第11話 コッラ・ヴォーチェ

今思えば、出逢う前のカウントダウンは、すぐそこまで来ていたんだと思う。


「今年は女子なんだな」

「あぁー。ってか、ミヤ寝てないか?」

「そういえば、和也は何か昨日寝つけなかったとか言ってたな」

「はぁー、去年の新入生代表のくせに寝るなよなー」

「担任の視線がやばいよな」

「だよな……」

「ちょっ、三井起こしてよ」

「無理。爆睡じゃん」

二年生に無事、進級出来たようだが和也は眠っていた。式典の類は暇で仕方ないのだろう。

文化祭の時のような音色が聴こえてきたら、また別である。ひとつも聴き逃す事なく、起きていた事だろう。

入学式が終わると、担任に軽く注意を受ける事になる和也の姿があった。


「和也が楽器ケース持ってるの珍しいな」

「これから、練習するからな。またなー」

「あぁー、また明日な」

学校に隣接する公園には桜並木が続いている。三井やクラスメイトに、いつも通りに挨拶を告げると、和也は待ち合わせた公園の出入り口へ急いでいた。

桜が咲き誇るなか、彼の心は昨年の入学式よりもずっと、心が躍っていた。

待ち合わせ場所には、スーツ姿の三人がいた。その格好には似合わず、三人とも楽器ケースを持ち歩いている。

「入学おめでとう!」

「ありがとう」

「サンキュー、ミヤ」

「ありがとな」

今までは全員制服姿だったが、今日からは違うのだ。大学生になった彼らは、これからは私服で、和也は高校の制服のまま、練習する事になるからだ。

一つ変わった事があるとすれば、これからの練習場所だろう。和也は彼らの通う大学の附属音楽高校に通っている為、咎められる事なく、大学の練習室で四人で演奏出来るからだ。

今日は入学式を終えたばかりの為、三人の入学を改めて喫茶店で祝い、演奏させて貰う予定となっている。

「……ミヤも直ぐだよ」

「うん…ケイ、ありがとう……」

「そうだな」

「あぁー、楽しみだな」

先に大学生になった彼らに、多少なりとも和也は寂しさを滲ませていたのだろう。彼らの温かな言葉に微笑みを返していた。

ーーこういう時、年の差を感じるよな……。

子供っぽい自分に気づかされる。

「……俺も楽しみだよ」

これから新たな環境で学ぶケイ達の音色が、どう変化していくのか。

どんな未来が待っているのか。

……楽しみだ。

四人は足並みを揃えるように歩いていく。

性格も育った環境もまるで違う彼らは、四人でいる事が当たり前の日々になっていたのだ。


マスターは三人の大学入学を喜び、注文したメニューをいつもの価格で大盛りにしてくれていた。

四人で奏でるメロディーが店内を包むと、音楽好きの常連客の一人は、マスターと共に眩しそうに目を細め、彼らを眺めているのだった。




「ミヤー、今日も練習室寄って行くのか?」

「あぁー、またなー」

「じゃあなー」

二年生になっても変わらず、和也が練習室の主のようだ。大学の授業が終わるまでの待ち時間は、たいてい学校に残り、ピアノやギターを練習していた。ボーカル探しも諦めてはいないが、今だに見つけられずにいた。


圭介から連絡があり、一度教室に寄ってから大学の練習室へ向かおうとしていると、数ヶ月前まで過ごしていた教室からピアノの音色が聴こえてきた。

ーーピアノ上手い……。

これ……村山が言ってた子か?

って、今は違う!

歌い手を探さないと……。

思わず首を振るような仕草をする和也は、待ち合わせ場所に急ぐべく、心地よい旋律に惹かれながらも、学校を後にするのだった。


「めっちゃ、上手い人いた!」

「前、言ってたピアノ?」

「そう!」

「声かけなかったのか?」

「あっ……」

声をかけるのも忘れるほど、彼はどうやら練習が楽しみだったようだ。

「ミヤ、らしいけどなー」

「アキー……。次は声かける。話してみたい」

「頑張れ」

「出た、ヒロの投げやりー」

話はしているが演奏準備は整っていく。今日から大学の練習室での練習が本格的に始まるのだ。

「とりあえず、野外ライブの流すぞ?」

「うん!」

「あぁー」

「了解」

いつもの楽器を持った四人は、高校よりも広い練習室で心地よい音色を響かせていくのだった。




それは突然で、必然的な出逢いだった。


和也がクラスへ置き忘れた楽譜を取りに戻ると、一年の教室からピアノの音色が聴こえてきた。

凄い!!

