第740話 閑話 勇者の勇者(治癒術士カドゥルカ視点)その2

 空に亀裂が入ったと同時、エルシドラス様が叫んだ。


「リーダって?」


 起き上がったエルシドラス様に、コンサティアが声をかける。


「奴が……天帝ス・スが攻撃した先に、いた、リーダ様……が、奴が手を伸ばした先に」


 エルシドラス様が空の一点を見つめて声をあげた。

 リーダ……確かノアサリーナの筆頭奴隷だったか。


『ドォン』


 皆の言葉を咀嚼する間も無く、船の揺れで私はさらなる混乱に叩き落とされた。

 一目で、船団の陣形が崩れている事が見て取れた。

 本来なら離れた場所にいるはずの船がぶつかってしまうほどに、乱れていた。

 ぶつかってきた船のマストが、こちらの船のマストとぶつかり、へし折れた。


「何が起こっているのだ」

「ボクにもわからない。あの船は離れて居たのに……」


 大きく揺れる船の上で、コンサティアが首をふる。

 彼女が状況把握をしきれていない。

 若き賢者と呼ばれる彼女の分析と現状把握能力の高さを知っているだけに、現在の状況がどれほど異常なのかを悟った。


「世界縮小が、解除されたのですよ」


 そこに、場違いな程にのんびりとした声音がした。

 コンサティアの側に浮いていたシルフの言葉だ。長い金髪をダラリと垂らし、異常事態にも平然としている。他人事のような態度が腹立たしいが、精霊は我らとは違う。人の感情で事を捉えていない。


「先ほどの話?」

「そうですよ。コンサティア。えっと……ちょっと前まであちらにいたリーダでしたっけ? あの人が何かの力で天の蓋を破壊したのですよ」

「え? 天の蓋を……破壊、え?」


 困惑したコンサティアの言葉を聞き、空を見上げる。

 ひび割れ、闇夜が破片になって落ちてくる空に、天の蓋は無かった。

 生まれてから、一度も天の蓋が消えたことなど無かった。有る事が当然の存在が消えた。

 それを聖女の従者とはいえ、只の奴隷が……一介の奴隷が成したというのか。


「そうですよ。コンサティア」


 だが、シルフが断言し、言葉を続ける。


「それにより、天の蓋によって分かたれていた地上と神々は近づくことになったのですよ。そして、神々は、天帝ス・スによって細工された世界を有るべき姿に戻したのですっと、以上ですよ」

