ガリア戦記
大和みどり
王子コンラッド
激しい金属音が鳴り響いた。
ガリア帝国唯一の王子コンラッドは、たった今師匠であるホフマンの剣を生まれて初めてなぎ払った。ホフマンの剣は空高く跳ね上がり、地面へと突き刺さる。コンラッドが、事実上、ガリア帝国最強の騎士となった瞬間だ。
「殿下、私は嬉しゅうございます。」ホフマンは熱くなる目頭を押さえる。石畳の隙間に刺さった剣が太陽の光を受けてきらりと光っている。
「え、ええ~っ?」コンラッドは狼狽えている。「もっと悔しがってくれよ!」
長年後姿を追いかけてきた師匠が、ひざをついて泣いている。ホフマンの白くなった口ひげが、涙と鼻水で濡れる。
「覚悟は出来ておりました。最近の殿下の成長ぶりは凄まじかった。今は悔しさよりもうれしさが勝るのです。コンラッド様。あなたは名実共にガリア軍の頂点に立つお方です。この老いぼれ、もう思い残すことはありません。」
ホフマンは感極まり、より一層むせび泣き始めた。
「ガリア軍の頂点・・・」しかしコンラッドは怪訝な顔になり、「待ってくれ。ガリア軍の頂点と言っても、外国にはもっと強いやつが居るんだろ。」と尋ねる。
ホフマンは泣くのをやめ、顔を上げる。「それはそうです。」
「じゃあまだまだ最強には程遠いじゃないか。思い残すことは無いなんて言わないでくれホフマン。まだまだ稽古が必要だろ。」
「外国は広うございますからな。老兵がどこまで役立つか分かりませんが、もちろん納得行くまでお付き合い致しましょう。」ホフマンは微笑む。
「外国の戦士で有名なやつは居るのか?」コンラッドが尋ねる。
ホフマンは少し唸ったあと、
「リューデン王国の王女ニコル。彼女に勝てる者は何年も居ないとの噂です。」と答える。
「王女?」コンラッドは怪訝な顔だ。「女に勝てないのか? しかも王女様だって?」
ガリア帝国の南に位置するリューデン王国。リューデン王には二人の娘がおり、姉は美しい才女で、妹は最強の戦士であると、周辺国に知れ渡っていた。
「しかし殿下」ホフマンは首を振る。「ニコル王女と剣を交える機会は訪れない方が良いでしょう。その時はガリアとリューデンが戦争をする時ですよ。それにリューデン人たちは元々の身体能力も我々とは異なると言われています。生物学的に言って、です。今はクレム帝国が力を付けていますから、そちらを警戒すべきです。」
「生物学的」コンラッドは繰り返してみる。
「左様です。それこそ男と女程の差があるとか。」ホフマンは顔の前で手を振る。
「諦めよ」と言っているかのような動作だ。コンラッドは釈然としない。 とりあえず話題を変えることに決めた。
「リューデン王国と言えば」コンラッドは歴史的事実を取り上げる。「ゲルグ人を奴隷から開放したんだったかな。」
ホフマンは頷く。
「左様。それを受け、我がガリア帝国はリューデン王国へ経済制裁を行っています。ガリア帝国はゲルグ人のかつての蛮行を絶対に許してはならないからです。」
二百年前ゲルグ人は、宗教的理由により、激しい巫女狩りを行った。当時世界には不思議な力を使って占いや予言を行う者、傷を治す者、時には呪いを掛ける者も居たが、全て「巫女」と呼ばれていた。
ゲルグ人による巫女大虐殺事件はガリア帝国及び周辺国に於いても、最も暗い歴史の一つである。この事件により世界中の巫女は絶滅した。
「そういえば殿下、リューデン王の妻、つまり王妃ですが・・・彼女は世界最後の巫女だったそうです。それも二十年前の事故で亡くなりましたが。」
「リューデン王妃は自分の仲間が虐殺されたのにも拘わらず、ゲルグ人を解放したということか。」
「左様です。」ホフマンは頷く。
「なぜそのようなことをしたのだろう。」コンラッドは不思議に思う。
「我々には知る由もないことです。」
突然、後ろから甲高い声が響く。
「殿下、ホフマン。歴史の授業はこのわたくしメリルにお任せください。」
苛立っているようだ。
