第677話 あくむのなかで

 気がつけばオレは椅子に座っていた。

 目の前にあるテーブルに、お茶の入った白い陶器のカップが置いてある。

 ほんのりと紅茶に似た香りが漂っていた。

 そして、小さく円形をしたテーブルの向かい側には、男が座っていた。

 彼の背後には軍隊が整列している様子が見えた。

 オレ達と軍隊との距離は随分と離れていて、青々とした平原が広がっていた。

 目の前に座る男に視線を移す。

 男の着ている服は、まるでビジネススーツのようだ。スーツの上からコートを羽織っていてコートにはたくさんの貴金属で出来たバッチをつけていた。以前見た映画で、お偉い軍人の人が勲章をたくさん身につけた格好で出ていたが、目の前に座る彼の服装はまさしくそれだった。

 まるで髪自体が光っているように煌めく金の髪をした男だった。

 鋭い目つきに整った顔立ちをしている。

 男はやや視線を落とし手のひらに、羽ペンで何かを書いている途中だった。


「何をされているので?」


 意思とは反して、唐突にオレはそう声を出していた。

 声はしわがれた老人のものだった。


「ちょっとした余興です。お気になさらず……ところで満足されましたかウルクフラ?」


 男は微笑み、オレのことをウルクフラと呼んだ。


「お気遣いありがとう。言うまでもなく私は信じている」


 再びオレは決められた台詞のように声を発していた。

 そして、直後あたりの風景が変わった。

 軍隊とオレ達を隔てるように壁が現れた。それは震えるようにはためく黄土色の布だった。よく見るとオレともう1人の男はテントの中にいた。


 いや……そうではない。

 透明になっていたテントが見えるようになっただけのようだ。

 そして男とオレは話を始めた。

 オレの意思など関係なく、専門的な話を目の前に座る男としていた。

 しばらく時間が経って、ようやくオレはこれが夢であると気がついた。

 空気の匂いも、喉の渇きも、しっかりと把握できる恐ろしくリアルな夢だ。

 オレはウルクフラの立場になって夢を見ているらしい。

 そして目の前の男は、モルススの王ス・スだという。

 なぜこうなったのかはわからない。

 何か大事なことを思い出さなくてはならないのだが、どうしても思い出せなかった。

 目の前で繰り広げられているリアルな夢が、オレに正常な思考をさせまいとしていた。

 会話は延々と続いた。

 話は今行われている戦争を止めようという内容だった。

 つまりは休戦のための交渉。

 話が進むにつれて、この交渉は無駄なものになるとわかってきた。

 モルススは世界に病原菌をばらまいていることを認めず、進軍を止める気も無い。

 ス・スには戦争を止めるつもりは全くないことが分かった。

 それと同時にウルクフラが苛立っていることも感じ取れた。


「ところでウルクフラ。余が認めたただ一人の天才。余は神になりたい」


 そして唐突に、ス・スは今までの話をぶった切って、急にこんなことを言い出した。


「ス・ス王は神をめざすと?」

「そう。神に……いや違う、神々を跪かせる偉大な存在になりたいのだ」


 ス・スの独白に、ウルクフラが混乱していることが分かった。

 それからス・スは、袖口から剣を引き抜くようにして取り出し、自分の背後へと投げ捨てた。


『ガッ』


 小さな音をたて、剣は地面に突き刺さる。


「なにを?」

「いや。ちょっとした余興だよ。今回は……こちらではないか。では、こちらかな」


 いきなりの奇行に困惑した声を上げたウルクフラに対し、ス・スがにこやかに笑う答えると、先ほどと同じように袖口からもう一本短剣を取り出し、再び背後に投げ捨てる。

 回転しながら弧を描き落下する短剣。

 それは、1本目と同じように地面に突き刺さるかと思った。

 ところがそうはならなかった。

 次の瞬間、テントが切り裂かれ外から人が乱入してきたのだ。

 犬? いや狼の獣人だ。

 ス・スを狙っている。

 一目でわかった。その血走った目はス・スをとらえ、手には赤黒く光を放つ剣が握られていた。

 そして、ス・スが投げた短剣は、乱入してきた狼の獣人に突き刺さった。

 まるで熱したナイフをバターへ落としたように、ス・スの投げた短剣は、スッと音も無く狼の獣人を貫いた。

 ス・スはちらりと倒れた獣人を見ると、こちらに視線を戻した。


「大体だ……4回のうち3回は、あちらの方から入ってくる。今回は珍しいケースだったというわけだ」

「知っていたのか?」

「憶えていたというのが正しいか。もちろん、ウルクフラ、貴方とそこに倒れた者が関係ないことは確信しているので、心配しなくていい」


 そこまでいって、ス・スはテーブルに両手をついて、こちらに向かって身を乗り出した。

 そして、さらに演説するかのような口調で言葉を続ける。


「人は、絶望することで、闇を見る。昼間に闇をみて、彷徨う。ここで話をすることは、必要なのだ。お前の運命を変えるために……な。味気のないこの世にあって、余と匹敵する天才である賢人ウルクフラよ。お前が、余のために、狂い躍るために、この場が!」


 吐息でさえ感じられるほど近くまで、顔を近づけての独白。

 彼の瞳に狂気が見えた。


「なれば私も憶えておこう、ス・スよ。魂に刻み、いずれ来たる勝利のために」


 対してウルクフラは、ス・スの言葉に気圧されることなく、同じくらい力強く答えていた。

 そして、風景が変わる。

 今度は暗い部屋にオレはいた。

 屋敷の地下室だ。視界に広がる魔法陣をみて、そう判断した。

 魔法陣は淡く青く輝いていた。

 オレは自分の両手を見ていた。それは自分の手ではなかった。獣人の手でもない、人の手だった。

 突如、真っ暗になった。それは両手で目頭を押さえたことによるものだと、遅れて気がついた。


「記憶が、怒りが、消えて……クタに転生して……これか。これは神すら……利用……罰なのか。皆を見捨てて……それでも、私は……病の霧あふれる世界で……」


 嗚咽混じりの声が聞こえた。若い男の声だった。

 それはオレが見ている人物の声で間違いなかった。

 頬をつたう冷たい涙の感触が、ただただ悲しかった。

 よくわからない中、オレは泣いていた。


「いやだ! いやだ! リーダと一緒に、ずっと過ごすんだ! 楽しい物をみて、美味しいものを、リーダと食べるんだ!」


 そんななか、ノアの絶叫が聞こえた。


「ノア!」


 ハッと我にかえる。

 どうして、こんな大事なことを忘れていたのかと、自分に小さな怒りを覚えた。

 ノアや皆のことを忘れるなんて……。

 今の状況は?

 足下を見ると、細く白いトゲのついた茨が足にからまっている。

 ずっとずっと先から茨は伸びて、オレの足に絡みついていた。

 なんとなく、茨の先にノアがいると思った。

 先程の状況も気になるが、まずはノアや皆だ。オレは首をふり、気持ちを切り替えることにした。

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