If-2. エイプリルフール-2
・穂香の場合
いつもの時間に大学へ到着し、俺はいつもとの違いに気づいた。この時間に靴箱の中に靴が入っている。土足厳禁の研究室なので、誰かが既に来ているということが判断できた。靴からして、その誰かは我が指導教員で間違いないだろう。
「おはようございます、桜井先生。今日は早いんですね」
「おはよう、四条くん……。いろいろ仕事があってね」
オープンになっているため明かりが漏れている教員室をのぞき込むと、そこにはやはり桜井先生がいた。慣れない早起きをしたせいか少しやつれているようにも思えたが、それでも美人であることに変わりはない。
とはいえ、先生がこの時間に来ているということはそれだけ忙しいということなのだろう。俺は自分にもできることがあるだろうかと思いつつ会話を繋げた。
「新入生関係で忙しい時期ですし、大学の雑用ですか?」
「うん、そう。去年は私も新人だったからこういう仕事まわってこなかったけど、二年目になると逃げられないみたい……はぁ」
憂鬱そうにため息をつく姿も様になっていたが、俺としては笑顔でいて欲しいというのが本音だ。色々お世話になっていることだし、ここは一肌脱ぐときだろうと思った。
「慣れないことでしょうし、自分も手伝いますよ。今日は待ち時間の多い実験をやるつもりだったので」
「え、いいの? あ、いや、でもそれは流石に申し訳ないというか……」
一瞬嬉しそうな表情になったものの、学生にやらせることではないと悟ったらしい。迷いが見て取れる。しかし、遠慮するならもっと前にしてほしかった。
「期末テストの採点だって手伝わされたんですから、いまさらそんな遠慮しないでくださいよ」
「……それもそっか。じゃあお願いしようかな。また今度ご飯でも奢るから!」
これまでにも雑務を手伝ってきているんだし、何よりも今回は俺自らの申し出だ。それを理解した先生は助かったという安堵を浮かべながら笑った。こんな魅力的な人に指導してもらって飯も奢ってくれるのだと思うと、日ごろの感謝が口をついて出てしまう。
「いつもありがとうございます。それじゃ始めましょうか。個人情報とかにあたる仕事は先生の担当なので、それ以外でできそうなこと教えてください」
「分かったわ。じゃあ―――」
新入生説明会に使うパワポ資料の作成や紙資料の印刷と仕分け、説明会会場の準備など、大学事務員がやるのではないかという多岐にわたる仕事をこなしつつ、合間に実験や先生との昼食をはさんだこともあり、今日という一日はめちゃくちゃ忙しかった。
一通りの雑務が終わる頃には外も暗くなっていて、桜井先生は小さく息をついてから本日のお仕事終了を宣言する。
「ふぅ、今日の分はこれで終わりね。助かったわ。四条くん、ありがとう」
「いえ、これくらいならおやすい御用です。桜井先生もお疲れさまでした」
「優秀な学生がいるとホントに助かるわ……。だれも配属してこなくて独りだったら死んでたかも」
本気っぽく言ってはいるが、先生の学生時代は研究室に籠りっぱなしだったと聞いているので、この程度で死ぬことはないはずだ。
「……そんなことはないかと。次に入ってくる学生が優秀だといいですね」
「私あんまり学生から人気ないし、次の代は学生数もちょっと少ないからゼロの可能性あるんだよね……」
講義中の先生は真面目でお堅いイメージがついてしまっているし、研究内容も難しい。それに新任の講師ということで前情報がなく、きちんと卒業できるかという不安もあるのだろう。教員によって卒論の難易度が異なっているのは誰しもが知るところだ。
そんなわけで先生は期待していないようだが、まあ俺にとっては悪いことではない。
「それならそれで、自分としては先生につきっきりで指導していただけるので有難いですよ」
「そっか、二人きりの時間が続くと思えば確かに悪くは……」
納得しかけているところ申し訳ないと思いつつ、正直な気持ちは伝えておく。
「ですが、自分としては先生がもっと素を出していけば学生は集まると思いますよ」
「……そ、それは無理よ。君なら大丈夫だけど、他の学生には馬鹿にされるって分かってるんだから」
気持ちは分かる。飲みの場では普通にポンコツだし、ドジなところも多い。ただ、それ以上の魅力があるということを自覚した方がいいと思うんだ、俺は。
「そんなことはないと思いますよ。桜井先生と話してると楽しいですし」
「……そ、そうかな?」
「はい。それに、年齢もそうですけど距離感も近くて色々と話もできますし」
そこまで伝えてから、俺はふと思い出した。今日はエイプリルフールだったと。ただ、先生にたいそうな嘘をつくということに気が引けるビビりな俺は、ちょっとした嘘しかつけない。
「あ、もういい時間ですし、少し飲みにでもいきませんか? 明日も普通に大学なので遅くまでは難しいかもしれませんけど」
飲みに誘い、スマホを確認するそぶりを見せてから用事ができたと言って断る。ずいぶん幼稚な気もするが、先生ならいいリアクションを見せてくれるはずだ!
