18. イベントと同僚、そして水着の女神

 「あっつ……」


 全身ヒーローパンダの衣装に身を包んだ俺は、灼熱地獄で絶賛アルバイト中だ。


 仕事としてはシンプルで、看板を手に持って立っているだけだ。小さな動作で客から注目されたりして店をアピールすることもあるが、基本的には同じ場所にいる客寄せパンダである。


 更衣室から出て従業員から説明を受けたが、この命すら危ない状況なので大きな動作は求めていないとのことだ。暑さが暑さなのでこまめに休憩もあるし、店で取り扱っている冷たい飲み物やアイスなども支給されるため、対策は万全といえるだろう。


 とはいえ、イベント自体が多様な種類のプールを移動してのトーク・バラエティコーナー中心であり、ファンもこぞって出演者を追っているため、休憩の間くらいしか店に客はこない。つまり俺たちの仕事の本番はイベント終了後と言っていい。それに、イベントが終わればこの着ぐるみを脱いでいいのかと思いきや、今日は一日この衣装で、と頼まれたため、午後には本物の地獄が待ち受けているような気がしている。


 「いらっしゃいませー!」


 想像を絶する暑さの中着ぐるみに身を包んで動く俺の隣では、せっかくの水着を隠したパーカースタイルで夏葉が声を出している。ホント、なんのために俺は夏葉の背中に日焼け止めを塗ったのだろうか。まあそれはひとまず考えないことにして、今は仕事に集中する。ちょうどイベントの休憩タイムなので、冷たいものを求めに来たお客さんでそれなりに賑わっているのだ。


 「冷たいアイスに、今流行のタピオカドリンクもありますよ!」


 俺も教え子に負けじとパンダマスクの下から声を出す。このマスクだが、なんだかんだで顔が隠れていることは都合がよかった。イベント参加者は女性が九割以上であり、私服の人も多いのだが水着姿の人もかなり多いのである。女性の肌に免疫のない俺としては目のやり場に困る状況であるため、顔が隠されていることは間違いなく救いであった。


 「せんせーが今どんな顔してるか当ててあげようか? 鼻の下伸ばして綺麗な女の人を凝視してるんでしょ?」


 「そ、そんなわけにゃいだろっ!」


 「せんせー動揺しすぎ……。この変態」


 何故か夏葉には見透かされていたが、これも命を削っていることを思えば正当な報酬だと思いますよ、俺は。


 「……アタシの水着だけじゃ満足できなかったんだ。あんなことまでしたくせに」


 ムスッとした表情で何やらボヤいている夏葉の声は今の俺には届かなかった。音を拾うことなど考えていない設計のこのマスクにはけっこうな遮音性があって、今の俺は少々耳が遠いのである。


 「あっ、ヤバ。アタシちょっと休憩入りますねー」


 だから夏葉が今どこかを見て焦ったような表情で発した言葉も、前半部分はまるで聞こえなかった。それよりも、今はそれなりにお客さんがいるのに休憩かよ……。まあ暑くて飲み物もけっこう飲んでるからな。お花を摘みに行ったのだろうと勝手に決めつけた俺は、パンダヒーローの姿でちょこちょこと動き、店をアピールすることに注力したのであった。夏葉は客への声掛けがメインの仕事であり、そのあたりは俺たち二人の役目のため、夏葉が抜けた今、俺一人でアピールするしかない。


 「いらっしゃいませー。冷たい飲み物はいかがですかー?」


――――――――――――


 「四条くんはどこにいるんだろうね?」


 「飲食店って言ってたから限られてるけど、ここで最後だよね……」


 イベントステージの休憩に入る度、施設内の飲食店を見て回っていた眞文と麗華の二人は、残り一つとなった店へと足を運んでいた。二人とも昨日購入した新しい水着を着こなしているが、眞文の方はその上からパーカーを着ており、下もパレオを巻いているため肌の露出は抑えられている。それとは対照的に赤色のビキニ姿で堂々と歩いている麗華は、その溢れる元気な明るさや引き締まった身体で同性からの視線を集めている。その視線を気にしていない様子の麗華は、結人を探してたどり着いた最後の飲食店の店先でイベント参加者の注目を集めているマスコットキャラを発見した。


 「見た感じ若い男はいそうにないけど……ってあれヒーローパンダじゃん! イベントステージにはいなかったけど、こんなところにいたんだ」


 「もしかしてあの中にいるのかな?」


 結人がこの施設内にいることを疑っていない眞文は大真面目にそう呟いたのだが、麗華としてはあまり現実的ではない気がした。


 「えー? この暑さであんなの臨時バイトに着させる?」


 有り得ないでしょ、といった様子で麗華が眞文に返事をした直後、二人の耳にヒーローパンダから発せられた声が届いた。


 「いらっしゃいませー。冷たい飲み物はいかがですかー?」


 「あの声は結人くんだと思うよ?」


 自信をもってそう告げる眞文に、麗華は素直に感心した。麗華自身がそれほど結人と話したことがないというのも原因だが、彼女にはヒーローパンダの声が結人のものだとまったく思えなかった。


