走った。火花が散る。

「誰だお前は! 邪魔だ!」ニコルは着地して再び剣を構える。

「私はガリア軍の指導者ホフマン。妃殿下の妹君とは存じ上げますが、こうなったからには貴女をここで斬らせてもらいますぞ。」

「うるさい! どけ!」ニコルは再び剣を振り下ろす。

 そのあまりの重さにホフマンは驚愕した。長い人生の中、受けたどの一撃よりも硬い。

「ぐう!」ホフマンの靴が擦れて土埃が舞う。「あの慈悲深い妃殿下の妹君が、このような豪傑とは・・・」

「貴様! 姉上を語るなど、馬鹿にしているのか!」

 ニコルはホフマンの剣を押さえたまま右足を上げながら身体を回転させ、尖った靴をホフマンの耳目掛けて強打させた。

 一瞬衝撃を受けたと思うと、ホフマンは強烈な眩暈に苛まれ、そのまま転倒した。

「ぐ・・・っ」

 耳から血が噴き出している。痛みを全く自覚出来ない。天地が入れ替わり、体を起こすことが出来ない。ホフマンは小さく声を出した。「殿下・・・」

「ホフマン!」コンラッドはホフマンに駆け寄る。

「殿下、退却です・・・この女、殿下に討つことは不可能です!」

 それを聞いたニコルは再び剣を構えて言った。

「コンラッドよ! 退却などさせぬ! ここでお前を仕留める!」

「待ってくれ!」コンラッドは叫んだ。「俺は本当にミズカを愛していた! このようなことになり、心から詫びたい! 誤解なんだ! 聞いてくれ!」コンラッドは膝をついてニコルを見上げる。

 ニコルはその様子に吐き気すら覚える。

「貴様、まだそのような戯言を! 私を騙そうと言うのか! 貴様だけは絶対に許さぬ!」

 コンラッドは、何を言っても無駄だと悟った。やむを得ず立ち上がる。

「殿下! おやめください! この女には勝てませぬ!」ホフマンが叫ぶ。

「だめだホフマン! 他に方法が無い! 姫は俺を討ち取るつもりだ!」

 コンラッドは一瞬目を閉じる。瞼の裏にミズカの姿を思い浮かべる。ニコルと戦うことを知れば、彼女はどう思うだろうか。深く悲しむだろう。しかしもう後戻りは出来ない。全て自分が蒔いた種だ。ミズカをきちんと守るべきだった。

「ミズカ、すまない・・・!」

 そう呟いた直後、コンラッドとニコルの剣は、激しく衝突した。


 ホフマンの言う通り、ニコルはあまりに強かった。周辺国全て合わせても最強の王女。コンラッドは身をもって知ることとなる。防御に徹することしか出来ない。一方ニコルは全く疲れを見せない。怒りに満ちた表情を崩すことなく、淡々とコンラッドを攻めている。重い攻撃を受け続け、コンラッドの腕は麻痺して来た。このまま俺は終わる。それも運命だろう。コンラッドは死を覚悟した。

 隙を見て、ニコルはコンラッドの心臓を一突きにした。確実な手ごたえだ。

 コンラッドは甲冑にに剣を刺したまま後方に倒れる。

 二コルは仕留めた、と思った。負けるとは思っていなかったが、安堵からか汗と涙が噴き出す。近寄り、震える手で剣を抜こうとする。

 その時、コンラッドが動いた。まさか、と思った時には遅い。ニコルの右足にコンラッドの剣が深く刺さっていた。

「なっ!」突然の出来事に驚愕し、一歩下がろうとした時には、ニコルは転倒していた。「ぐああ!」数年間攻撃など食らったことのないニコルは、あまりの痛みに絶句する。「なぜだ! 今・・・確実に心臓を突いたはず・・・!」

 コンラッドはしばらく胸を押さえていたが、鎧の中に手を入れる。そして取り出した。

 それは、紫色に輝いていた。忘れもしない。リューデン王妃がニコルとミズカに授けたペンダントだ。ペンダントは光を放つと、四方八方に激しく分散した。

 ニコルは出血により体が冷えて行くのを感じた。

 コンラッドを守ったというのですか、姉上。私は何のために。ここまで・・・


 地下牢に閉じ込められたミズカは、紫色のペンダントを握っていた。

「これで・・・」これで助かろうと思った。しかしすぐにその考えは変わる。

 エルザの、怒りと悲しみが入り混じった表情が、頭に焼き付いて離れない。彼女を傷つけたことを深く悔やんだ。

 私は歓迎されていなかった。人を傷つけて幸せを手にした。そんなものまやかしだ。

 腐臭の漂う男たちがミズカの身体へ手を伸ばす。反射的に抵抗したが無駄だ。男達に適うはずもない。衣服が剥ぎ取られていく。地面に押さえつけられ、動くことが出来ない。複数の手がミズカの身体を這う。

 これは罰だ。今回だけではない。いつも自分の幸せばかり優先してきた罰だ。自分はこの場で没するべきだ。やり残したことは多くある。父親とも会話することなく終わる。 

 慕ってくれる国民たちのこと。コンラッドのことや、ニコルのこと。考えればきりがない。

 ミズカは苦痛の声を上げ続けた。お願いします、やめてくださいと叫んだ。

 だがペンダントは使わなかった。

 男たちに何度も殴打される。薄れゆく意識の中で、後のことを考える。

 コンラッドは悲しむかしら。

「ニコルは・・・きっと・・・」

 そこで気付く。ニコルはリューデン軍を動かしてしまう。ガリア帝国と戦争になる。

 ミズカは自分が残した「ガリア帝国と戦争になった時の仮想模擬実験」のノートを思い出した。あれを恐らくニコルは見つけるだろう。コンラッドがニコルに勝てるはずがない。コンラッドが死んでしまう。

「ニコル・・・」

 ニコル、ごめんなさい。きっと怒るわよね。ニコルがせっかく私の命を助けてくれたのに。ごめんなさい。でも許してほしい。コンラッドに生きていてほしいの。コンラッドは絶対にニコルを見捨てたりしない。だから・・・!

 ミズカはペンダントに思いを込めた。

 お願いします。どうかコンラッドの命を、ニコルから守ってください。


 ニコルは何もかもどうでもよくなり、地面に横たわっていた。コンラッドが近付く。

「あなたには到底かないませんでした。運が良かったのでしょう・・・ミズカの形見を偶然持っていた。」

「運が良かっただと? 違う。そのペンダントは・・・」ニコルに眩暈が襲い掛かる。

声を出すことが出来ない。国民の言葉が頭の中を駆け巡る。

 

「ミズカ様の仇を取ってください、ニコル様。」

 

 その通りだ! 私は仇を取ろうと思ったのに。姉上、なぜこの男を助けたのですか。

「貴様と話す気力もない。私を殺せ。ガリアの王子よ。もう生きてはおれぬ。」

「それは出来ない」コンラッドは首を振る。「あなたは負けた。これからガリア帝国はリューデン王国を併合する。父上はそのつもりだ。ニコル王女、あなたが必要だ。」

 ニコルは虚空を見つめるばかりで、何も言わなかった。

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