「えっ! いいの!? 四条くんから誘ってくれるなんて珍しいよね! よし、今すぐ行こう!」
「……はい、いきましょう」
こんな嬉しそうにしてるのに、嘘だなんて言えねえよ……。というか可愛すぎないか? こういうギャップに弱いんだよ、男ってヤツは。
まあ先生がリフレッシュできるならそれでいいか、とエイプリルフールに乗っかることを諦める。
―――
「しじょーきゅーん、いつもありがとぉー。いいこいいこ、なでてあげるー!」
「……寝不足に酒はダメだと早く気付くべきだったか」
早々に酔いつぶれてしまった年上のはずの指導教員に頭を抱えつつも、こういう姿を見せてくれることに特別感を覚える。
だがしかし、飲んだくれの介抱で何度目かになるお宅訪問をした帰り道。もう俺からは誘わないと決意したエイプリルフールであった。
――――――――――――――――
・美咲の場合
「ねえ結人。今日ってエイプリルフールだよね?」
夏に家出をして謝罪にきて、そのまま蓮の計らいで近くに住みながら少し離れた大学に通っている御影さん。彼女と二人、俺の部屋で今後について話していると、ふと今日の日付を思い出したのか話をそらしてきた。
理由は分からないが、何か思うところがあるといった表情だ。
「え、うん。そのはず。何かあるの? 御影さ―――」
「美咲って呼んで」
「……はい。それで、突然どうしたんだ? 美咲」
何度か同じミスをやりつつ呼び方を強制されている俺だが、実はわざとやっているという部分もある。ただ、こういうコミュニケーションが楽しいからなのか、「美咲って呼んで」というセリフが好きなのか、理由は自分でも分からない。
そんなことを考えていると、一人称が苗字なのに名前で呼ぶように言ってくる初恋の相手が遠くを見ながら自嘲気味に呟いた。
「うーん、なんか御影からすると嘘が許される日って複雑だなぁって思って」
「……まあ、確かに。でもあの件はだいぶ前に解決したんだしさ、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないか?」
「そうなんだけどね。やっぱり過去は変えられないし、ずっとこの気持ちとは向き合っていかなきゃいけないと思うから……」
深い後悔や辛い記憶というのは消えてくれない。でもそれを軽くすることくらいはできると思うんだ。美咲の場合、後悔に関して俺は当事者だ。
「……それなら俺は」
「結人?」
自分にできることを考えて思考の海に沈んでいたところを、心配そうな声によって引き上げられる。優しい初恋相手に対し、俺ができることは―――。
「実は俺さ、将来は総理大臣を目指してるんだ」
「えっ!? どうしたの、いきなり」
「俺の周りにはたくさん魅力的な人がいて、少なからず好意を寄せてくれていそう人がいるのは知ってるだろ? だけどその好きな人たちの中から一人だけ選べって言われても無理だから法律変えてやろうと思って。そっちの方が簡単そうかなって思うし」
突拍子もないことを言っている自覚はある。けれどこれは本心から生まれた嘘でもあった。無理だと分かっていても、とりあえず口にしておこうと思ったんだ。
「プッ、ハハッ! やっぱり結人は優しいね。そういう嘘ついてくれるところ、御影は好きだよ」
笑ってくれて良かったという安堵と、好きだという言葉へのドキドキが相反し、落ち着いているのかうるさいのか分からない心臓の音。それが何故か心地よかった。
やっぱりこういう表情が一番魅力的だと思ったが、それを言葉には出さないようにして頬をかく。
「……やっぱりバレたか」
「まあでも、御影は面白いと思うよ? 女性陣が納得するならそれが一番幸せだし。結人が総理になるのが何歳かは分からないけどね」
冗談っぽく笑いながら感想をくれた美咲に聞くべきではないと思う心を無視して、俺の口から問いが零れた。
「……美咲はどうなんだ? もしその立場なら納得できるか?」
「……それ、いろいろ分かって聞いてる? まあ結人らしいからいいけどさ。御影は平等に愛してくれるならいいかな。本音を言えばちょっとくらい特別扱いして欲しいけど、好きな人と一緒にいられない方が嫌だし」
「そっか、変な質問に答えてくれてありがとう」
「ど―いたしまして。でもそうやって嘘つくなら御影が嫌な内容にしないと意味ないよ? 結人の優しさは嬉しいし好きだけどさ」
こうやって意図が完全に読み取られているのは悔しい。でもそれと同時に嬉しくもあった。ただ、好きという言葉を何度も使わないで欲しい。心臓が跳ねあがるからさ……。
そんな単純な俺が彼女の言い分に一つ文句をつけるなら、そんな真似は絶対にしたくないということだ。
「それはまあ、そうかもしれないけど……。やっぱり嘘で美咲のことは傷つけたくないって思うから。どうせなら楽しい嘘で笑って欲しいなって思ったんだ。……美咲は笑顔の方が可愛いし、魅力的だから」
「……それは反則」
