No.4 権力と追憶
「皇帝陛下、万歳ーー!」
彼らは笑って、手を振ってくれる。
僕は其れが嬉しくて、小さな右手を出来るだけ大きく振った。
「見ろ! 皇帝陛下だ、手を振ってくれているぞ!!」
そうやって、彼らはもっと喜んでくれた。
実際、自分にはよくわからなかった。
まだ街に出たこともない、小さな自分にとって。群衆という、いわば一つの生存個体が、何を想い、自分の行動を喜ぶ仕草を見せるのか。
分からなかったが。
とにかく、喜んでくれているみたいだ。それが分かればよかった。
広間に集まった老若男女、彼らの顔一つ一つを自分は覚えている。
今でも、瞳を閉じれば思い出せる。
そして自分は、あの時と同じように彼らを見上げている。
彼らはもう笑わない。いや、笑えない。
誰もいなくなった広間を見下ろして、自分は手を振っているのだ。
誰か、喜んでくれるかもと。
* * *
……。
それを見届けて、彼は息を吸った。
「ありがとう……」
その一言を、聞き届けて。
「Doubt(ダウト)!!」
彼の姿は、跡形もなく無くなって。
教室は元通り、どこか寂しい空間を取り戻す。そこに、倒れるように眠っていた。
……。
『皆さん、お待たせしています。なんて、お前の事情を作品に入れるんじゃねえという話ですよね、すいません。
このお話は、気持ちは皆が主人公です。と言いたいですが、形式的な主人公は青年です。なのに、青年が出てこない······。はい、今から出そうと思います!』
母の声が聞こえた。
真っ白い世界、まるで蚕の繭の中にでも閉じ込められたみたいだ。なんて、経験はないし、御免だけれども。
とにかく、無彩色無臭、もちろん無味。そんな空間の中心に、満たされた液体の中に、俺は浮いているみたいだった。
また、温かい声が聞こえる。
空間の外側から、中を反響する女の声。
「……、あな…は、わた……きぼ……す」
何を言っているのか、液体が遮って聞こえない。
「このせ……に、……うを……]
母さん、聞こえないよ。貴方の声が、届かないよ。
苦しいよ、悔しいよ。
淋しいよ。
しかし次の言葉は、はっきりと聞こえた。
「貴方に期待しています……」
冷淡で、淋しい、熱を奪われた鉄筋みたいな声。
違う、お前じゃない。
うるさい……。
何故か腹の奥から、掘り当てられた温泉みたいに、熱いものがどっと
「うるさい、僕は俺だ!! 」 僕はオレか……?
そう言いきって、急に白が光に変わった。
はあ、ふう、へえ……。
気の抜けた溜息と、切れる息を落ち着かせ。
青年は、辺りを見回した。
あれ、確かこのシチュエーションどっかであったような、しかし思い出せない。まるで、クシャミが出そうで、出ないみたいな感覚である。
しかしながら、前回のような空間とは違う。
気味の悪い夢、とも違う。
体が強張っていて、足にほとんど感覚が無い。
一瞬焦るが、痺れているだけだった。というのも、板張りの上に、大の字になって寝ていたらしいのだ。
イタイ、シビレル、やっぱイタイ……。
やられちまったなあ
『お前、寝過ぎなんだよ……。今の時間を見てみろよ、きっと驚くぜ』
うるさいなあ。しかし、反論できない。
「時計……、時計。ああ、あった」
改めて、教室だと気付いた。相変わらず、そんな言葉を続けようとして、ふと首を傾げる……。
何も思い出せないよ。何も。
僕は神様と会って、屋上に飛ばされて。乱暴に設定言われて、ゲームがどうとか。
『プロタゴラス……、だろう』
そうそう、フルーツってやつだった、気がするような。
『つまらねえ。まさか、ガチか?』
自分の事だろ。それこそお前、分かんないのかよ?
『ああ? お前も覚えてねえだろう。俺に任せっきりに……』
ペテン師の事。
『あれ……、途中で』
ん? まだ文句あるのか?
