58 死ンデォ終イ

 ● ● ●


 己の存在を意識した時。

 世界には二色しかなかった。

 真っ赤な夕焼けに塗りたくられた空はどこにも太陽が見当たらず、なのに世界を金の影を纏った赤一色で包んでいる。灰色の縦長い建物は黙しており、中には勿論地上にも生き物の気配はない。


「…………ここは、舞台裏……?」


 アリスの呟きは時計の墓場以上に静止した虚無に飲み込まれた。

 灰色のビル群に混ざった大型デパートの屋上に設置された小さな遊園地。移動可能の簡易的な遊具達の賑やかな外見は機能していないと妙に無機質さを増す。灰色の風景としてそこにあるだけのガラクタじみた遊具に囲まれて呆然と立ち尽くしていたアリスは瞬きをした後、愛らしい顔に満面の笑みを咲かせた。


「まあまあまあまあ! わたし達は無事に『めでたしめでたし』を迎えられたのですね!」


 アリスは興奮気味にその場で飛び跳ねる。

 赤と灰だけの世界で跳ねる純白は嫌に目立つが、それを目視するものは誰もいない。ただアリスの歓声のみが無機質な世界に木霊する。

 作者によって物語が弄られてから、各物語の重要な役割を担う住人達は『はじまりはじまり』が始まるまで己の世界ではなく舞台裏と称される赤と灰色の世界に置かれていた。

 噂ではすべての住人が舞台裏に置かれるわけでもないらしいが、アリスにように他の登場人物を含めた物語の舞台そのものと混ぜ合わされてしまっている者は一物語終了後は必ずと言って良いほど舞台裏に置かれて、次の物語が始まるまでここで暇を持て余す。

 明らかに物語の舞台とは異なるこの空間はいつまで経っても太陽のない黄昏が続き、どこまで行っても誰もおらず静寂が広がるだけ。ただ時々、本当に稀に他の物語の住人と出会う時がある。そういう時は互いにお喋りをしたり、お茶をしたり、相性によっては喧嘩をしたり、関心なく無視し合う場合もある。

 舞台裏はすべての物語が混在する、その名の通り物語の舞台裏だ。

 だからここに戻って来られたということは、アリスは無事にあの世界での物語を『めでたしめでたし』で幕を下ろせたらしい。

 アリスがエプロンドレスを翻し、たっぷりのフリルとレースを金色の陽光に絡めて踊らせていると「あら?」

 少女の鼻歌だけが舞う世界に不躾な呼び声が乱入してきた。


「お呼び出しだわ」


 鼓膜が痒くなる甲高いベル音。

 音の導に案内され、アリスは遊具の隙間を縫って行く。

 一人乗りの小さな汽車が置かれた線路の横を通り、小さな最大六人までしか搭乗できないジェットコースターの側にある小振りのティーカップ達の隙間を抜け、誰も乗っていない観覧車を通り過ぎる。

