第687話 閑話 皇女として(タハミネ視点)前編
「姫様は?」
気晴らしに外へ出た私に対し、白薔薇達の稽古をつけていたルッカイアが近づいてきた。
小さく溜め息をつき、首を横に振る。
「そうかい」
それだけでルッカイアは察したようで、苦々しく笑った。
姫様が落ち込んでいる。
ここへ来た時の意気込みはどこへやら。落ち込んでいる。
きっかけはノアサリーナ。
リーダと親睦を深めるため、ギリアへと訪れた姫様はそれ以前の問題に当たってしまった。
ノアサリーナと、自らを比べ、劣等感にさいなまれてしまわれた。
「どうしたものかねぇ」
小気味良い掛け声と共に稽古を続ける白薔薇達から視線を外さずに、ルッカイアが呟く。
「難しい。姫様が驚かれたのもわかりはする。確かにノアサリーナは異常だ」
「予想外に優秀な子だよ」
「確かに、武術に、魔力の才を始め、知識もあの年にしては異常なほど優れている」
「褒めるんだね」
「優秀なものは、優秀だと認めるよ。私は。だからといって姫様が無能だというつもりもない。才はあり、努力も怠ってはいない」
「やはり、純粋に、教師の差ってことかね」
ルッカイアはわかり切ったように断言した。
ノアサリーナの周りにいるリーダをはじめとする者達。
彼らは、すべからく皆が優秀な教師であった。
南方で名を馳せたハロルド、彼があれほどまでに武術を教えることに長けているとは予想だにしなかった。
音楽、数の学問、観察の方法、文字の読み書き、そして世界を渡り歩いた経験。
ノアサリーナは周りの教師陣に鍛えられ、同年代はおろか年上である姫様さえ恐怖する力をつけている。
魔力だけであれば呪い子だからという一言で足りる。
だが、そうではない。
教育の力。才を伸ばす術。それがノアサリーナを作りあげている。
充実した教育をあそこまで施されていると、人はあれほどまで成長するのかと驚きを禁じ得ない。
いや、違う。正直なところ、わけが分からない。リーダ達はノアサリーナをどうしたいのだろうか。
どのような存在になってもらいたいと望んでいるのだろうか。
本当にわけがわからない。
あれほどの教師陣に学ぶことができる者は、帝国であってもいないだろう。
とはいえ姫様にはそれが見えてはいない。
ただ自らの不足を恥じるばかりで見えてはいない。
「困ったことだ」
ようやく絞り出した私の言葉に、ルッカイアが頷く。
このままでは姫様が駄目になってしまう。だからといって帝国に戻ることは許されない。
ただのわがままで、陛下が姫様の行動を許したわけではないのだ。
我々をつけたことからも、ノアサリーナ達を観察せよと言外に陛下は伝えている。
「進退極まれりかねぇ」
ルッカイアが再びため息をついたところで、ノアサリーナの屋敷から出てくる人影を見つけた。
「おや、キンダッタ殿。それに、チッキー」
私よりも一瞬だけ先に、人影を見つけたルッカイアが声を上げた。
「タハミネ様、ルッカイア様!」
「これはこれは、ルッカイア様にタハミネ様」
ノアサリーナの下僕であるチッキーがこちらへと駆けてくる。
そういえばノアサリーナ達は少し前から不在だったな。
何処へいったのやら。
「おや、ノアサリーナ様が戻られたのかい?」
「違う……いや違います。海亀におやつをあげてきました」
「へぇ」
「キンダッタ様が、海藻をくださいました」
チッキーの言葉に、レオパテラ獣王国のキンダッタが頷く。
彼はノアサリーナ達にとても信頼されている。自らの下僕を託されるほどの信頼だ。
南方の者特有のくだけた調子が、ノアサリーナ達の信頼を勝ち取ったのかもしれない。
だからといって、真似はしないが。
「ん?」
その直後だった。
キンダッタが、抱えていた籠を地面に置くと、喉を鳴らし一方を睨みつけた。
何かが向かってきていた。
人間では無い。
死体?
アンデッドか。
いや何かが違う。それは命の気配を感じさせない何かだった。
強いて言えば人の形をした人形。
もしくは手入れのされた死体。
「……だけが生き残ってしまった。もう、王に……顔向けできぬ。せめて、奴らに苦痛を、心に傷を付けねば……」
まるで耳元に囁くように声が聞こえた。
目の前の人形の唇が少しだけ遅れて動く。
喋ってる真似事か、何をぶつぶつと。
「逃げるですゾ!」
キンダッタがチッキーに向かってノアサリーナ達の屋敷を指差し叫んだ。
彼は人形に向かい剣を構える。
次の瞬間、白薔薇の一人が血を吐き倒れた。
「チィ!」
ルッカイアが舌打ちし、人形へと向かっていく。
だが一歩遅い。
彼女の剣が空を切り、また別の白薔薇が血を吐いて倒れた。
あの人形、速い。
すぐさま、腕輪の1つを引きちぎり魔導具を発動させる。
腕輪の破壊と同時に、私の前方一帯に変化が生じた。
蜘蛛の巣を模した模様が広がる。踏めば粘着質の糸が絡む、地形変化の魔法が展開されたのだ。
「甘い」
再び声が聞こえた。
魔導具は通じていなかった。
そして、さらに一人の白薔薇が首筋から血を吹き出した。
また白薔薇?