 「くぐもっててアタシにはよくわかんないけど、まふまふが言うならそうなんだろうね。よし、じゃあさっそく水着のお披露目といきますか!」


 しかし、親友のことはすぐに信じる麗華が眞文を疑うわけもなく、眞文の手を取って標的に突進していく。


 「え、ちょ、ちょっと待って麗華ちゃん! まだ心の準備が……」


 親友の勢いに抵抗する間もなく、眞文はあっという間にヒーローパンダ姿の結人の前へと連れ出された。


 「やぁ、四条くん! このくそ暑い中、そんな格好でよく頑張ってるじゃん!」


 「え? 笹川さん? それとふみちゃんまで、ホントに来てくれたんだ。ありがとう。それにしても、この姿でよく俺だって分かったな」


 突然水着姿の美女に声を掛けられ少々驚いた結人であったが、それが知り合いと分かると冷静さを取り戻した。とはいえ、彼は麗華の美しい身体が間近にあるせいでまともに二人の方を見ることができていない。本当にマスクがあってよかったと、結人は胸をなでおろしている。


 「まふまふは君と付き合い長いし、声で分かったみたいだよ。アタシにはぜんぜんわからなかったけどね! ていうか、その衣装着るならイベントステージに出ればいいのに!」


 「れ、麗華ちゃん、結人くんが圧倒されてるからちょっと抑えて……」


 二人が話している間に気持ちを落ち着かせた眞文にブレーキを踏んでもらった麗華は勢いを落として笑いながら謝った。


 「あ、ごめんごめん。本来の目的忘れてた」


 「目的?」


 疑問形で尋ねたものの、昨日の約束を覚えていた結人はなんとなくどういうことかを察している。


 「そうそう。バイト頑張ってる四条くんに最高のプレゼントだよ! そーれっ!」


 ファサッ


 目にも止まらぬ速さで、麗華が眞文のパーカーをはぎ取った。


 「きゃっ! れ、麗華ちゃんいきなりなにするのっ?」


 露になった肌を隠すように腕で身体を抱き寄せる眞文。


 「……」


 羞恥心で頬を染めた眞文の姿を見て硬直する結人。


 「もー、ここまできて恥ずかしがらないの! ほら、見てもらう約束なんでしょ?」


 麗華は親友を結人の前に押し出しつつ、夏葉にチョイスを手伝ってもらった眞文の水着を眺めていた。


 もとの白色がその赤さを際立たせている眞文の肌と、そのもとの白さに負けない白の水着。オーバーウェアによって露出は抑えられているが、眞文のスタイルが抜群に良いこともあって、どこか神秘的な魅力が生まれている。


 「だいじょーぶだって! まふまふはちゃんとエロいから」


 「恥ずかしくなるからその言い方やめてっ!」


 そんな文句を言いつつも、眞文はいつも通りの様子の麗華と話しているうちに覚悟を決めていた。せっかく勇気を出して見てもらう約束をしたのに、このまま恥ずかしがっていては何も関係は進展しないと分かっているから。


 「あ、あの、結人くん。どう、かな……?」


 マスクをつけている結人の目は見えないが、パンダの瞳の奥へと視線を向けながら眞文は少し身体を震わせながら尋ねた。


 身長差の関係もあり上目遣いで眞文に水着姿の感想を聞かれた結人は、眞文と麗華が二人でやり取りしている間に回復した思考能力を振り絞って答えようとしたが、目の前の女神に魅了された彼は言葉が出ないでいた。


 「…………」


 身動き一つしないパンダヒーローを見つめる眞文の表情が暗くなりつつあることに、麗華はいち早く気づいた。そしてこめかみをひくつかせながら、硬直したマスコットキャラの後ろに回り込んで一発その尻へと蹴りを放った。


 「いつまで見惚れてんだ、このドアホ。さっさと可愛いの一つでも言えっての」


 ドンッ


 「イタッ!」


 「えっ!」


 「あっ……」


 予期せぬ背後からの攻撃に耐えきれず、結人の身体が前方へと吹っ飛ばされる。その目の前には返事を待つ眞文がいて、突然迫ってきた結人に驚いた彼女は回避行動に移れない。蹴りを放った麗華はやっちゃったという表情で苦笑いしつつ、一瞬先に起こるであろう事態を予測して内心で眞文に謝罪した。



 むにゅん


 バランスを崩した結人は、眞文のその豊満な胸へと顔面からダイブした。


 「(ふみちゃんって着やせするタイプなんだな……)」


 マスクの上からでも分かるその柔らかさに意識を持っていかれそうになるが、このまま倒れ込むと眞文にけがをさせてしまうかもしれない。一瞬で次の行動を決断した結人は、そのまま眞文の背中に腕を回して彼女を抱き寄せた。


 「ひゃっ!」


 小さな悲鳴が聞こえた瞬間、結人は眞文と自身の位置を入れ替えようと身体を回転させた。そのまま背中から地面に落ちた結人であったが、着ぐるみのクッション性でそれほど痛みを感じることもなかった。