「そう……」


 シルフの語った言葉の意味は分からない。

 だが、天の蓋が空から消えているのは確かだ。


「ところで、リーダ様は……天帝ス・スはどこに?」


 エルシドラス様がかすれた声を出す。


「ヌムムさん? わかる?」

「近くには居ないのですよ。方角はあっち、グーンと距離が伸びたから、遠すぎるのです」


 コンサティアに問われたシルフが、もったいを付けたようにゆっくりと腕を伸ばし、一点を指さした。何もない空が見えた。


「そうか……。トルバント、アクアリス、陣形の立て直しに注力してくれ。後は……少しまかせる」


 大きく息を吐いて、エルシドラス様がしゃがみ込む。剣を支えにして、息の上がった彼は大量の汗をかいていた。


「エルシドラス様!」

「ははっ。すまない。陣形が整うまで横になる」


 渇いた声で小さく笑ったエルシドラス様は横になる。

 私はすぐに治癒を再開する。

 トルバントが飛び跳ねるように船団を渡りあるき、陣形の立て直しを進める中、私はエルシドラス様の治癒に没頭した。

 大きな戦闘も無く、我らは余裕をもって対応できた。

 しかし、それだけに今後の見通しが立たない。どうすれば世界は救われるか。

 我らは何を成すべきなのか。

 エルシドラス様が首魁だと断言した天帝ス・スなる存在は視界にない。

 いや。

 頭を振り、雑念を振り払う。

 まずはエルシドラス様だ。気を抜いてはならない。

 空が壊れ、まるで夜明け直前のような暗がりが続く。


「天帝ス・ス!」


 しばらくして、コンサティアが叫んだ。

 起き上がろうとするエルシドラス様を手で押さえつつ、辺りを見ると、やや離れた場所に奴は出現していた。瞬間移動の類いのようだ。

 奴は、我らを無視して何処かに進もうとしていた。


「離せ、カドゥルカ」


 天帝ス・スの出現を聞いて、エルシドラス様が起き上がろうとするのを抑える。

 この方は責任感が強すぎる。


「なりません。あと、しばし、あとしばし、時間を。急ぎますゆえ」

「ルシド! カドゥルカ様の言葉を聞いて、天帝ス・スまで距離がある。近づくまで……事態が変わるまで、ボク達が対応するから任せて」

「リーダ様は?」

「見当たらない。天帝ス・スだけしかいない」

「そうか……」


 コンサティアの言葉を聞いたエルシドラス様は起き上がるのを止めた。

 私は小さく息を吐き安堵する。

 これでようやく治療に専念できる。

 そう思った矢先だった。


『ゴッ、ゴォォォ』


 突如、けたたましい風音と共に強風が吹いた。

 風はどんどんと強さを増す。

 過去に経験したことがない強烈な風がアーダマシスを襲った。


「コンサティア殿、アクアリス殿ぉ、風を止めてくれ!」


 船が軋み、船体を囲む紋章がいくつか吹き飛ばされる中、ドトーケオの大声が響く。


「私には無理です! 嵐を操る魔法が働かない!」


 アクアリスが悲鳴にも似た答えを返す。


「ヌムムさん! 力を貸して!」


 側に立つコンサティアは両手で杖をグッと掴み、側のシルフに声をあげていた。

 彼女の周りを舞う2枚の魔法陣が輝いているが、風は収まらない。そして、シルフは彼女の言葉を無視していた。


「ヌムムさん!」

「ごめんなさい、コンサティア、この風は止めてはならないのです」


 再び声をあげたコンサティアに、シルフが虚空を眺めつつ答える。

 風は益々強くなり、数体の船が風に流されぶつかる様子が見えた。

 シルフの拒否に、コンサティアが狼狽していることが見て取れた。


「帆をたため!」


『ボスッ』


 遠くからドトーケオの声が聞こえたと同時、強風によって大きく膨らんだ帆の一つが音を立ててへこんだ。


『ガッ……ゴン、ガァン』


 帆に張ったロープや帆柱にあたりながら何かが落ちてくる。


『ゴン……』


 それは人だった。何者かが帆に当たり、転がり、帆柱などにぶつかりながら落ちてきていた。かろうじて見て取れた様子から、兵士では無い事だけがわかった。


『バァン』


 最後に床に打ち付けられて、我らからやや離れた場所に、その者は落ちた。その姿は血まみれだった。

 ピシャリと血をまき散らせた何者かは、死んではいないが大怪我をしていた。

 片足が妙な方向に曲がり、片手が千切れかかっていた。

 その者の出現と同時、風はピタリと止んだ。


「リーダ様!」


 即座に数人の兵士が警戒しつつ近づく中、エルシドラス様が声をあげた。


「え?」

「リーダ様だ! カドゥルカ! 私はもう大丈夫だ! リーダ様を!」


 やや上体を起こしチラリと血まみれの人物を見てエルシドラス様が声をあげる。

 あの者がリーダ?

 どういう事だ。そういえば、先ほどス・スなる者の側に居たと、エルシドラス様は言っていた。何か関係があるのか。


「イリアン、パイルス、あの者を集中治療せよ!」


 私はすぐに助手に治療を命じる。


「カドゥルカ、其方もだ」


 私は首を横に振った。さすがにエルシドラス様は置いてはおけない。

 だが、あの怪我……せいぜい命をつなぎ止めるだけで精一杯だろう。

 それにしても、事態が加速度的に変わる。そしてどれもが予想できない。

 ス・スなる者はまだ遠くにいる。先ほどの風も、ス・スなる者の仕業なのか。

 ところが、事態はさらに悪化していく。


「カドゥルカ。治癒を!」


 トンと着地音を鳴らし、私の側に立ったトルバントがそう言って、担いでいた女性を投げ落とした。


「カティハテラ?」


 青い顔をして意識の無い彼女を見てコンサティアが声をあげた。


「あぁ、第7魔王だ! 船が2隻も落とされた」


 コンサティアをチラリと見てトルバントが応える。

 彼もまた片腕を失っていた。

 第7魔王?