コンラッドがげんなりして振り返ると、白髪の女性が厳しい顔立ちで仁王立ちしている。「殿下。歴史政治学のお時間ですよ。十分前にお越しくださいとあれほど申し上げているのに。エルザ様はすでにいらっしゃっていますよ。さあ早く。」
つかつかとヒールの音を立てながらメリルは踵を返した。
コンラッドはのろのろと後をついて歩く。
中庭に咲き乱れる花々はどれも大ぶりで瑞々しい。赤、青、黄色、白。あらゆる油絵具を全て使ったように色とりどりだ。それでいて雑然とした雰囲気は無い。一応きちんと秩序を持ってまとめられている。庭師達の徹底した計画性が垣間見えた。
ガリア帝国の主要産業は茶葉である。それも現ガリア皇帝、コンラッドの父親だが、彼が茶に目を付け、現在のように商業を発展させた。ガリア帝国の香り高い茶は世界中に輸出され、外国の王侯貴族たちを虜にしている。代わりに、広い港からはあらゆる商品が入って来る。周辺国と比べても豊かで栄えた国だと言える。
中庭を出て廊下へ入ると、壁には天井まで伸びる窓がいくつも連なっている。日の光が勢いよく差し込む。黒っぽい壁と光のコントラストがチカチカしている。窓と窓の間には歴代国王の銅像がずらりと並んでいる。前を通る者をじろりと確認するような、何かを疑っているような表情だ。コンラッドは廊下を通る度に居心地の悪さを感じていた。
お前は務めを果たせるのだろうな? と、今にも声が聞こえそうだ。コンラッドは廊下を足早に通り過ぎ、メリルの待つ部屋へと入る。
「遅いわよコンラッド。剣の練習も良いけれど、王族にとっては歴史を学ぶことが最重要でしょう。」
艶やかな金髪をゆらしながら従妹のエルザが言った。背筋をピンと伸ばして椅子に腰かけている。驚くほど大きな胸は何度見ても慣れない。ボタンがはじけ飛ぶのではないかとハラハラする。
エルザはコンラッドの父の妹の子である。将来コンラッドと結婚し、皇后となることが取り決められている。
「さすがはエルザ様」メリルは満面の笑みだ。「エルザ様は皇族の鏡ですわ。先日の課題も拝見しました。『クレム帝国が北方の植民地支配に失敗した理由で考えられるものは何か』とても素晴らしい解答でしたわ。」
「当然よメリル。」エルザは得意げだ。「ガリアの将来を考えれば、他国の失敗を考察するのは重要だわ。」
「殿下もエルザ様のような皇后様がいらっしゃればご安心でしょう。」メリルがコンラッドの方を振り返る。
コンラッドの耳に二人の会話はほとんど入って来ていなかった。元々座学には興味が無い。メリルの話を聞いている時は、ほとんどの場合、睡魔と戦うか、あるいは想像上で剣を持ち、誰かと戦っているかだ。だが今日のコンラッドは普段とは異なる。ホフマンの話が気になっているのだ。
女性でありながら周辺国最強と呼ばれるリューデンの姫ニコル王女。リューデン王族は代々戦闘に力を入れているらしい。リューデン王もやはり強いのだろうか。ニコル王女は父親を超えてしまったのだろうか。
「殿下!」メリルはいつもコンラッドに苛立たされている。「聞いていらっしゃいましたか? 今日の課題は・・・」持っている本を開き、指でこつこつと叩く。
「なあ、メリル」突然コンラッドは口を開く。
「・・・なんですか?」メリルは驚いて返事をする。
「リューデンについて教えてくれ。特にリューデン王族の話だ。」
メリルとエルザは目を丸くした。コンラッドが自ら質問をすることなどこれまで一度も無かったからだ。エルザは髪を指に巻き付けながら言った。
「メリル、リューデン王国と言えば、あの忌まわしいゲルグ人を奴隷から解放したのでしょう。我が国とは冷戦状態にあるわ。」
「その通りですエルザ様。」メリルは満足そうに頷く。「分かりました。リューデンは無視出来ぬ隣国です。せっかく殿下もご興味を抱いておられるのですから、今日はその話をいたしましょう。」
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