 「ふみちゃん、大丈夫? けがとか―――」


 筋トレやっててよかったと思いつつ、結人は眞文に声をかけた。だが、途中で現在の状況を認識してその声が止まる。


 体重のほぼ全てを預けた状態で結人に覆いかぶさっている眞文。つまり女性らしい柔らかさが結人を押し潰している状態ということだ。


 「あ、あの、その……ごめんなさい!」


 現状を理解した眞文は、動揺であたふたしながら結人から勢いよく離れた。


 「い、いや、謝るのは俺の方だから……ごめん」


 表情は見えていないが、眞文と同様に結人もかなり動揺している。特に結人は先ほどの柔らかい感触が忘れられず、胸はドキドキしっぱなしであった。


 「あのー、お二人さん、アタシが悪いから言い辛いんだけど、その初々しい甘酸っぱいオーラ、そろそろしまってくれない?」


 二人の様子に耐えられなくなった麗華が、申し訳なさそうにしつつもどこか恥ずかし気にそう言った。確かに発端は麗華の蹴りであるが、そもそもの原因は結人が感想を口にしなかったことにある。それを理解していた結人は、混乱した頭で必死に考えて自分がやるべきことを実行に移した。


 「ふみちゃん、今更かもしれないけど、ホントによく似合ってる。すげえ可愛いし、大人っぽいというか綺麗というか……とにかくありがとう!」


 「……よ、よかったぁ。何も言ってくれないからどこか変なのかなって」


 「そ、そんなことなくて、ただ見惚れて声にならなかっただけというか」


 「そ、そうなんだ……」


  麗華の小言は何の意味もなさず、二人の間には再び桜色のオーラが溢れていた。


 「うん、見てらんないわ」


 そこにいるのが恥ずかしくなってくる甘ったるい空気に、もう無理と言ってその場から走り去った麗華は、何事もなかったかのように再開したイベントを楽しんでいた。


 タイミングよくトークイベント開始時間になったこともあり、客のほとんどはその店先での出来事を見ていない。それは当事者の二人にとって幸運なことであった。しかし、店員に限ってはそうでなく、施設の社員はもちろん、影で結人の様子を観察していた夏葉には全て見られていた。


 「むぅ、せんせー今絶対鼻の下伸ばしてデレデレしてる……。アタシもスタイルは自信あるけど、あの人のは反則……」


 遠くから眺めても眞文の身体はとても女性的で、自分で水着選びを手伝っておいてなんだが、どうして手助けするような真似をしてしまったのだろうかと夏葉は思った。だが、彼女の表情にはゲームを楽しんでいるときの笑顔が見え隠れしていた。


 「いや、でもこうじゃなきゃ面白くない」


 フェアに、その上で完全勝利を掴むために。相手を貶める手なんか絶対に使わないし、ライバルが困っていれば手助けもする。ゲームとは違うが、それくらいの気概をもって挑まなければあの家庭教師を振り向かせることなどできないと、夏葉は確信していた。


 「あんだけあからさまに好意を向けてる美人さんと過ごしてて付き合ってないんだから、せんせーが恋愛に前向きじゃないのは明らかだもんね」


 自分のことも今のところ教え子としてしか見ていないことは、彼女にも分かっていた。たまにいやらしい視線は向けられるが、結人も盛んな年頃の男である。無防備な異性の姿に性欲が刺激されることは当たり前なので、そこは問題ではない。むしろそれは幸運なことですらある。


 「そういう欲すら枯れてたらどうしようもないしね……」


 まずは結人の現状を知ることから始め、その考え方を矯正していくところからか、など色々な可能性を考えながら、夏葉は眞文が結人から離れるのを待っていた。




 「えっと、私もイベントに戻るね。麗華ちゃんにも色々お話があるし」


 照れた様子で結人にそう告げた眞文は、いつもよりも明るい幸せに満ちた表情で笑っていた。


 「……うん。いろいろあったけど、本当に来てくれてありがと。水着もすごく似合ってたし、元気貰ったからこの後も頑張れるよ」


 「体調に気を付けて頑張ってね。私たちはイベントが終わったら帰るつもりだけど結人くんは一日ずっとなんだよね?」


 「ふみちゃんこそ、人多いし体調には気を付けて。あと、周りは女の人ばっかりだし笹川さんもついてるから大丈夫だと思うけど、そのあたりも気を付けて」


 「? うん、とにかく人混みで酔わないように気を付けるね」


 いまいち結人の心配が分かっていない様子であったが、眞文はそう告げて麗華のもとへと向かった。パーカーもきちんと着て露出を限りなく減らしていたことから、彼女は本当に結人に見せるためだけに水着を着ていたのだろう。


 「ホント、どうして俺なんだろうな……」


 その呟きはマスクの中にしか伝わらず、結人自身にしか聞こえなかった。


 本当にこのマスクがあってよかったと思いながらその場に立ち尽くすヒーローの背中は、どこか頼りなく猫背気味に曲がっていた。

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