人形はルッカイアを無視して、白薔薇を狙っていた。
違う。
次々と倒れる白薔薇の位置関係から、こちらに向かってきていることを推察する。
加えて、人形が口にした言葉……奴らという言葉の意味。
「奴らというのはノアサリーナか」
「……の、様だねぇ」
私の独り言にルッカイアが反応し、側へとやって来た。
彼女に視線を送られた私は、頷き、地面に魔道書を叩きつけ、援護を開始する。
魔道書は私の意図したページを開く。杖先を本に記された魔法陣へとつけて詠唱を始める。
「守りに徹しな!」
ルッカイアは私を見ることなく、白薔薇達に号令を出す。
『ドッ、ドッ』
底の見えない異常事態に、鼓動が早まる。
人形の出現から、いまだ私の心臓は8回しか鼓動していない。一瞬の間だ。
チッキーを逃がすにしても、時間は必要になる。
『パァン』
何かが弾ける音がした。
やはり狙いはチッキーか。
彼女はただの奴隷ではない。ノアサリーナの信頼する者だ。我らがいて、彼女を失ったとあれば、ノアサリーナ達との友好関係にヒビが入る。現状において、避けねばならないことだ。
そしてキンダッタが、人形と剣を交えていた。
異様な速度。接近する奴を、目で追えなかった。
人形が緑に染まっていた。
腐食性のある液体のようで、食い込むように人形の服を傷つけていた。
あの獣人キンダッタ、金獅子とかいう称号持ちだったか……予想外に優秀。
人形と剣を交えつつ、何かの魔導具を作動させたようだ。
「邪魔だ」
耳元で声が聞こえた。剣の勝負に競り負けたキンダッタは、人形に蹴り飛ばされていた。
「こんの卑怯者がぁ」
ルッカイアが人形とチッキーの間に割り込み剣を振るう。
直後、私の魔法は完成し、ルッカイアの力を強化する。
『キン』
小さく鋭い音を響かせ、人形の剣は止まる。
続けて、キンキンという剣撃の音が続く。
信じられない事に、強化したルッカイアと人形は互角だった。
「チィッ」
ルッカイアが舌打ちする。互角では無かった。彼女は競り負けていた。
一体、あの人形は何なのだ。
そして、人形がチッキーに襲いかかる。
『ガァン』
再び、剣と剣がぶつかる音が響いた。
ゼェゼェと荒く息をした男が、人形の剣を受け止めていた。
「いやはや。勘弁してほしいものです。また貴方ですか」
人形の攻撃を払いつつ男がぼやくように言った。
「サイルマーヤか!」
「えぇ。お久しぶりです……いや、ノアサリーナ様が、そろそろ戻られているかなと、様子を見に来たら……おっと」
ルッカイアの問いに、荒く息をしつつ男……かって八葉だったサイルマーヤが言う。
確か、今は、神官だったか。その才は未だ衰えてはいないようだ。
「卑怯というなよ」
薬で傷を癒やしたルッカイアが、サイルマーヤに加勢する。
これほどの使い手2人だ。さしもの人形も、動けまい。
「剣聖である私が見くびられたものだ」
しかし、人形はさらに上手だった。
再び耳元で声が聞こえ、それと同時、人形が片手をチッキーへと向けた。
人形の袖元から、短剣が射出され、チッキーに襲いかかる。
屋敷の門へと走って行くチッキーからは、短剣が見えていない。
『カァン』
渇いた音がして、短剣が地面に落ちる。
何も遮る物がなかったはずの短剣は、突如出現した半身半馬の騎士に当たり、チッキーには当たらなかった。
黄金の鎧に身を包んだ、半身半馬……ケンタウロスの騎士。
あれは黄金兵団の魔法。
「姫様!」
あれらは、姫様の秘術によって作られたものだ。
少し離れた場所に、姫様がいた。チッキーと人形の間に立つケンタウロスの騎士と同じ騎士に、横乗りになり、黄金の鎧で身を包み、黄金の扇で口元を隠した姫様がいた。
「剣聖とは面白い冗談ですこと」
戦うルッカイア達へ、静かに近づいた姫様は、人形を見下ろし冷たく言い放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます