30 異世界からの転移者達
白銀の眼を三角にしてアリスは床を靴底で叩いた。投げナイフの欠片で亀裂の入っていた床がさらに良くない甲高くも濁った異音を発してヒビを大きくする。そこだけ微かに陥没し、固い床にアリスの小さな足跡がついた。
力み過ぎて白い肩が荒く上下する。落ちた肩紐を直すこともせず、アリスはシャルルマーニュを睨み、その後ローランへと鋭くした目線を持ち上げた。
「あんな野蛮な存在と一緒にしないでくださいまし!」
アリスはローランへと強く訴える。
彼はアリスの主張に答えず視線を泳がせながら髪を握り締め、眉根を顰めた。
「ジリリー。ローラン。それ、
呆れを通り越して至極億劫そうにシャルルマーニュは言うとティーカップの中身をすべて飲み干した。空のティーカップを手にしたまま眼鏡を薬指で上げる。
「オイ、そういう言い方は……!」
気まずそうに声を裏返らせたローランとは正反対にシャルルマーニュは適当な態度でのんびりと欠伸を零す。茶菓子の缶を鷲掴み、カップの中に雪玉に似た小さな菓子をザラザラと流し込んだ。白い山が出来上がる。
どうやらシャルルマーニュのほうは本格的にアリスに対して悪い印象を抱いてしまった様子だ。ただこうして落ち着いた後によくよく考えれば先程彼から向けられたのは敵意だけではないとアリスは思う。敵意や警戒の奥には好奇心や興味が潜んでいた。
「不思議の国のアリスと言えば、それなりに有名と思っていたのですが」
アリスは嘆息を吐く。
「自惚れていたようですわね……」
現状アリスをアリスと理解できる者と出会えてはいない。確かに真っ白になってからアリスの雰囲気は変わってしまったので、初見だと首を捻られることは多いがそれでもリボンにエプロンドレスの少女という印象は失われてはいないのでアリスと名乗れば大半の物語の人物達は不思議の国か鏡の国のアリスだと察してくれる。地下や子供部屋という別の呼ばれ方や、物語の中にマザーグースが仕込まれているということまでは中々知られていないものの、不思議の国や鏡の国という
「わたし達もこの世界のことを知らないのですから、お互い様でしょうか」
アリスは長い銀糸の睫毛を伏せる。蒸気機関に似た文明と魔法が混ざったこの世界が誰のどんな物語なのかまったく見当が付かない。
「この世界を、知らない?」
ふと、ローランが反応した。
「ええ。わたし達はこの世界に来たばかりですので」
当たり前のことを当たり前のように答えると、場の空気が一変した。
頑なに目を合わせなかったローランがアリスへと真っ直ぐに注目し、完全にアリスを視野から外してティーカップに積まれた菓子の雪山に高い位置から紅茶を注いでいたシャルルマーニュも勢い良くアリスへと顔を向けてくる。
シャルルマーニュの表情を見て、アリスは確信した。やはり先程彼から向けられていた圧は敵意だけではなく好奇心であると。彼は気を張った黄昏の瞳とは逆にふたつの青空をキラキラと瞬かせた。それは冒険に焦がれる少年の表情。
「お嬢さんは他の魔蒸都市からきた子ではないのですか?」
言葉を選ぶふうに唇を半端に開き、閉じ、躊躇していたローランを無視してシャルルマーニュの明るい声が店内に響いた。ローランが弾かれたようにシャルルマーニュを睨む。が、やはりローランが声帯を震わせるよりも早くシャルルマーニュがアリスへと好奇心を投げつける。
「お嬢さんは
「
「先生なに言ってンの!」
「ジリリー。ローランだって気になるでしょう? それに、
「そりゃそうだけど……ああッ! 物事には順序ってモンがあンのよ! もしそうなら、こう、もう少し」
「ジリリー。うるさい。お前のそういうところが嫌いです。ねえ、教えてください」
シャルルマーニュが最初に出会った時と同じ柔らかな笑顔を零す。
「お前はなんですか?」
● ● ●
場を落ち着かせるため、シャルルマーニュが店の外に閉店の知らせを下げた後。鼻歌交じりに新しい紅茶と茶菓子を用意されたアリスは自分のことを彼らに説明した。
自分の元来の物語のこと。ひっちゃかめっちゃかになった物語のこと。他の物語のこと。関わった物語のこと。気まぐれな
腰掛けるシャルルマーニュは始終笑顔を煌めかせていたが、立ったままカウンターに寄り掛かっているローランは始終仏頂面で時より頭が痛そうに呻いては髪を握り潰した。
「ローラン! ローラン! やはり、これはっ、
「いや、いやいやいや……待ってちょうだいよ先生。まずは
「ジリリー! ジリリー! このオレの攻撃を防いだ子供です。そんなの確認する必要はないでしょう。本物です。本物!」
「待って……待て待て、待って! だって、
「ジリリー。それを再現しようとしている輩がいるでしょう」
「コエーこたァ言わンでちょうだい。転移魔法技術式を蘇らせてたら、そりゃ冗談抜きで大問題よ」
「リンゴーン。本当に大問題ですからそこを詳しく調べるのが教団の仕事です」
二人は静かに言い争う。シャルルマーニュはどこか楽しげだが、ローランは胃が切れてしまいそうな表情だ。
「ローランおじさま。この世界の魔法がどんなものかはまだ把握しきれていませんが、わたし達はこの世界の魔法によってここに来たわけではありませんわ。わたし達は
苦悶の表情を浮かべるローランにアリスは説明を追加した。シャルルマーニュが笑みを深め、ローランは顔色を一層悪くさせる。
「世界が混ざるのは、この世界は初めてなのですか?」
「ジリリー。過去にも
「先生。勝手に……!」
「ジリリー。うるさい。彼女が
「違ったらどうすンのよ?」
「ジリリー。あれを見ておきながら、まだ言いますか」
「でも」
「ジリリー。ここはオレの店です。余計な目や耳はいませんよ」
「それもあっけど、問題はそれだけじゃねェの! 本当に
「ジリリー。ローランは気にしすぎで――」
「責任問題!」
癖っ毛を親の仇のように潰しながら感情的に靴底を強く叩いたローラン。言葉を遮られたシャルルマーニュは煩わしそうに溜め息を落とすと拗ねた面持ちでカウンターに頬杖をついた。
アリスは二人を交互に見やり、一旦会話が止まったことを確認すると口を開いた。
「
「リンゴーン。他の世界の病気をこっちに持ってこられたら困るのですよ。お嬢さんはこの世界を滅ぼす病原菌の塊かもしれません」
「先生!」
「ジリリー。本当のことでしょう」
「言い方よ!」
「構いませんわ。ローランおじさま」
「ほら。ローランが気にしすぎです」
ケラケラと肩を揺らすシャルルマーニュにローランの鋭い眼光が刺さる。が、やはりシャルルマーニュはどこ吹く風。新しい玩具を見付けた子供の眼差しでアリスを吟味するシャルルマーニュには、ローランの忠告などこれっぽっちも釘になっていない。
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