先ほど言わないようにしたことを口走ってしまったが、相手も好きとか言ってくるのでお相子だろう。ただ、自分でも思ったより恥ずかしくて顔を見ることができず、美咲が何を言ったのか判断できなかった。
「え?」
「その優しさは反則って言ったの! この女たらし! もう帰るっ!」
「ちょっ、まだ今後の話が終わってな―――――」
バタン
部屋の扉が閉まり、脱兎のごとく走り去った灰色の美女の女性らしい良い香りだけが残った。
「はぁ。やっぱ乙女心は分からん……。けどまあ、正直完全な嘘ってわけでもないんだよなぁ。俺に誰が一番好きか決められるのかって話だし……」
今は無理だと、この問題に答えを出すことは諦める。美咲との関係がよくなったのだし、進歩はしているのだ。だから―――
「小さくても進んでいくしかないか!」
現状を前向きにとらえつつ、何を言われようとエイプリルフールには優しい嘘をつこうと思った俺は、帰ると言って出て行った初恋の相手を追いかけ、暖かい春空のもと歩みを進めるのだった。
―――――――――――――――――――
・芽衣の場合
「お兄ちゃん、実はワタシたち血の繋がってない兄妹なんだって。お母さんに聞いたの」
春休みで高校の授業が始まる直前。妹の芽衣は俺の部屋に泊まりに来ている。部活が昼まであったらしく芽衣がやってきたのは夕方であったが、一緒に晩飯を食べていろいろ話すだけで満足してくれるならそれでいい。そんな可愛い妹は毎年お約束となっている嘘をついてきた。
「はいはい。もう何度目の嘘だよ。毎年エイプリルフールの度に聞かされてるんだから信じるわけないだろ?」
「言霊ってものがあるからずっと言い続ければお兄ちゃんの認識も変わるかなって思って」
「……いや、一年に一回は少ないと思うぞ?」
「これこそ冗談だって! というかお兄ちゃんは誰かに嘘ついたりしたの?」
「まあ、一応したけど……」
誰に何をやったかは思い出せないが、何かをやったことだけは覚えている。そこで色々と教訓を得た気がするのに、何故かはっきりと思い出せない。忘れられない俺にとっては懐かしい感覚だった。
自身の状態に困惑していると、妹は面白くなさそうな表情でいじけたような様子になる。
「ふーん、そ。良いよね、いちゃいちゃできるお友達がたくさんいてっ!」
「友達といちゃいちゃはおかしくないか?」
「お兄ちゃんって変なとここだわるよね……。ってそうじゃなくて、ワタシも何かドッキリ展開が欲しいの!」
「……分かったよ。でも嘘つくことがわかってたら意味ないんじゃ……?」
「そこはお兄ちゃんがどうにかして」
誰がこんなワガママに育てらのやら。親の顔が見てみたいぜ……。とアホみたいなことを考えながら作戦をしっかり練ろうとするあたり、やはり俺は妹に甘いのかもしれない。
「へいへい。じゃあまあ何がくるか楽しみに待っててくれ」
「期待してるね、お兄ちゃん」
嬉しそうに笑って夕食の準備に取り掛かってくれた芽衣の背中を見つめつつ、どうしたものかと頭を働かせる。
そうか。この状況を利用すればいいのでは? 何か来ると思わせておいて、ずっと普段通りに接する。それだけでドキドキする展開になるかもしれない!
やることを決めた俺は、さっそく普段通りの行動を取ることにした。
料理を手伝い、一緒に食事の準備。二人で食卓を囲み、談笑しながら手料理を頂く。片付けも手分けして行い、その後はテレビを見ながら他愛もない話をして、落ち着いたところで風呂に入る。もちろん一緒に入ったりはせず別々だ。その後もゆったりとした時間を過ごし、眠るための支度をする。
そこでふと、思うことがあった。
「……なんか夫婦みたいだな、こういうの」
「ふぇっ!?」
「なあ芽衣、久しぶりに一緒に寝るか? 夜はまだ寒いし、たまにはいいかなって」
「……」カァッ
「大丈夫か? 顔赤いけど熱でもあるんじゃ……?」
「っ!? だ、だいじょぅびゅだかりゃ!」
「……ホントか?」
「ホントにホント! ほら、もう寝よ!」
「……そうだな。ほら、芽衣。ベッドに来ていいぞ」
「……う、うん」
「おやすみ、芽衣」
「……お、おやすみ、おにい、ちゃん」
翌朝ネタバラシをして、何故かめちゃくちゃ怒られた。
それでもどこか嬉しそうな表情も垣間見えたので、兄としてはきちんと役割を果たした四月初日だったと言えるのではないだろうか。
将来のことは分からないが、今はただそう思ったのだった。
――――――――――――――――――――――
If シリーズ書いてみましたが、いかがだったでしょうか?
当日には書きあがりませんでしたが・・・。
とりあえず言いたいのは、バレンタインを書いたのにホワイトデーを書いてない!ということですね。
また機会があれば短編書くかと思います!
REVERSi
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