あの日の歌は夏に消えた
つづき
第1話
蝉がうるさいくらいに鳴いている。
雲は高く、空は青い。
その日、あの歌を聴いた―――――
「暑い…」
今は8月の夏休み真っ最中。
今年で高校3年生になる俺は大学進学を目指す受験生である。だからこの長期休暇中にもちろん勉強をしないわけがないのだが、家ではなんだかやる気がでないためわざわざ学校に来ていた。
「早く冷房のある部屋に行かないと死んでしまう。」
いつも使用している教室も冷房はあるのだが、なぜだかクラスメイトに会うのが嫌で同じく冷房がある図書室を目指していた。
図書室にはあまり行かないのだが、さすがにこの校舎に通って3年目にもなるのだ。特に迷うこともなく、冷房のためにむしろ足早に歩いて図書室に到着した。扉を開けると自分と同じ考えの者もいるのか、何人かが友達同士で勉強しているようだが、結局無駄話が弾んでしまってあまり進んでいないようにも見える。その証拠に参考書はかなり積まれているのにノートはほぼ真っ白だ。
「おっす。」
周りの様子に呆れつつ、空いている席を探そうとしたとき前方のテーブルから声をかけられた。
「お前も家から逃げてきた口か?」
へらへら笑いながら話しかけてくるのはクラスメイトの鈴木だ。どうやら鈴木は数人で一緒に勉強しているようで、同じテーブルには何人かの生徒が集まってノートを開いていた。しかし鈴木以外に知っている顔はないのでおそらく別のクラスの部活仲間なのだろう。ちらと鈴木のいたテーブルを見てから鈴木に視線を戻した。
「逃げたというか、ちょっと誰かの目が欲しくなって。家族はみんな仕事で家にいないし。」
「あーわかるわー、誰か周りにいないとついついだらけちまうんよなー。」
どうやら鈴木も俺と同じような考えれだったようだ。しかし一緒に勉強していたであろう男子生徒から「お前さっきから1ページも進んでないじゃねえか」と笑われていた。それに対し鈴木は「俺は好きなことしかやる気が出ないだけだから」と得意げに返す。
「そういや、お前は志望どこだっけ?」
友達と軽く笑いあってから鈴木が急に俺に尋ねてきた。これといって大学の志望はなくとにかく進学としか考えていなかったため、俺はなんとなくいつも模試の志望欄に書く地元の大学名を言った。
「ふーん、学部は?」
鈴木がさらに尋ねてくる。
「え、あー、まあ適当に理系のどれかかな。あ、鈴木はどこだっけ?」
俺は少し困りながら答え、話題を自分から逸らそうと反射的に質問を返す。
「俺か?俺は東京の大学の工学部だよ。そこに人工知能で有名な教授がいてさ、その人の研究室に入りたいんだよなあ。だから普段からプログラムとか人工知能についても勉強してるし、これが面白くて捗るんよな。」
「へ、へぇなんかすごいな。」
鈴木の熱に圧倒されてしまい、すごく雑な返答をしてしまった。
しかし本当にすごいと思ったことは確かだ。
…俺とは違う。
「そうだ、お前も一緒に勉強していかね?確か数学の成績良かったよな。」
「いや、ごめん俺やっぱり教室で勉強してくるよ。テーブルも結構埋まってるし。」
「そっか」と少し申し訳なさそうな鈴木に対し、「ごめんな」と軽く謝り、俺は逃げるように図書室を後にした。
鈴木のことは苦手ではないし、むしろ普段からよく話す仲ではある。今だってこちらに気を使ってがつがつと誘ってこないところなどはすごく助かるし気が合うと想っている。ただ今日は話す気にはなれなかった。比べてしまったのだ。やりたいことがあり、それに向かって頑張れるあいつと、何もない俺を。そしてそんな鈴木を羨ましくもあり、少し妬ましいとさえ思ってしまう自分を見たくなかったのだ。
「今の俺に何もないだけだ。環境が変われば何かきっと…」
何かを誤魔化すように、けれども本気でそう思っていることを自覚させるように口にしながら、しかたなく教室に向かって歩き出した。
教室に向かって廊下を歩いていたとき、突然後ろから声を掛けられた。
「お前、こんなに暑いのにわざわざ学校まで来たのか?もしかして人の目がないと集中できないタイプ?」
声で誰か分かり嫌々振り返ると、そこにいたのは数学教師の夏目だった。俺のクラスの担任でもあり、数学の授業も担当しているため顔を合わせる機会は非常に多い人だ。スーツを着て身なりはしっかりしているが、話し方はどこかやる気がなさそうな部分もあり、なんとも読めない男だ。
「そうですけど、なんで分かったんですか。」
「まあ、そういうやつは割りと多いからな。勘で言ってみただけだよ。しかしお前は一人でいられる場所の方が好みだと思っていたがな。」
夏目はいつもこうだ。なんでも分かっているかのように話しかけてくる。こいつのそういう所が少し苦手で、あまり好きではない。
「そうでもないですよ。夏目先生は生徒のことがあまり見えてないですね。」
少しむきになって、つい強めなことを言ってしまった。ああもう、なにむきになってるんだよ俺は。