「いつ?」

「ほんのさっきだ。真上から飛んできた。船が真っ二つだ。高速で飛行する魔王で体躯は強靱。俺の剣は歯が立たず、右手ごと一本破壊された。しかも体を纏う赤い霧は船を燃やす。かなり分が悪い」


 シューシューと音をたて結界の力で治癒しつつ、トルバントは荒い息で報告を続ける。

 ヨラン王国で屈指の実力者トルバントの攻撃が通じないとなれば……。


「聖剣で、斬神を使う、それで対処する……」


 私と同じ事を考えたのだろう。エルシドラス様がゆらりと体を起こした。


「なりません! 今、エルシドラス様が聖剣を使えば、治療が及ばない事は確実です」

「だが、このままでは全滅……」

「トルバントだけではなく我らもおります。協力し事にあたります」

「そうだよ。ルシド! まだ方法は尽きて……」


 無理に起き上がろうとするエルシドラス様を皆で説得する。


「どけ!」


 背後で声が聞こえた。

 ふと見るとコンサティアが目を大きく開いて一方を見ていた。

 思わず振り返って声がする方を見ると、血まみれの……リーダが助手を振りほどき起き上がっていた。

 あの怪我で、起きた? 見た目ほど怪我は酷く無いのか……いや、違う。怪我は酷い。

 身体強化と念力で無理矢理に動いている。

 リーダは震える手でポケットから小瓶を取り出しながら、船の縁へと歩いていく。

 助手達は、何かに気圧されたようで、リーダに近づけずにいた。

 唖然とする中、船が大きく揺れた。


『バゴォ……ォン!』


 大きな音がして第2マスト側の床板が吹き飛んだ。

 ここからやや離れた場所から何かが飛びだしたのだ。


「第7魔王バッシャダシャ!」


 それを見てトルバントが声をあげ、怪我などお構いなしに突っ込んでいく。

 だが、魔王は早い。あっという間に上昇して距離を取った奴は、大きく曲がり別の船へと向かって進む。

 急な出来事に反応できたのはトルバントだけだったようだ。

 私はそう思った。


『バチッ、バチチチチッ』


 ところが、そうではなかった。

 もう一人、反応した者がいた。リーダだ。

 船縁の柵に体を預けた彼は、大きく持ち上げた右手に音を立て強く白く輝く槍を持っていた。

 そして、それを無造作に投げた。

 直後、爆発音がした。

 状況を見て、先ほどの投擲は無造作ではなく、相手の進行方向と速度を予測しての攻撃だと気がつく。恐るべき練度をもっての攻撃。


「あっ」


 トルバントが大きく口を開けて間の抜けた声を発した。

 一撃。

 計算されつくした攻撃。それは一撃で事態を変えていた。魔王は消えていた。

 皆が唖然とする中、彼は持参した薬で応急処置をして、魔王とも見まごう怪物の背に乗り去って行った。


「あいつ……あんなに強かったのか」


 トルバントが、なんとか声をだした。

 想像を超えた強力な魔王の出現と消滅。

 あまりにも急な展開に皆が声を失っていた。


「もう。大変なのです」


 そんな時、声が聞こえた。我らのいる場所からやや離れた場所に長い金髪の子供が寝ていた。

 違う。子供ではなく精霊シルフ。白い衣に長い金髪。コンサティアのシルフにそっくりな外見をしている。


「ヌネフ様!」


 私達が言葉を失う中、ずっと心ここにあらずといった調子のシルフが声をあげた。

 シルフは我らを無視して船の一方へとフワリと飛ぶ。


「やぁ、ヌムム。ごきげんよう」

「やはり先ほどの強風はヌネフ様だったのですね」

「もう大変なのです。ちょっと目を離すと死にかけるのですから」

「それは、リーダ様の事かい?」


 軽い調子で会話をかわすシルフ達にエルシドラス様が横になったまま声をかけた。