『いいや……』
こんな感じで、傍から見ると奇妙を越えて狂気の部類に入りそうな、
「結局、ここは夕方を繰り返すんだろうが」
夕方、いや黄昏時だろうか。
少なくとも、時計は5時30分、試合まで30分を指していた。
何度目かの、だな。
そんなことで時間をつぶし、やっとの思いで動き出す。
まず、強張ってる体を伸ばす。
右、左とどめの右。上に伸ばして、下に伸ばして、また上に。
「下に……、って?」
上半身を伸ばそうと、つま先に向けて腕を伸ばしたとき。
顔とともに視線も下がって。
ボロッボッロになった制服と、その隙間から見える無数のあざ。それは気を失っていた場面展開も合わせて、ボッコボコに蹴られまくったとしか思えないもの。
僕は本当に、勝ったのか?
それとも、気を失っているうちに、誰かが仲裁に?
イエーイ! 神様の顔が脳裏に、どアップで浮かんだ。うう、気分が。
なんだよしつれいな
取り敢えず、6時になったら試合が共有される。そこで追い追い、今が
そう思い、ふとカードを裏返す。
『次回戦→・第8戦:運命の輪vs愚者~会場:市運営中央図書館』
絶対に、初めて見た。
前の文字は消えていて、上から書き直されている。
青年は、
* * *
6戦目/皇帝vs月
『奇怪な5戦が終わり、次へと進む。ところがこの2人も、随分と特殊な組み合わせで。権力と幻想、相容れない2つの言葉が、今、幻を見せる……』
そこは町の一角、比較的大きな二車線道路にて。
それは異様な光景だった。
一概に言っても、異様とは様々だが。
ここでの異様というのは、相容れない二つを無理やり合わせたような光景である。
相性の悪いものを、掛け合わせたような感じである。
月とスッポンは合う。
月と団子も合う。けれど、団子とスッポンは無いだろうよ、みたいな?
何というか、歯がゆい感じである。(個人の感想です……)
状況を整理しよう。
ここには2人、まず目を引くのは、古代ローマ人の様な格好の男。
白い布をうまく重ねて、帯で縛っている。
‘‘無知”と違うのは、そこに指輪や首飾りなどの装飾品を、幾つも身に着けている点である。つまり、即席という訳でもないらしい。
また、もう一人の少年?
其れは、輪郭がぼんやりとして、何処か超自然的な雰囲気を匂わせている。ただ、見かけは小学生ぐらいの背で、少年と言っておく。
そして、2人は向き合っている。
向き合っているが、互いに目を合わせない。それは犬猿の仲だとかじゃなく、ただの位置関係的な問題である。
合わせたいが、合わせられない高低差。
コスプレ男は、物理的に見下しているのだ。大きな城の跡地の石垣の上に、立ち。
上を失った石垣に、彼は立ち、小さな少年? を、見下ろしているのだ。
「わたしは‘‘幻想”のメフィスト、月の信者なり」
其れは、声もぼんやりとしていた。
「ふん、舐められたものだな」
純粋に、腹が立った。
其れはそれを聞き、それらしい反応をしない。ただ、そこにいる。
ぼんやり、としている。
「お前は今、余に手の内を晒したのだぞ。分かるか?
このゲームにおいて、称号というものがどのくらい大きいモノか。
先の5戦において、十分に判ったであろう」
ぼんやりと、其れは見ていたが。
「うっとおしいな」
また、ぼんやりと聞こえた。
ぼんやりとしているもんだから、性別は分からない。実際、歳も見た目も良く分からないなんて、可笑しな話である。
馬鹿げている、そう彼は思った。
「うっとおしいの。これじゃあ、けいいってものが、みえないな。こっちから、なのったんだ、こたえるべき、でしょう」
ぼんやりと、聞き取りづらいが。
確かに、敬意は持つべきだと思った。そう、父上も
「良かろう。余の名はオッドーロ帝国皇帝、ハリオン三世である。此処には気付くと召されており、よく分かっておらん」
初め自分は、混乱した。
というのも、最後の記憶は、天命を全うした時だったから。
それから無礼な神とかいう奴に、馬鹿にされた……。
まだ、彼は根に持っていたのだった。
「ねえ、このめせんのちがいも、けいいってやつじゃ、どうなのよ?」
其れは不満げにも、からかっているようにも。
見えるし、見えないし……。
「何を言っている、これが余の敬意じゃ」
「はあ、だからうっとおしい、めんどうだと。まるで、かいわがつうじない。せかいがちがうんだ、こまったものだ」
流石に馬鹿にされている、それは良く聞こえた。
腹が立つが、噛み合わない。
皇帝は困ってしまった。
「だからさ、ひととはなすときは、どこをみろって? ああ、そんなようじゃ、まともにおしえてもらって、ないわねえ。こまった、こまった」
嗚呼、一つ一つが鼻につく……。
其れは困ったというが、ぼんやりして、分からない。
声、見た目、雰囲気……。
聴覚的、視覚的、感覚的……。感覚機能を同時に、封殺されたみたいだった。
それは、確かに強力な能力だけれど、しかし攻撃的ではない。
このゲームは、別段攻撃的であればいい訳では無い。けれど、相手を説き伏せるときに、この能力はそこまで……。
こいつは、勝てるな。
皇帝は胸の内で、確信するのだが。
「なめられたものだな」
其れは、やはりぼんやりと言う。
「これは、のうりょく、ではない。いっしゅの、そんざいがいねんだ。‘‘みち”、ともちがう。これは、わたしそのもの」
その一言に、何故かぞっとした。悪寒がした。
こいつはヤバイ、絶対的な自身の勘が、言っている。
「じゃあ、お主はなんぞ?」
皇帝は、眉を顰めながら言う。
「わたしはかげ、ひかり。そしてあなた」
余、だと?