この子、ピアノ上手い!!

そう彼が感心していると、透き通るような歌声が聴こえてくる。盗み聞きのようになってしまった和也は、教室の扉越しに響く、彼女の音色に静かに耳を傾けていた。

やっと…見つけた……。

歌が上手い人なら、世の中にたくさんいる。

でも、それだけじゃ駄目なんだ……。

彼女のように声に特徴がないと!

……一年生かぁー。

合唱の曲ってことは、初見でこのクオリティってことか?!

思わず扉を勢いよく開けそうになるのを抑え、曲が中断しないよう最後の一音まで聴いている和也がいた。


彼女は一度弾き終わると、また同じ曲を練習し始めた。繰り返されるメロディーは、回数を重ねる度に指が無駄なく動き、声の大きさも増していく。その音色の心地よさに、彼は声をかけるのも忘れ、聴き入っていた。

気づくと日が暮れ、窓辺から見える桜の木は風に吹かれ、花びらが散っている。

彼女は、和也が曲の余韻に浸っている間に帰ってしまったのだ。

彼女が先程まで弾いていたグランドピアノに、彼は視線を移していた。彼の心は奪われていたのだ。


「見つけた!!」

慌てた様子で練習室に入って来た和也に、三人とも直ぐにその理由が分かった。いつも表情に出さない彼が、いつもとは違ったからだ。

「えっ?! ボーカル?」

「うん!!」

「……どんな奴?」

「えーっと、一年…女子……」

「女子?!」

「うん! ぜったい彼女がいい!!」

あれだけ、ちょっと前に流行っていた紅一点のようなバンドにはしないと、思っていたのにも関わらず、どうしようもなく惹かれている和也がいた。

その口ぶりからも彼が諦める事はないと、圭介達も悟ったようだ。

和也に歌声を惚れられた名前すら知らない彼女に、若干同情すると同時に、合ってみたいと思う彼らがいたのだ。




その日から名前の知らない彼女を探し始める事となったが、一クラス四十名しかいないだけでなく、彼女はピアノのコンクールで優勝する程の実力の持ち主だった為、すぐに分かった。

