第776話 仕事に生きる

「どうしたの?」


 困っているオレの顔を覗き込み、ノアが聞いてきた。


「なんだかお腹が痛くなっちゃったよ」


 反射的にオレはつらい状況を訴える。進退窮まる厳しい状況だと。もっとも笑いながらだけど。人間、あまりにも辛いと笑うしかないのだ。


「あっ、お薬……」


 ノアがパッと両手を口にやりキョロキョロと周囲を見渡す。


「いや、痛いってのは、比喩……」

「待っててリーダ! ママがお薬持ってるから!」


 ハッとした表情になったノアがすごいスピードで舞踏会場へかけていく。

 ちょっとした愚痴の真意について、説明する暇すらなかった。


「リーダ……」

「いや。ほら、お腹痛くなるって、マジで。あれだ、踊るんだぞ」


 呆れた顔のカガミから受けた非難に対し、身振り手振りを交えて弁明する。

 さて、どうしたものか。ノアが本気にしてしまった。とはいえ、ノアの後を追いかけて舞踏会場に行くのもつらい。

 ……戻ってきたら謝ろう。少し考えて、そう結論づけた。

 でも、本当に、どうしたものか。

 まず神々の言葉に従って信徒勧誘するのは却下だ。毎度まいど言うことを聞いていては、奴らがつけあがる。オレはそんな簡単に言うことを聞く人間ではないのだ。


「何かあったんスか?」


 考えていると、プレインとミズキが近寄ってきた。


「リーダが踊りたくないからと、ダダをこねているんです」


 舞踏会場をチラリと見て、カガミが言った。


「えー。ちょっと相手に合わせて体を揺らす程度じゃん」

「そうっスよ。創作ダンスのノリでいけるっスよ」


 半笑いのミズキに、プレインが続く。

 こいつらはちょっと自分たちが踊れるからと簡単に言う。できない人間の苦しみをわかってほしい。


「創作ダンスって何だよ」

「学校でやるやつっスよ」


 そんなの学校でやらない。何を言っているんだか。

 まったく。どうにも同僚たちは役に立ちそうにない。


「リーダ! ママを連れてきたよ」

「あの、腹痛だと聞きましたが?」


 同僚たちとウダウダ話をしていると、ノアがレイネアンナを連れて戻ってきた。

 真剣そのものの2人を見ると、何と言っていいかわからなくなる。


「リーダ、大丈夫?」

「あぁ、うん。お腹が痛いのは良くなったよ」


 とりあえずノアの質問に答えながら、思案を巡らす。

 どうしよう、マジで。

 踊れなくて泣きそうだと、正直に言うのが一番なのはわかってはいる。だけれど、真剣そのものの表情で見つめてくるレイネアンナに言い出しづらい。

 チラリと見るが舞踏会場はかわり無い。沢山の令嬢たちは、先程と同じ場所であつまり何かを語らっているままだ。


「場はエルシドラス様が対応してくださるそうです。ですので、無理をなさらないでください」


 レイネアンナが言った。

 もう一度、舞踏会場を見やると、たしかにエルシドラスが令嬢達に何かを語りかけていた。そして、そのうちの一人の手をとり、滑るような動きで踊り始めた。

 続けて歓声があがる。

 あのまま任せて良さそうだ。


「皆さんおそろいですが緊急事態ですか?」


 ホッとしたのもつかの間、今度はイオタイトが近づいてきた。

 どんどん人が増える。


「いや、ちょっとリーダが踊るのが嫌だと……」


 小声でカガミがイオタイトにチクる声が聞こえる。


「嫌って、そんなの適当に舞えばいいっしょ。王子なら簡単簡単」

「そうそう。パーッと踊ればいいんだよね」

「もし、知らぬ者と踊るが不安であれば、わたくしが……」


 もっとも踊らなくいいという話にはなりそうもない。

 外野の話は踊る前提で進んでいる。こんな事で、ウダウダ言わず、それはしょうがないね踊りは中止。それでいいのではないかと思う。人間、得手不得手というものはあるのだ。

 なんとか舞踏会場の人々に姿を現さずに切り抜けたい。


「多少間違いがあっても、我らが味方するのでアル」

「軽やかな風でふわりと衣を舞わせば、未熟な踊りも隠せるでしょう」

「そうそう、あたし達が味方なんだからさ」

「やったじゃん、リーダ。精霊たちが味方だってさ」


 ちょっとは黙っていろ、このクソ悪霊ども。それからミズキも奴らを焚きつけるな。


「そっ、そうだ。ノアにプレゼントがあったんだ!」


 なんとかこの場を逃げたいという一心で、言葉をひねり出す。


「プレゼント?」

「そう。ノアに、プレゼント。案内するね」


