39 物語は進まなければ進まない
「アリス殿には、此の世界の方々が発する言葉がどう聞こえているでござるか?」
先に口を開いたのは桃太郎。
アリスは困り気味に眉を下げた。すると察した様子で桃太郎も薄く苦笑う。互いに再確認しなくともなんとなく分かっていた。しかし、状況整理と万が一の食い違いを起こさないためにも言語化して情報を共用し合う。
「わたし達の国の言葉で聞こえますわ」
「某もでござる」
アリスと桃太郎は笑顔の花を咲かせて大きく笑い合い、二瞬目には無理矢理に作っていたその花を盛大に枯らせて鉛以上に重い重い嘆息を吐いた。
「つまりわたし達はお互いに」
「此の世界の者達が口にする言葉は己の国の言語で聞こえているでござるな」
「では、文字についても……」
「うむ」
アリスと桃太郎は息を吸い――――
「自分の国の言語に見えている」
同時に言い放った。
「の、ですわね」
「で、ござるな」
二人はならば読めて当たり前だと納得し、そんなことがあってたまるかと頭を抱えた。
「流石に……これは……良いのでしょうか?」
「言語を狂わせては其の世界の軸がずれるでござろう」
「これではまるでゴミ――ッ」
邪な言葉を言い掛けてアリスの唇はとまった。
ひゅ、と喉が絞まる。
口にすれば、きっとその邪な言葉はどんな呪いよりもアリスを深く蝕むだろう。例え話でも、発するのは良くないと即座に思い直し、口に出す単語を慎重に選んだ。
「パズル……みたいな世界ですわね」
「嗚呼。アリス殿も思ったでござるか」
「すぐに。見聞きするのは主に自分の言語ですが、時々他の言語も複数混ざっているのですわよね。あと服装も多くの方はわたし達に近いですが、時折桃太郎お兄さまに似た方を見ましたもの。ええ、とてもたくさん混ざっていますわ」
「某の島國やアリス殿の王国だけでなく、合衆国や四千年の歴史を持つと言われる
「シャルルマーニュおじさまのところでお菓子を頂いた時もそうでしたの」
アリスは茶菓子として出されたクッキー生地を丸く焼き粉砂糖をかけた白い焼き菓子を思い起こす。
「シャルルマーニュおじさまはわたし達に出したお菓子を
ブルードネージュとスノーボールは同じ家庭菓子だ。正確に言えばブルードネージュは材料のひとつにアーモンドダイスを使用し、スノーボールはアーモンドパウダーを使うことがある。しかしこれは本当に些細な差であり、アリス達の世界の共用語ではどちらもスノーボールと呼ぶ。確かに共和国産の菓子は共和国の菓子名で呼ぶが、それでも基本は馴染みのある言い方をする。
「もしもこの世界の言語がわたし達の言語に変換されているのならば、この場合シャルルマーニュおじさまの言葉はスノーボールと変換されて聞こえるはずですわよね」
「其れがそうでは無いとなれば……」
二人は生唾を飲み込んだ。
顔を見合わせて、そっと頷く。
「分からぬ!」
「分かりませんわ!」
「気になる点は多いが、言葉に苦労なくば良いであろう」
「ひっちゃかめっちゃかになっているのは前からですわ。これくらい、むしろ親切で有り難いですわね。時にはご都合主義も大切ですわ」
アリスと桃太郎は言語の異常性について脳髄を働かせるのを放棄した。
狂っている物語についていくら考えようがどうにもならない。狂っているものは狂っている。ただそれだけ。
二人の目的は狂った滑稽な御伽噺の中で『めでたしめでたし』を迎えること。
例えこの世界が己の神たる作者ではなく、他の神である人柱に管理されている世界であろうとも。
二人のやることは変わらない。
疑問はある。
懸念はある。
腑に落ちない点はある。
けれど『めでたしめでたし』の支障にならないのならば、どれもこれもさしたる問題ではない。
「都合が良いのなら『めでたしめでたし』も都合良く迎えたいものですわね。ここまで進めてもナレーションがないので、今回はどんな『めでたしめでたし』を迎えれば良いのか分かりませんもの」
「せめて案内表記が入ってくれれば嬉しいでござるが」
ぼやきながら桃太郎は白い本の中に混ぜた青い本を取り出して、ページを捲る。すぐに手を止めて本を閉じると元来の位置に戻し始めた。
「展開としては、大きな事件を解決すればなんらかの手掛かりを頂けるかと思ったのですが……」
「どらいあどを倒してもさして展開に変化はないでござる」
「シャルルマーニュおじさまとも遊びましたが……結果として健康診断を受けることになっただけですわ。健康診断を受けて物語が進むとはわたし達には思えませんの。もっと、ええ、場面転換が必要だと思いますのよ。場が進まないと進みませんわ!」
「アリス殿の物語は様々な場所に移動しながら進む物語でござるからな」
「桃太郎お兄さまもそうでしょう?」
「故にアリス殿とは話が合うでござる」
「でも……」
雨水が落ちるように、アリスの声がポツンと室内に零れた。
「アリスは、最初から最後まで一人なのですわ」
どこかから響いてくるなにかの稼働音がアリスのか細い呟きを飲み込む。
アリスの声を聞き逃がさないよう桃太郎が耳を澄ませたのが分かる。彼の爪先が、アリスのほうを向いた。
そんなに気を張って聞かれる内容でもないと、アリスは小さく口角を持ち上げる。
「元来の物語では、わたしは一人で兎を追って、一人で不思議の国に迷い込むのですわ」
ぽたり。
ぽつり。
ぽつん。
雨が降るようにアリスの言葉が室内に降る。
その雨にアリスはこれといった感情を乗せたつもりはなかった。なんとなく、何気なく、真実のみを口にした。
シナモンスティックに軽く歯を立てる。濃過ぎる風味がツンと鼻腔を駆け上がり、アリスはすぐにスティックを口から離した。放り投げれば、虚空に浮いていたティーカップが回転しながら飛んできたシナモンスティックをうまく助けた。
カンッ! と強い衝撃音が瞬く。
「なに、いまは元来の物語ではないでござる」
アリスはクッションに落としかけた頭をもたげた。
「魔獣や精霊の命が石になる世界。魔力を放つ巨大な時計塔。魔法がこもった鉱石に、それを使って魔法を発動する道具や武器。なぜか己の国のものに聞こえる言語。だが、所々そうも聞こえぬ奇妙な仕立て。作者ではなく、いるのは人柱。呵呵々! まったくもって元来の物語ではないのでござる。なにより、我らがいた元来の舞台ですらないでござる」
桃太郎の素足が柔らかな絨毯を踏んでアリスの元までやってくる。長椅子の側に足を揃えると、間髪入れずにリボンのついていない白い頭に小さな手が落ちてきた。
「なれば、今は『はじまりはじまり』から『めでたしめでたし』までアリス殿が誰かと共であっても可笑しくはなかろう」
慈しむ手付きで撫でられる。染み込んできた桃太郎の手の温もりに慰められていると気付いたアリスは肩を跳ね上げさせた。
「あっ……違っ! 違うのですわ! 自分の物語に不満があるとか、いやだとかそういうわけではなくて……ただ!」
「うむ。此の世界に居る間は決して一人にはせぬでござる」
「……っ……!」
自分でも無意識のうちにムキになったアリスの甲高い否定を桃太郎は穏やかに頷いて聞く。
頭を撫でる彼の手は止まらず、伝わってくる優しさにアリスは黙り込んだ。
きっと何を言っても言い訳にしか聞こえないと気付き、勢い良くクッションに顔面を埋める。弾力のあるクッションを強く握り締めた。
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