第10話 クレッシェンド
教室では、先生の合図で後ろからプリントが集められ、生徒は机に置かれた筆記用具を片付けている。試験が終わったばかりなのだ。
「お疲れー」
「お疲れ、やっと終わったなー」
「そうだな」
後は結果を待つだけだが、和也の様子からも赤点はなさそうである。
「ミヤとヒデもロッテリア、寄って行くだろ?」
「うん」
「あぁー」
帰り支度を手早く済ませると、四人は駅前にあるファストフード店へ向かうのだった。
「及川、村山、先に行ってるぞー」
「あぁー」
「分かったー」
和也と三井が先に注文を済ませ、席を探している。平日だが昼時の為、店内は混雑していたが、四人掛けの席に座る事が出来た。
「そういえば、青山先輩卒業だな」
「うん、そうだな」
「てっきり留学するのかと思ってたけど、そのまま進学するんだな」
「三井、詳しいな」
「それは青山先輩、有名だし」
「あぁー……そういえば、そうだな」
二人は飲み物だけ手をつけていると、及川と村山も揃い、男四人で話をしていく。終わったばかりの試験の事が主だ。
「進級しても教室が変わるくらいかー」
「そうだな」
「及川は今日、木下は良かったのか?」
「あぁー。あいつも女子とカフェ寄ってくってさ」
「そうなんだ。ヒデは?」
「俺? 俺も別に」
「
「あぁー、たまに帰ってるよ。って言っても、路線違うし。そういう村山は?」
「聞くなよ。いないって知ってるだろー」
「悪い悪い。じゃあ、和也は?」
「俺? 俺こそないし。クラスで付き合ってるの二人くらいじゃないの?」
「そうか? 他にもいるらしいぞ?」
「へぇー」
「ミヤ、反応薄!」
「普通だって」
「彼女ほしいとか思わないわけ?」
「んー……村山ほどは、思わないかな」
「ちょっ、ミヤ!」
くすくすと笑い声が聞こえている。試験終了の晴れやかな気分と相まって、彼らが楽しそうに話をしていると、和也の携帯電話に着信があった。
「和也、携帯鳴ってない?」
「んー……あっ! ちょっと出てくる!」
彼は慌てて携帯電話を片手に、店の隅で電話を取っていた。
「もしもし?」
『ミヤ、お疲れー』
「お疲れ、アキ」
『明日、マスターの所に来れるか?』
「うん!」
『じゃあ、また連絡するな』
「待ってるな」
手短に電話を終え、和也が席へ戻ると、彼らのニヤついた顔が並んでいた。電話の相手を女子だと思ったのだ。
「ミヤ、彼女いるじゃん」
「へっ?」
「アキって、言ってたじゃん」
「あー、聞いてたのか。言っとくけど、アキは男だけど?」
「えーっ、つまんないー」
「村山、つまらなくない」
「他校の友人って事かー。中学が一緒だったのか?」
「んー……違う。ケイの友人の一人かな? うちの大学受験するから、先輩になるな」
「青山先輩のかー……。ってか、試験はこれからじゃないのか?」
「そうだよ」
「ミヤの感じだと、受かってる感じじゃん!」
「受かるよ。必ず」
「ミヤがそこまで言うなんて気になるなー。専攻楽器は?」
「アキはチェロだな。かなり上手いよ。みんなの知ってる青山先輩みたいに音に魅力がある」
はっきりと告げる和也の様子に、聴いてみたいと感じる彼らがいた。
三井は、そんな彼らの様子をある意味、傍観していた。和也の口から明宏だけでなく、大翔の話も度々出てきていたからだ。
「和也の音楽仲間には興味あるな」
「んー……みんな、すごいよ」
「アキって人は、青山先輩とタメって事か?」
「あぁー。俺が一番下っ端」
「下っ端って」
「想像出来ない」
「何でよ?」
「和也が音楽で主張しないってないじゃん!」
「あー……遠慮はしてないな……」
周囲からは笑いが溢れているが、皆納得の様子だ。それくらい、彼が音楽において妥協がない事を知っているからだった。
「おめでとう!!」
「ありがとう、ミヤ」
「サンキュー」
「これで本格的に活動出来るな!」
「うん!!」
待ってましたと、言わんばかりの笑みを浮かべながら、和也は応えていた。
圭介達は当初の希望通り、
四人はいつもの喫茶店に揃っている。テーブルには頼んだばかりの温かなコーヒーが三つに、カフェラテが一つ並んでいた。
和也のギターケースは椅子に置かれているが、他のメンバーは楽器を持っていない。合格発表後、すぐに連絡を取り合い、集まっていたのだ。圭介は二人の合格に、単純に急いでいた為、ヴァイオリンもギターも持っていなかったようだ。
「野外ライブはこれでいいとして、seasonsは四月下旬か五月頭の土曜日で検討中」
「楽しみだなー」
「何曲くらい演らせてもらえそう?」
「十曲前後ってところだな。いけそうか?」
「ん、問題ないけど……」
「あー、ボーカルは頑張れ」
「ヒロ、心こもってない」
「ミヤは意外と分かりやすいからなー」
「確かに……」
「今年の一年に、ピアノのコンクールでよく優勝してる子が入学してくるらしいって」
「そうなんだ。知ってる子か?」
「ううん。知らないけど、クラスメイトが話してたんだよなー」
「へぇー、それは聴いてみたいかもな。歌い手になりそうな奴もいるといいな」
「だよなー」
「あぁー。俺らが入学したら大学でも探してみるかー」
「そうだな」
皆、ボーカル探しに前向きである。これは和也自身が仮ボーカルと言って、ボーカルを認めないからだ。
久しぶりに四人が揃っている為、話が尽きる事はない。曲の選考をさっそく行い、短い春休みの予定を決めていく。割と順調に決まっていくのは、圭介がまとめているからだろう。
