cross*over
川野りこ
第1話 イントロダクション
「
一階から彼を呼ぶ声がするが、聞こえていないようだ。
しびれを切らした
「和也、夕飯だってさ。行くぞ?」
「……うん。健人、今日早かったんだ」
「あぁー、バイトが休みだからな」
健人は先程の視線を特に気にする事なく、階段を下りていく。和也と六つ歳が離れているからか、その寛大な性格からか。おそらく、その両方だろう。
二人がリビングに着くと、ダイニングテーブルには四人分の夕飯に、ケーキが置かれていた。
「えっ、誰か誕生日だっけ?」
「和也……。よく見ろよ?」
健人に言われた通り、ホールケーキに乗るプレートには、「入学おめでとう」の文字が書かれている。彼は高校の入学式をこれから迎えるのだ。
「……ありがとう」
「本当、よく合格したなー!」
わしゃわしゃと、勢いよく彼の髪を撫でる健人は、弟の難関高校の入学を誰よりも喜んでいるようだ。
「ちょっ、 健人!」
「よく、頑張ったな」
「ありがとう、父さん……」
彼の入学した
一学年一クラスしかない上、四十名という限定的な人しか入学出来ない。
都内にある高校だが、地方出身の受験生もいる為、その倍率は毎年高い。
まさに狭き門を突破して入学したと、言っても過言ではないのだ。
その為、家族のテンションの高い様子に、若干引いている和也がいたが、祝ってもらえる事は嬉しいのだろう。十五歳の彼は、誕生日でもないのにケーキに立てられたローソクを嫌がる事なく、吹き消しているのだった。
中学までは学ランだった為、ブレザー姿の彼は新鮮なようだ。普段は落ち着いた印象の強い和也も、母と兄のテンションの高さに、高校生になった事を自覚したようだ。彼は今日から新たな生活が始まるのだ。
ーー二人のテンションには、ついていけなかったけど……。
これから、音楽の好きな人が集まる中で学べるんだ。
桜の花びらが舞う中、彼はこれからの高校生活に期待を寄せていたのだ。
入学式を滞りなく終えると、一年生はこれから一年間過ごす教室で、これから三年間ともに学ぶ仲間と、顔を合わせていた。
……さすが音楽高校。
グランドピアノが本当にあるんだな……。
練習室も放課後使えるって言ってたし、ピアノ弾きたい放題だな!
整った設備を前に、母と兄と同じように彼のテンションも上がったようだ。
教卓に立つ担任の先生からは、さっそくプリントが配られている。和也は一番後ろの席だった。出席番号順に並んでいる為、前の人から順にプリントを手渡ししていると、声をかけられていた。
「さっき、新入生代表挨拶してただろ?」
「あ、あぁー」
えーっと、誰だっけ?
確か…みつ……。
一人ずつ自己紹介を終えたばかりだが、和也は前の席の彼の名前を覚えていないようだ。
「
「……三井くんね。
「そこー! 新入生代表ー。宮前、聞いてたかー?」
「は、はい!」
小さな声で挨拶をしていると、さっそく担任から注意を受けている。前の席に座る彼は、すまなそうな顔をしていた。
やば……。
ってか、新入生代表って!
「……聞いてませんでした……」
素直に告げる和也に、周囲からは笑みが溢れていた。緊張感のあった空気が、彼の姿で緩んだようだ。とはいえ、注意を受けた本人も三井同様、気まずそうにしていた。
「本当は、もう少ししたら決めるんだが、宮前はピアノが得意みたいだから、合唱発表会の伴奏な」
「えっ?」
「伴奏者は決まったから、後は指揮者だな。宮前の前は、三井か。そこ仲良いみたいだから、二人で頑張れよ」
「えっ?!」
「ちょっ! 先生!」
「はーい、もう決まりな。在校生も見に来るから、頑張れよ? 一年の恒例行事だからな」
和也と三井は顔を見合わせると、従うしかないと悟ったようだ。
「ーー……はい……」
担任の権限により入学早々、合唱発表会の伴奏者と指揮者がスムーズに決まる事となった。
和也が自宅に帰った際、健人に一連の出来事を話すと笑われたのは言うまでもない。
和也は放課後になると、合唱の伴奏練習を練習室で行なっていた。教室で行う事も出来たが、放課後人が行き交う中、集中出来ないのが理由だ。そして、彼の自宅にはピアノがない。それが一番の理由だった。
同じ鍵盤でも電子ピアノやキーボードでは、指順は同じとはいえ、指の押さえ方が違うのだ。感覚的な問題だが、やるからには完璧に仕上げたい和也ならではの
大学の体育館では、男女別にバスケットボールの試合が行われている。
突き指をしたら最悪だが、音楽だけを突き詰める校風ではないのだ。
バスケだけでなく、サッカーのような体育もあれば、古典や数学、英語等の普通科の高校生が一般的に学ぶ授業も組み込まれている。
彼は、どの授業も真剣に取り組んでいた。家では、他にやりたい事があったからだ。
今もクラスメイトのパスを受け取り、見事なシュートを決めると、休憩組と入れ替わり汗を拭っている。
「和也って、苦手な教科あるのか?」
「あるよ。化学と漢文。あと、バスケもあんまり好きじゃない」
「好みの問題か?」
「そう言う三井は?」
「俺は圧倒的に古典だな」
和也と三井は、席が前後や合唱発表会の伴奏者と指揮者で練習をしている仲だけでなく、音楽の趣味が合うのだ。
James Carterを三井が知っていた時点で、友人になる事は決まっていたのだろう。
休憩中に話をする彼らは、クラスメイトの中でも特に仲の良い友人の一人となっていた。
「ミヤー、ヒデー、交代な!」
「あぁー」
「今、行くー」
二人とも中学までは「カズ」と、呼ばれる事が多かったようだが、紛らわしい為か、そう呼ぶ者はいないようだ。