「そうですよ。勇者エルシドラス。大体、皆で……サラマンダーにノーム、ウンディーネにグレゴ、それからモペア。皆で話し合った通りなのです。ノアサリーナにはサムソンやハロルドにミズキがついているので大丈夫。カガミは慎重な性格なので大丈夫。なら、リーダは?」


 そこまで言ってシルフがムフーと大きくわざとらしい溜め息をついて見せた。

 寝たままのシルフがややあって言葉を続ける。


「全員が危ないと思ったのです。だから、皆でリーダについて行くことにしたのですよ。それがもうぴったし的中。まったく、次から次へと死にかけて。生き埋めになりそうなリーダを引っ張りあげたり、吹き飛ばされたリーダを受け止めるため船を動かしたりと大変なのです」


 先ほどの風は……あのリーダを受け止めるためだけに行ったのか。

 いや、このシルフの言葉が正しければ、他の精霊も同様に手を貸していることになる。

 リーダという者は、歴史に名を残す大精霊使いと同等……いやそれ以上の精霊使いだというのか。


「だけど、リーダは凄いのです。あの魔王、第7魔王バッシャダシャは、貪欲に強さを求めていました。学識、狂信、道徳、快楽……人は魔王に沢山の異名を付けていました。第7魔王は、さしずめ最強ってところでしょうか。あれは数多に生まれた自分を自分で食べて、一つの個体に力を集中させました」


 力を集中。シルフの言葉に第7魔王は一体しか見ていない事に思い至る。

 今回の戦いで何体もの第1魔王を見た。他の魔王も複数。だが、第7魔王はあの一体だけ。


「さらに貪欲に強さを求め、なんでもかんでも喰らい力にする第7魔王はやがて神域に……いや、もう神域に至っていたかもしれません。それをリーダは蹴散らしたのです。リーダは抜けていて、わけの分からない事を言ったりしますが、いつだって問題を解決するのです。そしていつだって楽しく過ごすのです。リーダはノアサリーナの為なら無敵なのです」


 そこまで言って、シルフは両手を上にあげて。グッと体を起こした。


「と、いうわけで休憩おしまい。さっさと追いかけなくては、また死にかけるかもしれません。世話がやけるのです」


 体を起こしたシルフはそう言って消えた。

 エルシドラス様が気にかけていたリーダという男。

 呪い子の奴隷にもかかわらず、かの者に敬称を用いていたエルシドラス様の態度に少々思うところもあったが、私の方が間違えていたようだ。

 直に言葉を交わしたエルシドラス様は、あの者の底知れぬ何かを感じ取っていたのだろう。


「ちょっと待って、これ」


 私がリーダの評価を大きく変えていたとき、コンサティアが何かを拾い上げて声をあげた。


「どうしたんだい、コンサティア」

「これ、エリクサーだよ。さっき、彼が……リーダ……が落とした小瓶」


 エリクサー。もしや……。


「ちょっとまて、そういえば、あいつ、一瞬で体を治癒していたよな。ひょっとして……」

「多分、トルバントの想像通りだろう。リーダ様は、落としたエリクサーを探す間も惜しんだのだ。エリクサーを使い捨てにするか……ハハッ」


 エルシドラス様が楽しげに笑う。だが、笑い事では無い。精霊を多数従え、魔王を一撃で粉砕し、エリクサーを気安く使う。

 一体、彼は何者なのだ。


「ハハッ。まったくもって、凄い方だ。さて、我らも追いかけよう。ス・スを、リーダ様を」


 エルシドラス様は楽しげに笑い指示を飛ばす。

 依然として辛そうな状況ではあったが、エルシドラス様は楽しそうに見えた。

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