28. 四人それぞれの夜


 「はぁ、今日はいろいろあったけど、思いがけず四条くんとも仲良くなれたし、プール行って正解だったかも」


 ウキウキ気分で帰宅し、帰り道でかいた汗を流すために入浴。帰宅後すぐにスイッチを入れ冷房を効かせておいた快適空間でくつろぎながら頬を緩ませている穂香は、実に幸せそうな表情をしている。だが、帰り際の教え子の様子が引っかかりその表情が少し曇った。


 「でも、やっぱり気になるよね、あんな辛そうな顔見ちゃうと……」


 どこまで距離感をつめてもいいものだろうか。初めての指導学生で、しかも異性。相談に乗るとは言ったが、関係はあくまで教員と学生だ。


 「うーん、ゆっくり考えるしかない問題なのかなぁ」


 難しい顔で頭を抱えていると、近くに置いていたスマホが着信を知らせてきた。画面を確認した穂香は顔をしかめる。


 「げっ。お父さん……」


 真面目であまり口数の多くない父親とは話題がなく会話が続かないため、彼女としては電話での会話が苦手であった。これまでに母親から連絡が来ることは頻繁にあったが、父との電話は学生時代から通算しても数回しかない。そしてそれらは学費や大学生活に必要なやり取りのためだけの電話で、こちらから掛けたものばかりだった。


 「……お父さんから連絡って、何かやったかなぁ」


 苦手ではあったが、地元に帰って来て就職する際にも色々と金銭的な支援を貰っているので、珍しい事態だからといって拒絶することはできない。多少の不安がありつつも、彼女は電話を手に取った。


 「もしもし?」


 『穂香。ようやく色恋沙汰がでてきたと聞いたが、本当か?』


 「……は?」


 唐突かつ予想外の問いかけに、頭が疑問符で埋め尽くされる。そのせいで返答も素っ頓狂なものになってしまった。だが、いつもとは異なり心なしか嬉しそうな気持ちが滲む口調で話しをしている父親は気にしない。


 『だから、お前もようやく色恋に目覚めたのだろう? 勉強と研究ばかりでまったくその手の浮いた話がなくて心配していたが、話を聞いて母さんともども安心したぞ』


 「えーっと、いまいち話が見えないんだけど、誰からどんな話を聞いたの?」


 恋などしていないし、そんな関係を匂わせる行動もしていない……はずだ、と穂香は最近の出来事を振り返る。口を動かしながら記憶をたどっていると、ただ一人の教え子が思い浮かんだ。


 (いや、いや! 四条くんはただの教え子だから!)


 『軽井沢先生から、娘さんに気になる異性がいるみたいですよと聞いたが?』


 「あずささんだったか……。というか、お父さん知り合いだったの?」


 プール施設の医務室で出会った女医、軽井沢あずさの顔を思い浮かべ、文句の一つでも言いたくなった穂香だが、今はこの会話を終わらせることが優先だった。


 『医者の業界はそれなりに狭い世界だからな。軽井沢先生の父親とは仲良くさせてもらっているからそのつながりだ』


 「……あずささん何も言ってなかったのに」


 『それで、本当なのか?』


 「そ、そんなのどうでもいいでしょ!? 話すことなんてないからっ!」


 どうして自分がこんなにも動揺しているのか、勢いで電話を切った彼女は分からないふりをした。認めてしまうと何をしてしまうか分からないというブレーキが働いたのかもしれない。


 「そんなわけないし、仮にそうだといろいろダメなんだから……」


 言い聞かせるように、小さく消えそうな声でそう唱えた。直後、手に持ったスマホがメッセージの受信を伝える。


 「今度はお母さんか……。次の週末実家でご飯でもどう? って、分かりやすいなぁ。まあでも最近会えてないしいっか」


 了解のスタンプを返し、スマホを放り投げてベッドにダイブ。柔らかい感触に包まれながら、ため息をつく。


 「はぁ。いろいろ考えなきゃいけないことあるなぁ……」


 学生時代には勉学と研究が忙しくプライベートの問題で特に悩んだことがない彼女にとって、帰って来てからの生活は非常に煩わしいものであった。もちろん悪いことばかりではないが、だからといって何も考えなくていいということでもない。


 熱帯夜の外気温とエアコンの効いた快適空間のギャップが、彼女が抱いていた理想と現実を示しているようだった。


―――――――――――――――――――


 女子二人のテレビ電話でのやり取りを記す。


 (SNSに上がっていた例の動画)


 「……なに、これ?」


 「なにって、ヒーローとお姫様の動画?」


 「そ、そうじゃなくって! どうしてこんな動画が撮られてるの!?」


 「まあ顔は映ってないし、これ見たってまふまふだって分かる人はいないって」


 「そ、そうかもしれないけど……」


 「そんなのよりも、問題は他にあるでしょ?」


 「え?」


 「ほら、これ。若い女の人のSNSで同じような写真がけっこう上がってたよ」


 (水着姿の若い女性がヒーローパンダと密着している写真数枚)


