その11

 春休みに入っても、中途半端で終わった応募原稿のショックで、私は小説も書かず、ずっと部屋で眠る様にボーッとしていた。

 橋本さんたちがネット小説を更新している通知が目に入ってくる。春休みになったら私もアカウントを作るつもりだったけど、とても小説に触れる気分ではなかった。


「サクラ、手紙が来てるわよ」


 と、お母さんがそのハガキを不思議そうに持って来た。

 ベッドから起き上がった私、手紙なんか人生で年賀状以外もらった記憶がない。


「誰?」

「ん」


 お母さんはなにも言わず、入り口から葉書を出した。

 ベッドから手を伸ばそうとしたら、届かず、私は床に倒れ込み、「だらしがない」とお母さんに怒られた。


 手探りで手に取った葉書は、コンクールの運営元からで『応募原稿受け付け通知』と書いてあった。


「え」


 頭が混乱しそうになった。案の定、私はあの後、いいアイデアなんて浮かばず、結局原稿は送れず仕舞いだったのだ。


「アナタ、応募は止めたんじゃなかったの?」


 不思議そうに聞いてくるお母さん以上に、私の方が何が何だかわからなかった。その時、頭にアナタに渡した原稿が過ぎった。


「四季さんっ」


 私は血が一気に頭へ駆け上った。

 怒りで、同じクラスの子に連絡して四季さんの電話番号を教えてもらった。

電話口の向こうのアナタの惚けた声で、引越しの準備をしている最中だと言っていた。


「なに? 忙しいんだけど」

「とにかく、明日、あの並木に来て。話はそこでするから」

「ん。行けたら行く」


 面と向かって怒鳴らないと気が済まなかった。

 知ってるくせにとぼけたアナタの態度に余計に腹が立った。



 翌日。

 私が着いた時には、もうアナタはいつものベンチに座っていた。

 私の顔を見ても、アナタは表情一つ崩さず、冷静な声で挨拶して来た。桜の木は一年ぶりに花の蕾をつけ始め、主役になる準備を始めていた。


「話って何?」

「なんで、送ったの?」


 私にしては強い口調で言ったはずなのに、声がアナタを通り過ぎて行くように、アナタは表情を崩さない。


「怒ってるの?」


 そう言われ、私の怒りがカーッと脳天のドラを鳴らした。


「送らないって言ったでしょ、私!」


 人に怒鳴る事なんてほとんどなかった自分の声に、私自身が驚いて心臓がドキドキした。


「バレたか」


 私がポケットから通知の葉書を出すと、アナタはクスッと笑った。


「送らないって言うから、送ったのよ」


 私とは裏腹に全身のどこにも力が入っていない落ち着いた声だった。


「どう意味よ」

「アナタが嫌いだから」


 アナタは無表情に私を見た。能面みたいな顔が、私を軽蔑していると言いたそうだった。


「だから、最後に嫌がらせでもしてやろうと思ったのよ」


 落ち着いた声じゃない、アナタも怒っていたのだ。文化祭の日からずっと。青い炎の様な怒りを燃やしていたんだ。


「最後って引越しする前の嫌がらせって事?」

「言ったよね? 私、ループしてるって」

「……は?」

「引っ越しは来週。だけど、あと三日くらいで私はこの世界から消える」

「え」

「それで、また一年前の春に戻っちゃう」


 アナタがまたあの遠い目をした。

 私の周りの時が止まった。


「今は、冗談言わないでよ」


 前に「ループしてる」って言われた時、確かに嘘を言ってるようには聞こえなかった。けど、そんなこと本当だとも思っていなかった。


「冗談じゃない。この桜の木の蕾が開いたら、私は消える。誰が決めたか知らないけど、そういう決まり」


 アナタは頭上の桜の枝を見上げた。


「この感じだと、三日後にこの花は咲く。それで、私はまた振り出しに戻る。だから、最後にアナタに嫌がらせをしてやった。夢だって気づいたら、夢の中で暴れ回るじゃん? あんな感じ。今の私はさ、なにを言われてもされても三日でリセットされちゃうから、無敵なんだよねぇ」


 アナタは淡々と私に話して行く。頭に腕をストレッチしたり、クスクスと笑ったり、楽しそうにその作り話としか思えない事を、淡々と当たり前の様に。


 それが私を余計にイライラさせた。


「馬鹿にしないでよ! そんな嘘ばっか並べて! 私は本当に怒ってるの! なんで送ったの? ねぇ!」


 私は本気でアナタに詰め寄り、アナタのセーターの袖を強く掴んだ。


「送っても送らなくても一緒じゃん。どうせ、ダメ」

「違うの! 送ったら……」


 そこから先は情けなくて言葉にするのを躊躇った。


「送ったら、何なの?」


 『夢を見るのを諦めないといけない』なんて口が裂けても言えなかった。現実を知ったら、唯一の私の人生の支えを失ってしまう。絶対に来ない『いつか』を夢見るだけの暇つぶしが。