上原うえはらかなでか……。

どうりでピアノが上手い訳だ。

和也がそう納得するのも無理はない。音楽に精通している高校の為、ピアノが出来て当たり前の世界の中でも、彼女の実力は抜きん出ていた。

滑らかに動く指先に、一オクターブ以上開く柔軟な指。彼女の音色は、ずっと聴いていたくなるような音だった。

和也は放課後になると、彼女の元へ自然と足を運んでいた。あの音に何度でも合いたかったのだ。


「ミヤ、まだ声かけてないのか?」

「ーー聴き入ってたら、いなくなってるんだよ……」

「ミヤらしいな」

「確かに。そんで、hana向けにアレンジするとか」

「大丈夫。必ず野外ライブに来て貰うから、そのつもりで」

「あぁー、春夢のアレンジ変えるんだろ?」

「うん! 俺の声だときついけど、hanaの声ならいける!」

「勝手にあだ名付けてるし……」

「そういえば、何でhanaにしたんだ?」

「えっ? 紅一点だから。あと、"ナ"ってつくし。女子だから、ネット配信も考慮してって感じかな」

「意外とちゃんと考えてた」

かなでなら、カナもありだったんじゃないか?」

「うーん、何となく花っぽいから?」

「まぁー、いいけどな。hanaが気にいるなら」

「そうだな」

彼女が加入するとは限らない。そんな中、彼らには彼女が加入しない未来はないのだろう。すっかり「hana」の呼び名が定着していたのだ。


いつものように練習を終えると、彼らは途中まで一緒に帰っていく。その道中も話題になるのは、ここ数日で既にwater(s)の一員になっているhanaの事ばかりだ。

「じゃあ、クラスメイトが言ってたピアノ上手い子が、hanaなんだな?」

「うん。俺が楽器店で聴いたのも、もしかしたらそうかも……」

「かも? ミヤなら、分かりそうだけど」

「それが、楽器店で聴いた子より上手いんだよ!」

「うわっ、まだ一年だろ?」

「それは、やばいな」

「でしょ?」

「何の曲、弾いてたんだ?」

「一番印象的だったのは、ラフマニノフだったな……」

「ピアノ協奏曲第二番?」

「そう! カノンとか合唱の伴奏しながら歌ってたと思ったら、いきなり壮大な感じになって!」

「気分転換的にでも弾いてたのか?」

「かもな。ってか、伴奏しながら歌ってたから、歌いたかったんだと思うけど」

自分の事のように嬉しそうに話す和也は、彼らの期待値を益々上げていた。本来なら、上がりすぎた期待値に追いつかず、加入目前で終わりそうだが、そうならなかったのは、彼女が本物だったからだろう。




「春江さん!」

「みんな、久しぶりだね。ケイ達は大学合格おめでとう」

「ありがとうございます!!」

彼らは、seasonsのバックステージにある一室に集まっていた。予定していた単独ライブを変更させて貰いたいからだ。

「へぇー、それは見てみたいわね」

「それで演奏時間なんですが、予定の半分程にして頂きたいんです!」

「ーーテスト的な感じなのね?」

「はい!」

前もって言ったとはいえ、急なスケジュール変更には変わりない。断られたら、次のワンマンライブに出て貰えばいい。無理を言っている自覚のあった彼らは、内心緊張しながら春江の言葉を待っていた。

「……いいわ。やってみなさい」

「……っ、ありがとうございます!!」

喜びの声を上げる彼らに、彼女は冷静に尋ねていた。

「でも、まだ誘ってないのよね? 大丈夫なの? 四人でやるなら、そのまま時間をキープしとくけど…」

「いいえ」

彼女の言葉を遮り、はっきりと告げたのは和也だった。

「それは問題ありません。hanaはwater(s)の一員です」

「ーーそう……楽しみにしてるわね」

「はい!!」

彼の瞳があまりに光を帯びているように感じた為、彼女は期待を寄せる事にしたようだ。若き音楽家たちに。

そんな和也の様子に、メンバーはしょうがない奴だ……と、言いたげな表情を浮かべている。それは、彼らも聴いた事がないからだ。

和也にだけは分かっていたのだ。彼女の音を、その歌声を聴いたら、一瞬で虜になると。

……もう一度、彼女の音が聴きたい。

弾き語りが出来るプロは山程いるけど、こんな想いを抱いたのは初めてだ……。

和也にとって、はじめての感情が芽生えていた。




今思えば、出逢う前のカウントダウンは、楽器店で音色を聴いた時から、始まっていたんだと思う。

もっと言えば、ケイに話しかけられた時、この学校に入学した瞬間から。


『チャンスは巡って来た時に掴むものでしょ?』

巡ってきたチャンスを掴んでいたって自覚してる。

それは突然だったけど、必然的な出逢いだったって……。



「ミヤ、この曲はどうする?」

「声域気にせず、アレンジしたい!」

「そんなに幅が広いのか?」

「うん!」

また当然だと、言わんばかりに和也は即答している。

彼女の声で曲のイメージがあふれてくるのだろう。彼自身の創作活動も大いに捗っているが、当の本人はまだ何も知らない。

出逢った事すら分からないのだ。それこそ、自分の歌を聴かれていた事にも気づかず、ただ合唱発表会に向けて、一人で練習をしていたのだ。

指揮者と合わせる前に、完璧に弾きこなしたかったのだろう。こういう所は、彼と彼女は似た者同士と言えるが、それに彼らが気づくのは、二日後の事だった。

「……上原奏、water(s)に入らない?」



water(s)にとって、hanaの加入は転機にもなった。

五人の音が重なり、欠けていた音がなくなった。

仮ボーカルは、もういない。

声域を気にしなくてもいい。

アレンジも自由自在。

彼女の声こそが、すべてだ。


ーーはじまりはギターを弾くだけだった。

kamiyaとして活動して、十五の俺は夢ばかり見てたと自分でも思う。

それでも、諦めずに探し続けてきたから、出逢う事ができたって……。

プロになり、water(s)五人の音色が街を染める日が必ずくる。

本気でそう想っていた俺の夢が叶ったのは、十七の三月。

それも、期待を寄せていたあの日と同じ、桜色に染まる季節だった。


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