 「……なんか距離近いね」


 「キャストのシンくんがイケメン大学生で友達とか言っちゃったからね」


 「ずるい」


 「いやいや、まふまふは押し倒されて胸に顔をうずめさせたんだよ? 誰にも負けてないって!」


 「はずかしいから思い出させないでっ! そもそも麗華ちゃんのせいなんだからね!」


 「でもドキドキしたでしょ?」


 「そ、そういう問題じゃないんだよ……」


 「というか、他にもいろいろやってるんだから今更だろうに。お姫様みたいに助けてもらって優しくだっこされたんだし」


 「……もうやめてください」


 「はいはい。それじゃまた大学でね、おやすみ!」


 「うん、おやすみ」


 チャット終了。


 「……少しは前進した、よね。ちゃんと意識してもらえてたら嬉しいな」


 パソコンを閉じ、思い人のことを考えながら明日に備えて就寝しようとする眞文。


 「あれ? もうこんな時間?」


 気づけば日付が変わろうとしている。親友との会話に花が咲きすぎたようだ。昼からも長い間一緒にいて話をしていたはずなのに話のタネが尽きない。二人でこれだけ楽しく話ができているのも、双方のピンチを救ってくれた彼のおかげだ。


 (本当にありがとね。大好きだよ、結人くん)


 言葉にはせず、けれど胸のうちで力強く、彼女は確かな思いを抱いて夢の世界に度立ったのだった。


―――――――――――――――――――――――――


 「うーん、芽衣のことは想定外だったけど、流石せんせーの妹なだけあって癖が強いんだよね……」


 予定通り午前中でバイトを終えたものの、芽衣の登場によって午後の予定が狂ってしまった夏葉は、帰り道にもまとわりついてきた家庭教師の妹を思い浮かべながらため息をついた。


 「はぁ、人付き合いってなんでこんなに面倒なんだろ」


 芽衣のこと以外にも、クラスメートの男子たちに絡まれた件があり、これは彼女が明日登校したくないと思っている理由である。あのアホたちが今日の出来事を放っておくわけがなく、話しかけられるのは目に見えているから。


 「まあでも、そっちはどうとでもなるか……」


 いつも空気のような存在なので少々目立っても一時的なものに過ぎないし、しつこいようならどうにかする手段もある。そのため夏葉は、今はもっと重大なことを考えるべきだと思いなおした。


 「どこかにスイーツ食べに行く約束はしてるし、おごってもらうことも決まってる。よし、もっと距離つめていかなきゃ」


 次に会うのは火曜日。まだ考える時間は一日ある。だから今日は早く寝ることに決めた夏葉。


 炎天下での初めてのアルバイトに、家庭教師以外の他者とのやり取り。色々あって疲労がピークに達していた。もともとインドア派で体力がないという自覚を持っている彼女は、既にまぶたが閉じそうになっていることにも気が付いている。変なところで寝ると翌日に響くため、いそいそとベッドに入った。


 「ふぁぁーぁ……。もう、無理。アタシもせんせーに、ほめ、てほしか……た、なぁ……」


 思い人との間でも色々とあったが、それは自分の意思を強くすることに繋がったし、多少はそういう意識を持たせるきっかけになったのではないか。そう信じながら彼女は重過ぎるまぶたを自由落下させ、すやすやと深い眠りについたのだった。


――――――――――――――――――――――


 「あ、着ぐるみそのまま置いてきたけどあんな汗まみれのやつ誰かに洗ってもらうのはマズいか……? いや、タオルとかもクリーニングのかごに入れるようになってたし、俺の顔も知らないクリーニング業者の人がやるだろうから気にしなくていいか」


 就寝前になって気づいてしまった事実に一瞬ヒヤっとしたが、よく考えればそこまで気にしなくてもいいことだった。とはいえ、俺のことを度々守ってくれたヒーローパンダである。汗くさくすることに少々気が引けてくるのは当然のことだろう。


 「まあでも、もう二度と着ることもないし、変にこだわるのはやめとこう」


 ザ・フラグとも言えるセリフを吐いてしまったが、このときの俺は疲労度マックスのよく分からないテンションが入っていたので気付くはずもない。


 「あとはあの人に文句の一つでも言っとくとして……もり……森澤っと」


 自称俺の友達である森澤慎という男へ、メッセージを送っておく。内容は言葉が悪いから秘密だ。


 「明日も大学か。今日でだいぶ印象変わったけど、明日はまたいつも通りなのか……?」


 どちらの先生でも接し方を変えるつもりはないが、先生が作り上げてきたイメージを壊そうとも思わない。同じ研究室には面倒な老害教授がいるし、付け入る隙を与えてはならないのだ。あの嫉妬爺が何をするか、分かったものじゃない。


 「……余計なお世話かもしれないけどな」


 もし何かあれば、俺にだって考えがある。手にあるもの全てを以って対処してやるつもりだ。


 身勝手なエゴの炎は、今日一日の出来事を経てさらに燃え盛っている。手が届く範囲は限られているが、その中だけでも身勝手なエゴを押し通せるくらいには強くならなければならない。


 「一日で過去のトラウマにどんだけやられてんだ……情けない」


 過ぎし日の傷口に、これからも人生を左右され続けるのか?近くにいる人たちを傷つけてでも、逃げることを選ぶのか?


 何が正しいか、それは分かっている。いや、正しいのではなく、どうなるべきなのかが分かっていると言った方が適切か。


 理想の自分に近づいた時、もしも今のように……。


 自嘲気味に小さく笑いながら、俺の意識はそのままフェードアウトしていったのだった。


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