「和也、パス!」
「はい!」
スムーズにパスが繋がり、和也と三井のいたチームが勝つことになるのだった。
和也は自室でギターを弾いている動画を、脚立を使い携帯電話で撮影していた。
滑らかに指が動いていく。その音色も、プレイも、高校生とは思えない程だ。
中学二年の頃から変わらずに、学生服姿のまま弾いていたが、手元だけを映している。
顔を映す事はなく、個人を特定されないように心がけ配信をしていたのだ。
ギタープレイを中心に動画は構成されていたが、それなりの動画再生数を誇っていた。
その為、動画再生数や広告料等から、音楽への投資に必要なお金を捻出していたのだ。
「……ご視聴ありがとうございました」
撮影機材を手早く片付けると、三井から借りたCDを聴いていた。
三井がJames Carterを知ってたのは驚いたな……。
彼のファン歴が十年程の和也は、Jamesの影響もあり独学でギターを学び始めたのだ。
アメリカの有名なロックバンドの元ボーカル。
ギターを弾きながら歌う彼のかっこいいロックナンバーに、こんな風に弾けたらと何度感じたか分からない。
ギターの腕前もさる事ながら、ハイトーンボイスが出せる事も、彼の魅力にひと役かっていた。
そんな彼がボーカルを務めていたバンドは、華々しくデビューしたにも関わらず、活動期間は僅か八年程だった。
何故ならJamesが歌えなくなったからだ。
声帯に異常が見つかって…手術後、声が以前と同じように出せなかった事が原因だって、当時の雑誌に載ってたっけ……。
だから…俺は、現役の頃のJamesの歌を生で聴いた事が一度もないんだよな……。
いつか合いたい。
それは和也の漠然とした想いだった。
ボーカリストとして世界に名を馳せた彼は
生きる伝説、巨匠、レジェンド……と、彼を表す言葉は無数にある。
彼は現在五十八歳だ。
和也が彼のバンドが現役の頃には、生まれてもいない。
彼は音楽好きの父の影響で知っていたのだ。
それこそ、昔のレコードやカセットテープ、収集家だった父の部屋は、音楽関連のモノや本で埋まっていた事もあるほどだ。
「チャンスは巡って来た時に掴むものでしょ? ……か」
和也が口にした言葉は、映画音楽のチャンスが降ってきた時にJameが残した言葉だった。
彼は映画のサウンドトラックを聴きながら、その壮大なオーケストラの音色に、曲のイメージが湧いていたのだろう。CDを止めると、ギター片手に曲作りを始める彼の姿があるのだった。
講堂では、リハーサルをすべくクラス全員が集まっていた。和也のピアノ伴奏と三井の指揮により、合唱発表会の曲を歌っていたのだ。バス、テノール、アルト、ソプラノと、サビ部分はパート毎に別れ、耳心地のよいハーモニーを作っていた。
この一ヶ月程のクラス練習の成果もあり、残すは本場といった所だろう。
「和也、お疲れ」
「お疲れー、三井」
二人は練習の成果に満足のようだ。こうしてリハーサルを滞りなく終え、明日に控える本番を待つ事になるのだった。
「俺らも一年の時にやったなー」
「そうだな。緊張したのだけ覚えてるよ」
「えっ? ケイでも緊張してたのか?」
「するよ? あんなに大勢の前でピアノを弾いたのは、初めてだったし」
「そうなの? でもケイくんの伴奏、歌いやすかったよ?」
「ありがとう……」
講堂には、八十名の生徒と先生ら講師陣が集まっていた。
「へぇー、伴奏も指揮者も今年は男子なんだな」
「そうだな……」
小声で話をしていた彼らも、緊張感のある中、舞台に立つ一年生を静かに見守っていた。
和也がタクトを待つ三井に視線を向けると、曲が流れていく。本番が始まったのだ。
ーーこれもいい経験だよな……。
最初は出てなかった声量が、今までで一番いい気がする。
彼の感じた通り、緊張感に包まれながらも歌う彼らのハーモニーは、今までで一番整っていたと言えるだろう。
「ーー彼だ……」
客席では、そう呟く声があった。舞台に立つ和也にも、彼の側で聴いていた誰にも、その言葉は届かなかったが、そう呟いた彼は実に嬉しそうな笑みを浮かべていたのだ。
客席からの拍手に、和也は三井からクラスメイトに視線を移していた。
ーー楽しかったな……。
ピアノの伴奏なんて最初は冗談じゃないって思ったけど、先生に感謝だな。
「和也、お疲れ」
「三井、お疲れー。指揮、上手かったな」
「まぁーな。あんだけ練習すればなー」
「でも、楽しかっただろ?」
そう尋ねてくる和也は、心底楽しそうな表情を浮かべていた。音楽がすきな事が、彼にもしっかりと伝わっていたのだ。
「あぁー、楽しかったよ」
三井の言葉に、笑って応える和也がいるのだった。
「……宮前くん!」
この日、和也は運命的な出逢いをする事になった。
一年の教室に来た彼は、クラシック界で有名なヴァイオリニストの息子だったのだ。
「宮前くん、一緒に演らないか?」
「ーー……一緒に…ですか?」
「うん。あっ、自己紹介してなかったね。僕は三年の
そう言って手を差し出す彼は、見た目通りの爽やかな笑みを浮かべている。
ーー……あの…青山修人の息子が……一緒に?
戸惑いながらも、和也は差し出された手を握り返していた。
音楽のすきな彼に断る理由はなかったのだ。
活動内容を聞く前に、返事をしていた。
「……はい」
和かな表情を浮かべる彼に、入学式の時に感じたような、これからを期待する和也がいるのだった。
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