皇帝は不快でならなかった。先程の嫌な悪寒も、今は不快の念に吸収されていた。
また、馬鹿にされている……。
それは何よりも、彼が恐れ、忌み嫌うものだった。
しかし其れは、急かすように続ける。ぼんやりと、何か皇帝を待っているようだった。
「じゃあ、みてみろよ。ようく、みてみろよ」
余に指図を……。
「だから、みてみろって」
調子に乗って……。
「やっぱり、おくびょうなのね」
……、……!
「つうじないわ。あなたはやはり……」
皇帝の顔から、余裕の文字は消え去った。
歯ぎしりしながら、目は血走り、皴は寄り……。激しい剣幕だった。
そのまま、小学生くらいの其れを、動物が威嚇するみたいに睨みつける。
そして、引き
引き延ばした、ありとあらゆる筋肉が、固まった。
視てしまったのは、化け物だ。形容しがたいが、強いて言うならば。
幼児がクレヨンで、殴り書きした人間の絵。
特に其の眼と言ったら、ブラックホールみたいに、見るもの全てを飲み込んでいってしまいそうだった。
皇帝は眩暈がした。並大抵の大人でも、これには心をやられるだろうし。弱い人は、ショックでそのままポックリ行きそうなくらい。
だから、彼は強いのだ。
何とかふらつく足を抑え、あくまで威厳を忘れない様子。足元の石垣に視線を落とすが、顔も平常を装う余力があるようで。
「見直そうぞ」
そう彼は言った。
「お前は臆病者とばかり思っていたけれど、見直す必要がありそうだな。さあ、見直すと言えば、今からお前には、自分を見直してもらおうと思う」
随分と、饒舌だった。
とても、アレを見たとは……。
「さあ、会話しようよ。お前の世界で、お前についてを語り合おうぜ」
クドイと思うが、このゲーム。
強力な能力があるから、武力があるからって、それで勝てるとは、分からない。何故なら、勝利条件は、詭弁を通すこと……。説き伏せればいいのだ。
例えば、簡単な会話であっても。
「余は‘‘幻想”のメフィスト、月の信者なり。我が存在は影、光、そして貴方」
ニヤリッ、男の口は三日月の様に開く。要は、笑っているのだ。
異様なくらい、その笑顔は合っていなかった。
2人は向かい合う。
男は笑い、もう一人の男を見上げている。しかしながら、2人を判別することは、表情以外では不可能だった。見た目も、雰囲気も瓜二つだ。
異様な光景だった、そう添えておく。
だから……、余に……。
余に……。
≪お前は私の次に立つ男だ。その器、厳しく
我らが……、のために。
「お前は余を
そう叫ぶのは、他ならぬ皇帝であった。
彼は何処からか、丸められた羊皮紙を掴んでいて。片方の手に、羽の付いたペン。
見せつけるように突き出し、紐を解いて開く。
回転しながら伸びきった紙には、古代文字だろうか、アルファベットに似た文字がずらっと書き連ねてあった。
「我が
羽ペンが動き、次見た時には……。
「余を知らず、恐れず、のうのうと生きる愚者共に、知らしめてやる」
彼は歯を食いしばり、そのペンを動かす。
腕から滴る雫と同色の、真っ赤な文字が書き足された。
「逆だな……」
彼はそう言って、自分の腕からも滴り始めた血を見て言う。
「余は命ずる、この空間において、相手に幻覚を見せる能力を見せる能力を、全て封殺する。これは、この空間において絶対なのだ。何故なら余は、
命令1:精神介入系統能力の、完全な封殺……。_完了
羊皮紙は解けるように消え、ペンも無かった。ただ、2人の腕から滴り続ける雫だけが、彼の能力を証明しているといえる。
「これで、もう何もできまい」
皇帝は得意げになって言う。実際、彼は今、得意げになっても良かったのかもしれない。何故なら、‘‘幻想”から幻を奪ってしまったのだから……。
「はあ、困ったねえ」
其れ、今は彼、は言う。彼には今、顔があるから、その表情というものが分かるようになったのだけど。