少し言い過ぎたことに対して「あ、いや今のは…」と言い訳をしようとすると、
「ふぅーん、本当は目標のために何かしていることを実感するために同じく頑張ってる人がいる学校まで勉強しに来てたりしてな。それとも逆に学校にきてるのに勉強しない不真面目なやつとは違うと思いたいからかな。」
夏目は口の端を少し上げながらそんなことを言い放った。
その瞬間、先ほどまでの反省を忘れて気持ちが一気に昂った。
「っ!そんなこと!」
「おっとそんなに怒るなって。図星だったら謝るよ。これも同じような奴がいるから勘で言ってみただけだ。思春期なら不思議でもないさ」
「……」
「まあ、勉強を頑張ってくれ。分からないことがあったら聞きに来いよ。あ、あと今日は保健室に先生いないから気分悪くなったときも言いに来いよ。」
夏目は最後に教師らしいことを言い、軽く手を振りながら帰っていった。
「…なんなんだよあいつ。」
不満げに言葉を漏らす。教師のくせに生徒を煽って何がしたいんだあいつは。まあ、どうでもいいかとすぐに夏目とのやりとりを頭の中から切り離して冷静になろうとした。しかし頭はモヤモヤしたままだった。
「あーもう。気分転換するか。」
教室に向かっていた足をくるりと反転させ、どこに行こうかと考えながらとりあえず教室とは反対方向に歩き出した。そのとき、
「―――――――――――――――」
歌が聞こえた。
誰かが歌っているようだが、どこにいるんだ。
夏休みで校舎には人がいつもより少ないため、誰かの歌声がはっきりと廊下に響き渡る。
耳をすませながらその歌に引き寄せられるように、聞こえてくる方向に足を踏み出す。
一歩ずつ音の方向を確かめるように歩いてみると、歌はどうやら屋上から聞こえているようだった。
屋上って解放されてたか?と不思議に思ったが、屋上に向かう足はなぜだか止まらない。
ゆっくりと階段を上がると同時に歌声もはっきりと聞こえるようになる。
階段を登りきり、ドアノブを回して扉を開けた。
少女だった。
夏の日差しのせいか、とてもきらめいて見える少女に一瞬目を奪われた。
こんなに強い日差しの中、汗をかいてとても暑そうなのにとても楽しそうな笑顔で歌っていた。それは生きているだけでずっと楽しさを感じているような小さな女の子みたいな無邪気さすら感じる笑顔だった。
幻を見ているような感覚から、ふと我に返る。
「それにしても見慣れない顔だな。うちのクラスではなさそうだけど。」
見惚れていたことが恥ずかしくなり、思っていたことをそのまま口に出していた。
しかし少女はヘッドフォンを付けているようで、俺に気づかずに歌い続けている。
この学校は1学年に2クラスしかなく、あまり生徒数が多いわけではない。そのため、学校内では話したことはないけれど顔は見た覚えがある程度の生徒は多数いるのだが、それでもその少女はまったく見覚えがない。制服はうちのだし、内履きの色からして俺と同じ高校3年のようだ。別のクラスだろうか、やはり顔に見覚えはないが彼女が歌う歌にはなんだか聞き覚えが…
「ふぅー、やっぱり人がいない屋上で歌うのはきもちいいな。そしてなんとなく背徳感。ウヘヘ。」
歌い終わったのか、ヘッドフォンを外した少女が先ほどのきらめく笑顔とは違い、なんだか不敵な笑みを浮かべていた。
「やっぱり夏はあっついわ。きもちいいけどこれだけがネックだよね。さてさて早くアイス食べにいこーっと。」
独り言を言いながらくるりと振り返り、少女の健康的なショートカットがふわりと舞う。
そして目が合う。
「………」
「………」
俺も少女も何も言わない。いや、言えない。誰もいないと思って大声で歌っていたら実は人がいたというのだから、恥ずかしくもなるだろう。俺だったら死にたくなる。この気まずさを脱しようと頭をフル回転させるが、気の利いた言葉も行動も浮かんでこない。
「っっっっっ!」
時間がたつにつれて恥ずかしさからか、少女の顔がみるみる赤くなっていく。非常に可愛らしくもあるのだが、その度に申し訳なさが増していく。これは俺から何か言ってあげるべきか…。とにかくこの時間を抜け出したいので、気の利いた渾身の一言を放つ。
「え、えーと、いい歌声でしたね…」
めちゃくちゃ普通に感想を述べただけだった。割りと意気込んだのにこれしか口から出なかったことに俺まで恥ずかしくなってくる。うわぁ、死にたい。
しかし一応喜んでいただけたのか、少女はわずかに広角を上げたがその瞬間、体がよろけて俺の視界からいなくなった。
どうやら彼女の顔が赤くなっていたのは夏の暑さのせいだったらしい。とか言ってる場合か!
「って!おい!大丈夫か!!おおい!!!」
これが俺と彼女との出会い。
夢をみれない俺と幻のようにキラキラときらめく彼女との物語のはじまり―――
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