第800話 その2

 大平原の北、ヨラン王国と大平原をわかつ中央山脈のすそを狼が駆けていく。

 それは氷製の巨大な狼で、白い牙の目立つ口には氷の棺桶をくわえていた。

 狼は昼も夜も無く、ただ延々と駆けていく。


『ザザッ』


 ある日の朝方、狼は地面に爪を突き立て突如止まった。

 それからスッと座り込むと、口に力を入れ棺桶にヒビを入れる。

 伸びたヒビは、棺桶のみならず狼の身も包む。


『ガシャン』


 そして氷が砕ける音が響いた。

 狼と棺桶が砕け散ったのだ。

 破片は周囲に散らばり、冷気を伴った霧があたりを包む。

 そこに人影が浮き上がった。青い髪、青いドレスに身を包んだ女性。それはミランダだった。


「よく考えれば、もう少し景色を楽しめばよかった」


 彼女は大きなあくびをすると、狼であった氷の破片を踏み締め、中央山脈に向かって歩き始めた。

 それは迷いのない足取りだった。

 彼女の進む先には巨大な岩があった。中央山脈では珍しくない巨石。ミランダは迷いなくその巨石に向かって歩く。

 そして石に溶け込むように消えた。

 次の瞬間ミランダは冷たい洞窟にいた。

 巨大な石は幻で、さらにそれは洞窟の目印だった。

 彼女は洞窟の中を明かりもつけずに歩いて行く。


『コツコツ』


 ひんやりとした洞窟にミランダの足音が響く。

 洞窟は人の手が加えられていた。

 余裕をもって馬車が走れるであろう幅広い床面は、平らに整えられ、歩くに困らない道だった。

 だがそんな道もすぐに終わる。

 道は急に途切れ、自然の洞窟へと変わった。まるで舗装工事を途中でやめたように。

 その反面、洞窟には明かりが灯っていた。

 空が見えているわけではない。洞窟全体が輝いていた。

 実際に輝いていたのは、洞窟の床や天井をはじめとした壁面から飛び出す水晶の柱。

 つららのように先端の尖った水晶の柱は、壁面から中央に向かって伸びていた。

 天井からも、壁からも、床からも、通路の中心に向かって乱雑に伸びる水晶の柱。

 それはわずかばかりの隙間を残してはいたが、ミランダの行く手を阻む壁のようにも見えた。

 だがミランダはひるむことなかった。今までと同じように、速度は落とさず隙間を縫うように歩いていく。

 水晶の柱は鏡のようにミランダの姿を反射し、まるで彼女のために作られた舞台のようだった。

 彼女のあゆみは止まらない、リズミカルに進む。足場は不安定であっても彼女は怯まない。水晶の柱を軽く蹴り、フワリと軽やかに進む。それは慣れたダンスを踊るかのようだった。

 実際に、この洞窟に彼女は慣れていた。

 そこはある一族が共有する空間だった。

 一族とはクロイトスと呼ばれる知識の探求を目的に集まった者達。

 彼らは必要に応じて協力し、必要がなければバラバラに知識の探求を続ける集団。

 必要があれば協力する。

 そう協力する。たとえばこの洞窟。

 余裕がある時、この洞窟に一族の人間は触媒を残す。

 後日、自分が必要な時、あるいは一族の別の者が必要な時に触媒を使う。

 ある意味、この洞窟は一族が共有する倉庫のようなものだった。

 だから彼女はこの洞窟について熟知している。

 一見すれば歩きにくいこの洞窟。水晶の柱が乱立するこの場所も慣れれば大したことがない。

 なので彼女の歩みは軽やかで、その足取りは楽しげに見えた。

 ところが、いつまでも続くような足取りは不意に止まる。

 そしてミランダの顔が険しくなった。それと同時、彼女に向かって魔法の矢が襲い掛かる。

 もっとも矢は当たらない。


『ピキキ』


 氷にヒビが入る音が響く。結果として魔法の矢は凍り、パリンと音をたてて地面に落ちて割れた。


「どこの誰かは知らないけれど、ここはクロイトス一族の土地。私は一族の一人として利用が許されている。だから排除される気はないのだけれど」


 感情を込めない声で彼女は言った。その先にいるであろう魔法の使い手に語りかけたのだ。

 それから歩みを再開する。

 言葉による返答はない。代わりにあったのは攻撃。

 再び魔法の矢がミランダに向かって襲い掛かる。


「ふぅ」


 ミランダは、ため息とも取れる息を吐き、飛んでくる矢を次々と凍らせ歩み続ける。


「そこか」


 そして小さく呟き前方の1点を見つめた。

 それで勝負はついた。


「あぁぁ!」


 悲鳴が洞窟に響いた。

 それはミランダの声ではない。子供の声だった。

 絶望を含んだ悲鳴を聞いてミランダの顔が曇った。


「そこにいなさい。お前たちが攻撃しなければ私は何もしない」


 悲鳴の主に対し、ミランダは歩きながら優しく声をかける。

 ややあって、彼女は悲鳴の主と、そして彼女が凍らせた人物とまみえることになった。


「これは一体、どうしたものかしらね」


 ガタガタと震える少女と氷漬けになった少年を見下ろして、ミランダはつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る