 私は俯いて、いつもの情けない自分を心で自責する作業に入った。


「私とアナタ、親友だったんだよ」

「え?」


 アナタが突然、話し出した。


 さっきまでと違う。とても優しい声で。


 握ったセーターからもアナタの力が一切入っていない。


「二回目のループの時、ひょんな事で私は乙木サクラと仲良くなった。家に遊びにも言ったから、アナタの嘘言う時の癖とか、誕生日とかも、サクラのお母さんから教えてもらった」


 アナタはセーターを掴んでいた私の手を握った。優しく暖かく、羽衣に包まれた様な感触だった。


「サクラは小説家になりたいって、入学してすぐに文芸部に入って、小説を書き始めた。まぁ、応募したコンクールは全部落ちてたけど。まぁ、まだ高校生だし。でも、どれだけ落ちても、あの子はメゲないで作品を作り続けてた」


 気付いたら、私の怒りがスーッと消えていた。そして、私はアナタの話に聞き入っていた。


「でも、文化祭で文集を出すってなった時に、サクラ、三年生の事とか関係なく応募してさ。それで、先輩が一人落ちちゃったの。それで、橋本さん達と喧嘩して、文芸部に居場所が無くなったって」

「喧嘩……マユちゃんと? 私が?」


 橋本さんと喧嘩している自分なんて、私には全然想像できなかった。


「サクラは文芸部に行けなくなって、橋本さんたちと犬猿になったから一人ぼっちで放課後、図書館に残って小説を書いてた。私も学校じゃ浮いてたから、それで仲良くなったの」

「親友……」

「ちょうど今日。ここでサクラに正直に打ち明けたの『もう直ぐ私は消える』って。泣いてくれるかなって思ったら、あの子、『小説書き続けて、小説家になってずっと待ってる』って」

「凄いね、その子」


 ただ一言、それだけしか出て来ず。とても、私と同じ人間だとは思えなかった。


「今回は最初がマズかったなぁ。本を水たまり落とすなんて、今までいなかったから。あれで、歯車が狂っちゃった。

 私がどんなに明るく接しても、アナタ、どんどん距離を置いてっちゃうし。小説も全然書こうとしないし。ずっとイジイジしてるし」


 アナタはそう言って、わざとらしい大きなため息をついた。


「未来ってさ。ほんのちょっとの事で変わっちゃうの。トイレに一回行きそびれたとか。そんな程度のことで、小説が嫌いなサクラになったり、運動部に入って人気者になるサクラもいたし」

「私が、クラスの人気者とか、全然想像できないんだけど」


「高校生の未来なんて、それぐらいあやふやなのよ。何回やっても、私の親友の乙木サクラに出会えないし」


 声が震えている。


「小さなミス一つで、私の全然知らないサクラになっちゃう。未来がどうなるかなんて、誰にも解りっこないの。だからさ……」


 アナタが私の顔を見つめて来た。西日で瞳から頬までがキラッと輝いた。


「サクラの声で『どうせ駄目だ』とか『なれっこない』とか言わないでよ」


 アナタは私の目も憚らずに、泣き出した。


「そんなの、私の好きなサクラじゃないのよ」


 アナタの強い姿しか見たことがなかった私には、アナタの泣き顔がナイフのように心に突き刺さって来た。

 この一年間、アナタが情けない私をどう言う気持ちで見ていたのか、なんで私にあれだけ優しくしてくれたのかを想像したら、アナタの親友だった乙木サクラが、どれだけ大切な人だったのかが痛いほど伝わって来た。


 その時、私の頭の奥から、私じゃないもう一人の乙木サクラの姿がパッと現れた。私の背筋から上、全てが大きく震え始めた。


「四季さん」

「え?」

「二日後、また、ここに来て」


 足りなかった小説のピースが、完璧な形で頭に浮かんだ。もう一人の、アナタの親友だった乙木サクラ。

 私とアナタと、もう一人の私。


 もう一人の乙木サクラを介して、やっとアナタと私が一つの線で繋がった。


 書けるって確信があった。


「二日で完成させてくるから。私の小説を読んでほしい」

「なんで?」

「アナタの為だけに書くから、絶対に完成させるから」


 書かないといけないって使命に近かった。目の前で泣いている、踏み込む勇気のなかった私を、この世界に引っ張ってくれた人の為に。


 成田四季は、本当にあと三日で消えてしまう。





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