11. 指導教員と飲み会、そして……
「それじゃっ、四条くんの分属を祝して、乾杯っ!!」
大学からそこそこ離れた一軒の居酒屋。それなりに広い店内の端の方にある個室で。俺と桜井先生は二人きりで歓迎会を開催していた。だが、俺は昨日ほぼ一睡もしていないため朝からすこぶる体調が悪い。というか、気分が上がらない。
「かんぱーい……」
「もう、どうしたの? 今日は朝からテンション低くない?」
先生の言うことはもっともで、せっかくの飲み会なのにもてなされる側がこれでは主催の先生に申し訳ない。すべて自分の責任で現状の問題は起こっているため誰も責めることはできないが、とにかく今は酒でテンションを上げていかなければ……。
「すみません、昨日あまり眠れなくて」
あまり好きではないが、最初のオーダーに時間をかけたくなくて頼んだビールのジョッキを傾け、のどを潤してから俺は正直に謝った。それを聞いた先生は同じビールジョッキを片手に、どういうわけか変な口調で大人ぶり始めた。
「徹夜で何かしてたわけじゃなさそうだね。ふむ、悩み事ならこの私が聞いてあげよう」
「何ですか? そのテンション」
「いや、指導教員としてそろそろ本気をだそうかと思ってね」
「……正直似合ってないので止めた方がいいですよ」
普段とのギャップがあって面白い部分もあるが、あまりに役を作りすぎていて鼻につく。容姿端麗なだけに、それは明らかなマイナス要素でしかない。
「うっ、はっきり言われるとけっこう傷つくわね」
「何かすみません。酒飲めば気分も上がってくると思うので、どんどん飲みましょう」
今日の支払いは先生持ちだが、お酒の席なので少々俺から勧めたとしても問題はないはずだ。目の前で落ち込んでいた指導教員もまったく気にする様子はなく、話題に食いついたことでさっきの落ち込みはどこへやら。ころっと表情を変えて話しかけてきた。
「おっ! 四条くんけっこう強いの?」
「そこそこですかね。先生はどうなんですか?」
友達がいないから飲み会にも参加したことがなく、飲むとしたら親戚の集まりや気分を切り替えたいときだけの俺は、正直普段の思考能力を損なうまで酒を飲んだことがない。そんな寂しい話をしたくはないので、さっさと質問を投げ返した。
「うーん、私はお酒飲むと眠くなるタイプだから寝ていい状況ならたくさん飲むけど、そうじゃければあまり飲まないかなぁ。今回は寝ると四条くんに迷惑かけちゃうから抑えるつもり!」
きちんと自分の性質を理解しているのは、初めて飲み会をする相手としてはかなり助かる。やはり大人はわきまえているものだと、このとき俺は普通に感心していた。
だがそれが大きな間違いであったと、俺はすぐに己の考えの甘さに気づかされることとなる。
「ねぇ、きいてるー? しじょーくーん? あのセクハラきょうじゅ、きみがくるまえはもとひどくてね、ほんとうったえてやろうかとおもったくらいなんだよっ!?」
「……」
最初は趣味や持ち上がっているスポーツの話題など、雑談に興じていた俺たち。そのうち研究室の話になったのがまずかった。お酒の力もあって、先生の愚痴は徐々にヒートアップ。それにつれてお酒の注文も増え、完全にめんどくさい酔っ払いが完成していた。
呂律も回っていない中、例の教授への怒りをぶつけてくる指導教員の姿は端から見れば可愛いのかもしれない。だが、酒臭い相手の正面でひたすら愚痴を聞かされる此方の身にもなってほしいものだ。
グスッ「まいばんひとりでまくらをぬりゃすくらい、ほんとにつらかったんだから……」
「……はぁ」
怒ったり泣いたりと忙しい人だ。それにしても、そんなに俺が入るまでの状況は酷かったのだろうか。講義中にその苦労を察することもあったが、それほど危機的な印象を覚えなかったということは、学生の前では上手く隠していたのかもしれない。それを思うと同情もするし、成そうとしていることへの決意も改まるというものだ。
ただ、机に突っ伏して今にも眠りそうな指導教員には威厳も何もないということは言っておきたい。
「だかりゃね、ありぎゃとー。しじょーくんにはかんさ、してる、ん、だ、よ……」スー
やっぱり寝たか。というか、静かになったのはいいが、この指導教員はあまりに無防備すぎやしないか? 俺だって一応男なんですよ? 幸せそうな可愛い寝顔を見せる綺麗な女性に対し、まったく意識が向かない男などいないだろう。ただ、俺の理性なら大丈夫だ。何事も起こさずこの場を収められるに違いない。
なぜそんなに自信があるのかって? それは簡単だ。
「まったくセーブできてねえ……さっきの俺の感心返してくださいよ……」
呆れや怒りの気持ちの方が強いためである。まったく同情できないわけではないが、大人ならもう少し自身の言葉に責任をもってほしい。
とはいえ、俺の呆れた呟きに返事はなく、聞こえてくるのは静かな寝息のみ。さて、俺はこれからどうするべきなのだろうか。
先生の家なんて知ってるわけがないし、俺の家に連れ込むなどもってのほかだ。女性のプライバシーに配慮しない酷い行為だが、勝手に荷物を漁って何か手掛かりを見つけるか?免許証とか住所が記載されたものがあればすべては解決するんだが。
「いや、それでも他人に荷物を漁られるのは気分が悪いはずだし、大人に頼るか」