全くもって、困った、なんて顔をしていなかった。むしろ、してやったりなんて顔でいる。何か、隠し玉でもあるのだろうか。
少し間をおいて、不意に彼は口を開く……。
「なあ、お前は月を見たことがあるか?」
それは、何の前触れも、前述もない。
「月ぐらい、あるよなあ。だって、あんなに大きくて、地球を近くで見守っている。潮の満ち引き、人類の暦にもなった。偉大な偉大な存在さ」
でさあ、そう彼は続ける。
結局、あの能力で変わったのは、彼の口調ぐらいだった気がする。
「ここで質問、君はこう思ったことはないかい。月ってどうして、光っているのでしょうか? ってね」
答えは……、次の瞬間そう言うのだったら、わざわざクイズ形式にした意味である。
「月は、光っていないのさ。いいや、太陽の陽を反射しているってことは、一応光っているでも良いのかな。つまり、月は自分で光っている訳じゃない」
彼の伝えたいこと、その真意は解りかねるが。
小さい頃から学問に努めた皇帝にとって、それは退屈なくらいだった。
だったら、何だというのだ?
「『月に捧ぐ幻想曲』」
そう彼は呟いた。
その一言に神秘の力でも込められていたのか、森の木々の眠りを覚ますように、大地が揺れ、空が割れた。
皇帝はその様を、ポカンと眺めているのだった。
何しろ先程、自分は確かに封じたのだ。幻を封じる、ともすれば、これは……?
更に、皇帝の足元にも異変が起こる。
石垣がヌシヌシと、上に伸びているだ。また、地面は下に下がっていくため、2つの差はどんどん遠くなり、遂にマンション4・5階分くらいまで、高くなる。
みるみる世界が、時間を遡っていくように、ビル群や住宅街はどこかに消え、代わりに自然豊かな盆地のような場所になる。
更にそこに、何処からか人が集まってきて、次々と住み始めて……。
あらゆる歴史的事件がそこで起こり、開拓され、とうとう動きは止まった。
「皇帝陛下、万歳!」
あの頃の、今はもう思い出そうともしない記憶の断片が、目の前に広がっているのだった。
「これは……、余の帝国、その城の広場ではないか。しかも、あそこに見えるのは……」
一度も忘れたことのない、民一人一人の顔。
歓喜に沸く、余の民たちの顔。
いつも自分が、城の上から手を振っていた人々。
「そうか、これがお前の……。済まないけれど、どんどん進みたんだ。脳裏に焼き付けるんなら、今のうちだぜ」
皇帝はただ、その様子を茫然と眺めていた。そんな彼の様子もお構いなし。
広場の至る所では、訳もなく。どっと歓声が起こり続ける。
「次は、御父上の最期だな」
彼はそう言う。平然と、何も変わってないみたいに。
「ま……、まって」
皇帝の、初めて出る弱弱しい声。
……、ジュベットよ。
ああ、聞き慣れた、そしてずいぶん昔に失った物。
視界は一瞬真っ白になったかと思うと、先とは一変して。
今まさに、一人の命が消えゆくみたいに、重く寂しい空間で。
「ああ……。ああ、覚えてるよ、忘れたことはない。ここは、御父上の」
寝室は、蝋燭の火に照らされているためか、大きな闇の中に浮かぶ孤島のような、独立した空間で。中央に置かれた豪勢なベッドには、まだ若い、30から40代ぐらいの男が、奥の者に囲まれ、ゆっくりと息をしていた。
「お前には、辛い思いをさせてしまった。私の終わりは近かった、だから、焦ってしまって。けれど、まさかここまで進んで……」
その後は、咳で途絶える。明らかに危険な、絞り出すような咳をしばし繰り返し、苦しげに、皇帝は続ける。
「決して、忘れてはいけないこと、それは民だ。一番大事なのは、民だ」
決して忘れてはならないこと、王というのは……。
そして、その後は続かなかった。
「この時、余は余になった。余は、若くして、その座を継いだ。母もすぐに病気で死に、余には近しいものがいなくなった。余に残ったのは……」
民と……、権力。