 とりあえず、この場から逃げる事にした。あの舞踏会は、まだ先があるような気がする。ヤバい場所からは距離を取るべきだ。可及的速やかに。

 ということで、オレは皆を連れて、飛行島へと向かう。


「まったくもぅ」

「行き当たりばったりっスね」


 背後から聞こえる同僚たちの声など無視して、トコトコと進む。

 考えながら。

 よくよく考えてみると、オレは舞踏会に参加する必要のない事に思い至る。

 更に続けて、これからの事も考える。

 考えながら歩いていると、ほどなく小さな飛行島が見えてきた。獣人たち3人と、ロンロも側にいる。


「あっ! お嬢様!」


 飛行島側にいたチッキーが、こちらに気が付いた。


「なんだ。もう連れてきたのか」


 サムソンも、地面スレスレに浮いた小さな飛行島から身を乗り出して声をあげる。


「飛行島?」

「あぁ、そうだ。実は、上にはまだ秘密がある」


 ノアの言葉に、サムソンが上をむいて答えた。

 さきほどまでオレを非難していた同僚たちも、興味が飛行島に移ったようだ。


「オレは少し席を外すよ」


 そこで、オレは同僚たちに後は任せる事にした。


「どうするんですか? 舞踏会に行くんですか? 教えてほしいと思います」

「一言断ってくる。あと準備だ」

「ちょっと、リーダ、断るって?」

「オレは仕事に生きる事にした」


 困惑したカガミに対し、端的に答え駆け出す。

 さすがに黙っていなくなるのも悪い。言い訳程度でも、一言断っておくべきだと考えたのだ。社会人として。

 それからイオタイトと一緒に、舞踏会場に戻る。

 もっとも目的は踊ることではない。


「イオタイトさん。王様が今どこにいるのかを調べておいてくれ」

「え? 王子?」

「任せた!」


 舞踏会場の裏口そばでオレはそう言うと、会場近くにある厨房へと向かう。

 城のあちこちにある厨房。オレが行くのは、立食形式で食事を提供する舞踏会のために、人が集められた厨房だ。


「王子? このような厨房まで……呼んでいただければ対応いたしましたのに」


 ガヤガヤと料理人ならではの指示が飛び交う厨房。

 慌ただしく料理人が働く厨房に行くと、舞踏会の準備を引き受けてくれていたヴェリアがいた。

 彼女が厨房の監督らしい。


「えっと、そこのテーブルにいろいろな種類の料理を載せてほしいのです。あっ、そこのケーキも」


 広い厨房にあったテーブルを指差しお願いする。

 ヴェリアも厨房の人達も優秀だ。あっという間に、テーブルの上には沢山の料理が用意された。


「これは美味しそうだ。皆さんの働きに感謝します」


 にこやかにお礼を言って、テーブルごと影に料理を落とし込む。

 これで準備完了だ。

 あとはイオタイトからヨラン王の場所を聞いて、適当に断りを入れるだけ。

 それが終われば飛行島へと戻ってとんずらだ。

 ノアの誕生日会は別でやるのだ。あんな舞踏会には用なんて無い。

 踊る時を待っている人達には申し訳なく思うが、もっと有意義な時を過ごして欲しい。

 と思ったら、厨房に駆け込んできた一人の役人により厨房は静かになった。


「王が見えられます」


 その一言で、魔導具や魔法によって動いていた各種道具は、ピタリと動作をやめた。そして、料理人のなかでも身分が高い人達がバッと出入り口へと集まってくる。

 それから程なく、黒い鎧に身を包んだ黒騎士を連れてヨラン王がやってきた。


「リーダよ。何やら急用ができたと聞いたのだが」


 ヨラン王は、背後に控える黒騎士の一人をチラリと見て言った。

 王の言葉に対して静かに頷く鎧姿……あれはイオタイトらしい。

 わざわざ来てくれたようだ。手間が省けて助かる。


「えぇ。急ぎ、向かわねばならぬところができたのです。心苦しいですが、舞踏会はお任せします。父上!」


 周りの目もあるので、かしこまった態度で訴える。

 そもそも、オレが舞踏会に参加するという事がおかしいのだ。それに、オレが王子の演説を引き受ける際も、好きにすればいいと言ったのは王様だ。

 その理屈でいけば、オレには好きに行動する権利がある。


「まぁ、好きにすればいい。後は任せておけ」


 何か言われるかなと不安だったけれど、回答はあっさりしたものだった。

 ともあれ、これで万事オッケー。

 さて飛行島に戻ろう。

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