何も策がなければそうするしかなかったが、幸運なことに一つだけ俺にも伝手があった。
スマホを取り出し、あまりかけたことのない番号に発信する。
「夜分に突然電話してすみません。事情があって一つ頼みたいことがあるのですが――――」
「よし、住所も分かったし、さっさと行動しよう」
まずはここの支払いか。このときのため、というわけではないが、アルバイトの収入で財布の中身には余裕がある。そもそも二人なのであまり飲み食いしていないし、メニューを見て把握した会計金額くらいなら問題ない。席の呼び出しボタンを押し、少々待っていると若い女性店員がやってきた。
「お会計お願いします」
「お会計ですね、かしこまりました! ……あれ、彼女さん寝ちゃったんですか? 大きなお世話かもしれませんけど、ちゃんと送迎してあげてくださいね!」
彼女ではないのだが、ここで弁明するのもめんどくさい。おしゃべり好きそうな店員さんだし、ここは笑顔で頷いておく。というか、何度か料理をもってきていたんだから、俺たちの会話や雰囲気から恋人同士じゃないと分かってもいいはずだ。
いや、そんなことはどうでもいい。席で会計を終えた今、次のミッションに移らなければならないのだ。
「背負うのが無難だよな……。先生は立ち上がりそうにないから肩を貸して歩くのは無理だし」
そのほかの候補はすぐに頭から排除した。店の外に出るには先生をどうにかして運ばなければならず、その方法としておんぶを選択した俺は、机に突っ伏す先生を背負って荷物を持ち、忘れ物の有無を確認して席をたった。
店を出てそれなりに人が歩いている飲み屋街を見渡し、背中で眠る指導教員が住むマンションの方角を確かめる。スマホで距離を確認すると、約 2 km の表示が出た。
「ここからそんなに遠くないみたいだし、このまま歩くか」
安全や周囲の目を気にするならタクシーを呼ぶべきなのかもしれないが、金曜日の夜はタクシーがつかまりにくかったりするし無駄なお金もかかる。それに、熟睡中で全体重がかかっているにも関わらずそれほど重たいと感じないので、この程度の距離なら余裕だ。先生が軽いのかもしれないが、俺もアルコールで感覚が麻痺しているのだろう。
「やっと着いたな」
道中寝惚けた先生がいろいろとやらかしてくれたので予定より遅くなったが、とにかくまた一つミッションを達成できた。それはいいのだが、9月とはいえまだまだ夜も暑く、けっこう汗をかいてしまった。俺としては良い運動になったと前向きに考えられるが、先生には申し訳ないことをした気もする。
「自業自得ということで、今回は許してください。さて、次は……」
聞こえてはいないだろうが一応小さくそう呟いておき、俺は最後のミッションである部屋の鍵の探索を始めた。
「確か、研究室の鍵を開けるときにキーケースをバッグの外側のポケットから出してたから……。よし、あった」
荷物を漁ることなく簡単に見つかったことに安堵しつつ、さっそくそれらしい鍵を使って部屋の鍵を開ける。
「できるだけ見ないようにするので許してください」
そう覚悟を決めて女性の一人暮らしの部屋に突入。先生としても今日誰かが自分の部屋に入るとは思っていないはずなので、少々散らかっていることは仕方ないだろうと、そんな軽い気持ちで俺はその領域に足を踏み入れた。いや、踏み入れてしまった。
無秩序混沌領域、ディスオーダーへと。
「どうしてこう、見事に俺の期待を打ち砕いてくれるんだろうな……」
眼前に広がった、今まで見たことのない異世界のような光景に、魂が抜けていく錯覚を覚えた。
「ハッ!! いかんいかん、あやうく気絶するとこだった」
なんとか我に返った俺は、とりあえずこの世界の主をベッドらしき場所に安置した。穏やかに寝息を立てるその姿に、このまま一人にしても大丈夫そうだと判断する。
「よし、俺も帰って寝よう。明日はバイトもあるし」
寝不足な状態でここまでやったのだし早く寝たい。限界が近い俺はそのまま帰宅しようとして……足を止めた。
「でも、いろいろと危険っぽいよな」
このまま何も見なかったことにして帰ろうかと思ったが、先生の体調面での不安はなくても環境面ではむしろ不安しかないため、つい足が止まってしまった。
「はぁ、ベッドの周りだけでも安全確保が必要か」
大げさに言えば命にも関わるため、この際プライバシーなど気にしていられない。ただ、掃除までしてやる義理はないので大雑把にモノを動かし、安全なスペースを確保することだけに注力して速攻で終わらせてやった。
余裕があれば綺麗にしたいと思わずにいられないほどの「おへや」だが、あいにく俺にそこまでの元気は残されていない。ここからまた自宅に帰らなければならないのだから。
「鍵は外からかけて扉の郵便受けから投げ込んどけばいいか」
書置きを残す余裕もなければ、紙とペンもすぐには見つかりそうにないため、先生への状況説明は後でメッセージを送って済ませることに決める。今はとにかく帰宅が優先だ。思わぬ高難易度の緊急ミッションをやり遂げた俺は、眠気でふらふらしながら帰路についた。
「明日のバイトが、昼から、で、よかっ、た……」
帰宅早々ベッドに倒れこみ、俺は一瞬で意識を失って夢の世界にダイブしたのだった。
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