 鮮やかさの失われた灰色一色の寂れた馬が並ぶメリーゴーラウンドの前にそれはあった。

 つるんとした黒い電話。膨よかな身の正面に回転盤がついた電話がどこにも繋がっていないのにけたたましく喚く。

 アリスは肩紐を直しながら両膝をつき、黒電話の前にふわりとスカートを広げてしゃがみ込んだ。


「はい」


 重い受話器を持ち上げて、耳の当てる。


 パチリ――――


 と、響いてきたのは拍手。

 拍手の音は徐々に大きくなり、数が増えて、哄笑が拍手を喰い潰した。

 刹那、急激に場の温度が下がった。そう錯覚してしまうほど、アリスの体温は急上昇し、頬を濃い薔薇色に火照らせながら背筋を甘く震るわせた。

 白銀の眼に感嘆の色を滲ませ、水飴が絡んでいるように潤む唇にうっとりと柔い弧を描いた。

 ゲタゲタと受話器の向こうで転がり回る哄笑は、物語を楽しんでもらえた証拠。

 今回もまた主人公として相応しく振る舞い、己の物語を彩れたとアリスは歓喜に心を熱くさせて感情的に立ち上がった。


「今回も……!」


 楽しんで頂けて光栄ですわ。と、アリスが昂まる想いをぶつけようとした時。


『マダ』


 無邪気な声音が、アリスの全身を冷やした。


『死 ン デ ォ 終 イ』


 耳朶を嬲った台詞はアリスの脳に入り込むまで時間が掛かった。

 受話器を握ったまま硬直するアリスの眼前が陰る。


「……………」


 緩慢に視線をもたげれば、赤と灰だけの無機質な世界が霧のような、靄のような、煙のようなものに塞がれていた。

 アリスは気が付く。

 これは知らない存在だと。

 受話器の奥で楽しげに笑い声をあげる親しんだ存在とは違うと。

 見知った世界に知らない異物が乱入し、アリスをじい……と睨む。

「だれ?」と、アリスが声帯を動かすより先に、アリスの前に佇む実体のないぼやけたそれが揺らぐ。


『早く死ね』


 浴びせられた罵倒は、酷く感情のこもっていない機械的な音だった。


「!」


 頭皮を刺す陽光。肌を舐める熱気。止まった時間。錆とオイルの刺激臭が漂う赤錆びた時計の墓場にアリスは立っていた。


「…………」


 受話器を握った形のままになっている右腕を下ろし、見る。

 手の中にはもうなにもない。

 半端な形の手を心臓の位置で握り締め、アリスは青い青い空を見上げた。


「最後の、あの方は」


 真上から、巨大な太陽が少女を見返している。


「……人柱?」


 アリスの疑問は強い陽射しに溶かされる。

 答えてくれる相手はいない。代わりに、その時。


「どういうことかなぁん!?」

「なんでだよー! 百歩以上下がったよーっ!」

「嘘、でもなく……本当か……?」

「呵ッ呵ッ呵ッ!」


 背後から複数の悲嘆の絶叫が迸り、アリスは身体全体で後ろを振り向いた。

 他の者達も同様の動きをしており、皆の視線が一斉に交わる。

 円を描いて佇むのは先程まで共にしていた者達。

 誰一人配役が変わることなく再集結した。

 皆が顔を合わせたまま、沈黙。


 アリスは落ちた肩紐を直し、

 桃太郎は黒髪を風に揺らし、

 オオカミが犬歯を鳴らすと、

 領主が後脚で残骸を掻いて、

 ジンが純金の鎖を歌わせた。

 息を吸い、異口同音。


――――死んでお終い!


 と、全員が全員同じ言葉を吐き出して、笑う。


「つまり死んだら『めでたしめでたし』ですの?」

「それってぇ『めでたしめでたし』が用意されていないってことぉん?」

「嘘でもなくそうだろうぜ」

「何歩進めば良いか決まってないとか、意味分かんないよ……」

「『めでたしめでたし』を迎えるまで、つまりは死ぬまで楽しませろと言う意味でござろう。ふむ。今ここで首を掻っ捌いても良いが、それではつまらぬでござるな」

「はーん。嘘でもなくこの舞台上ではいつでも『めでたしめでたし』を自分で迎えて良いってことか?」

「そうですわね。けど、逆に言えば意図せず死んでしまっても強制的に『めでたしめでたし』になるということですわ」

「ねぇん。自分が『めでたしめでたし』を迎えて退場してもぉ他の方々の物語はここでその方が死ぬまで続くんだよねぇん?」

「ええーっ! それってそれって吾輩ちゃん物語が一番面白いのに吾輩ちゃんが死んだら強制的に『めでたしめでたし』にされるってこと? 吾輩ちゃんが退場したらこの世界つまらなくなるよー!」


 不満げに後脚で残骸を引っ掻く領主。に、向かって八つの眼光が静かに突き刺さる。

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