四人とも、これからが楽しみで仕方がないようだ。
「楽器、持って来れば良かったなー」
「俺もー」
「とりあえず、明日から改めて始動って感じだな?」
「うん! みんな、本当におめでとう!!」
自分の事のように喜ぶ和也に、彼らも嬉しそうな笑みを浮かべている。三人揃って同じ大学に通う事は、彼らにとっては十五歳の頃からの目標だったのだ。
強くなる想いと共に、実感が増していく。
water(s)でプロになる。
それは、彼らの揺るぎない想いだった。
和也は自宅に帰ると、真っ先に部屋のパソコンを立ち上げていた。さっそく四人のイメージを繋ぎ合わせていくのだ。ギターもキーボードも彼にとっては、音を繋ぐ為の一部分にすぎない。
water(s)の曲を、世界中何処にいても聴こえるようにする為なら、何だってやる。
何だってやってみせる。
仮でもボーカルだから、自分の最大限の力を発揮出来るように、いつだってありたい。
何十年経っても、ずっと誰かが口ずさんでくれたら、聴いてくれていたら……。
そう願って、奏で続ける。
和也はキーボードの音に合わせ、発声練習を行っていく。この一年で、当初よりもだいぶ声量が増え、声の伸びも良くなってきていた。
「和也、部屋にいるんだ?」
「さっき、帰ってきたのよ。健人も夕飯、食べるでしょ?」
「うん」
「あと十分くらいしたら、和也呼んできて?」
「了解」
一階のリビングにも、微かに彼の音色が流れている。ギターを弾き語りする彼の声は、安定して出せるようになっていた。これは主だった活動が出来ていない間も、和也が毎日のように欠かさず、歌を、ギターやピアノを、練習してきた結果だ。
ただ闇雲に練習すればいいわけではないが、その辺りは心得ているのだろう。さすが難関校に通うだけの事はあると言うべきか、音に敏感な彼だからと言うべきか。
「上手いもんだなー」
「そうね。よくは分からないけど、心地よいのは分かるわね」
「あぁー」
家族が温かく見守っているとは知らず、和也は音の世界に没頭していた。
六年間通っていたピアノ教室は今日で終わりだ。
和也は通い慣れた道に、色んなことがあったと想い返していた。
この六年で変わった事もあるけど、変わらない想いもある。
プロになる事。
それは、彼が幼い頃から抱き続けた夢の一つだった。
和也の演奏に耳を傾け、先生自身も生徒の成長ぶりに嬉しさを滲ませていた。
「宮前くん、今までありがとう」
「先生、ありがとうございます」
「これからも、宮前くんが音楽を続けてくれると嬉しいですね」
「はい!」
ピアノと限定しなかったのは、先生がよく生徒を見ていたから分かった事だろう。彼はピアニストになりたい訳ではないのだ。
「ありがとうございました」
明るい声で去っていく生徒を見送ると、自分にもあんな風に夢を見た時があった……と、想いを巡らせる先生の姿があった。
和也にとっては終わりではなく、始まりだ。
それなりにピアノのレベルも上がり、大学生の三人と演奏しても遜色のない存在でありたいと、彼らと出逢ってからは特に感じていたのだ。
「よし!」
薄暗くなり始めた空には星が瞬いている。
いつか、あの星みたく……。
空を見上げた彼は、小さく気合を入れ直すと、明日の練習を心待ちにしているのだった。
大きなカラオケ店の一室には、楽器を演奏出来るスペースがある。前もって予約をしていた為、スムーズに入店する事が出来た彼らは、楽器を持ち歩いていた。
「じゃあ、今日からまたよろしくな?」
「あぁー」
「勿論!」
「うん!」
圭介の声に応えると、ライブ前のように手を中央に重ね、高く掲げていた。そして、高みを目指すようにハイタッチをし合うと、四人の音が重なっていく。
一曲目は明宏のドラムに、大翔のベース、圭介のギターと、和也のギターにのせ、声が混ざり合う。彼のミックスボイスに合うアレンジに仕上がった曲は、どの曲とも違うが、どれも新しいハーモニーを生み出していた。
練習するにつれて、キーボードやヴァイオリン、チェロやサクソフォンと、様々な音色が響いていた。
ーー楽しい……。
やっぱり、この三人と一緒に音楽をやってる時が、一番すきだ。
ずっと、弾いていたくなる。
出来ればボーカルは遠慮したいけど、そこは諦めるしかない。
俺に合った曲調にしたんだから、全部吸収して、いつか、理想の歌声のwater(s)でライブをしたい。
「お疲れー!」
「久々、集中したな」
「あぁー、楽しかったなー」
休憩を挟む事なく、二時間続けて練習していた彼らは、空調の効いている部屋にも関わらず汗が滲んでいる。和也は、すっかり冷えてしまった紅茶を飲み干すと、用意していたスポーツドリンクで喉を潤していた。
「うん…楽しい……」
「曲順は今ので、いいんじゃないか?」
「そうだな」
「あぁー、早く演りたいなー」
「うん……」
四人とも同じ気持ちのようだ。練習も好きだが、ライブはもっと好きなのである。
人前で演奏する事に、多少の緊張はあるが、それよりも演奏する快感の方が優っているのだ。
そして何より、water(s)で、四人で演奏する事が、現状一番だと想っていたのだ。
三時間枠で入店した為、残り一時間を切っていた。彼らは五分程度の休憩を終えると、再び音が重なり合っていく。その音は、男四人で作ったとは思えない繊細さのある旋律となっているのだった。
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