「これが最後だな……」
それは、本当に最後だった。
皇帝は立ち尽くした。
いつも民に手を振っていた、城の上で。それは意識してか、せずか嘗て、本人が立ったその場所に、全く同じように。
彼は手を振った。それにつられて、皇帝も手を振った。
血にまみれた広場の、起き上がらない人々に。
皇帝、これはどういうことですか? 辞めて下さい、貴方はこんなことをする人では。何故です、何故私たちを裏切るような真似を。悲しいです。痛いです、何故ですか、貴方はもっと、悲しいです、痛いです、何故ですか、貴方は……。
「お父様ならば……」
悲しい、痛い、苦しい。……、恐い。
あんなに嬉しそうに、心から振られていたはずの手が。……、恐い。
お父様やお母様は、自分を見て失念されるだろうか?……、恐い。
「まだ、余は若かった」
分からなくて、必死にあがいて、でも難しい。彼らは何を想っている、僕に何を求めているんだ?
分からなくて、恐くなって、信じられなくなって。
そうしたら、とうとう彼らは、民たちは、皇帝を不要と言った。
『共和制』、その言葉が掲げられた瞬間に、自分は全て手を失った。
民さえ、失った。
何だったんだと腹が立った。もう民と呼んでいた者が、一個の敵対生命に感じられた。そうしたら、自己防衛のために、自分の身を護るために……。
「兵たちよ、彼らはもう、民ではない」
敵だ……。
目の前に、一体の亡骸がある。皇帝の謁見の間、その玉座の前に転がっている。
頭を持っておらず、持って行かれてしまったようだった。無残でどこか淋しい……。
それをしばし、2人は眺めていた。
「余は、何処で間違えたのだと思う?」
皇帝は彼たる威厳を失くし、10歳も20歳も老けてしまって見える。彼も、それにつられて老けるのだった。
「王は民の上でなく、前に立っている」
前皇帝が、言い残せなかったこと。
分かりきったことだが、それも見えなくなるときがある。
ある意味、幻想に近いのかもな。
そう彼は思った。
「まあ、上だろうが前だろうが、民がいなくなったときに、もう王では無いんだな」
もう彼を、皇帝とするものは無かった。
「ありがとう、肩の荷物が下りた気分だ」
それを聞き届けて。
「Doubt(ダウト)!!」
跡形もなく、彼は消える。最後の最後に、彼は彼で在れただろうか。
幻想も、やがてぼんやりと、その輪郭を失っていくが……。
* * *
「ああ、言い忘れていた」
ネタ晴らしをするタイミングを、逃がしてしまった。彼の冥土の土産にでもと思ったが、手遅れだった。
だから最後に……。
「私は月の信者。その
彼の能力で、幻覚も封じられていたはず……。
「月と同じさ。月は、反射することで、さも光っているように見える」
人間の視覚も、目というレンズに入り込んだ光を、情報として脳に取り込むものだ。
「つまり、人間の眼に入ってきた光、それを歪めてしまえば……」
それは、現実を歪めるのとほぼ同義になる。わざわざ精神介入をしないで良い。
声や匂いも……。
「視覚は人間の得る情報の、大部分を担っていると言われているからね」
それが完全に操作されたとき、他の感覚も、それにつられて騙される。そんな、錯覚に陥っていたのだ。
彼は特に、その意識が強かったし。
そして、彼の能力だが。
「あれは、確かに強力な能力だが。彼が、相手にとって、
まあ、彼はそれを、良く使いこなせていただろうよ。
それも彼だから、あの能力になったわけだが······。
まあ、こんな感じでどうだろう。
取り敢えず、まだ仕事は、使命は残っているからね。
「この世界は幻想だ」
しかし、それは美しい。私はそれを嫌いには、なれないから……。
「だから、それを乱すものを、私は許せない」
待っていろよ、
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