第573話 すすけたもくへん
黒本エニエルは真っ黒な表紙が目立つ本だった。
鈍く金色に光る金属製の縁取りがある。
そんな金属製の縁取りに手を添え、ヒンヤリとした金属の冷たさを感じつつ、ゆっくりと開く。
ガリリっと金属の擦れる音がした。
最初のページを見ると、魔法作用の分解から見る究極化についての観察と考察……と記してあった。
ウルクフラ、そしてエンタイオという二人の共著らしい。
「あれ」
本が少し盛り上がっている。何かが挟まっているようだ。
思い切り本を広げ、間に挟まっているものを取り出す。
それは、手のひらサイズの長方形をした煤けた木片だった。
表には文字が、裏側には魔法陣が書いてあった。
「写本は我が手に。汝、写本を望むのであればこの木片を折るべし。後ほど使いの者を遣わす」
小さく呟くように読んでみる。
木片自体は、火で炙ったように焦げている。だが、文字の状態から見て、最近書かれた物のようだ。
写本を持っている……か。
それが本当であれば、この場で写本ができないという今の問題は解決する。
だが差出人は書いていない。怪しいと言えばとても安い。
「んまっ。いつまでぐずぐずしていらっしゃるの」
木片の手に、しばらく考えていると責めるような声が聞こえた。
後ろで、オレの動向を見ていた大教授コウオルだ。
彼女が、キンキンと耳に障る声で言っているのだ。
いや早すぎるだろ。どんだけせっかちなんだ。
「申し訳ありません。せっかくですの、もう少し見ておきたいのですが……」
「読めない本をいつまでも見ては眺めていらっしゃっても何の役にも立ちませんでしょ。そういうのは時間の無駄というのです。人の時間は有限。なればこそ無駄を省き効率よく動くべきなのですよ」
振り返って言ったオレのちょっとした反論に、超早口でまくしたてられる。
コウオルは、ジッとオレを見ていた。
読めない本を長々と眺めるのは無駄……言われればそうかもしれないが、だからといってそんなに急かさなくても。
本に改めて目を移しパラパラとめくってみる。
ページ数こそ少ないものの、小さい文字でびっしりと書いてある本だ。魔法陣がたくさん書いてあり、他にも数式がいくつも書いてある。この場で概略を把握しろというのも難しい。
確か、数式は触媒関係を導き出す式だよな。
数式については大学で少し習った。
もっとも、難しくて理解は出来ていない。
このあたりの難解な分野は、カガミとサムソンに丸投げしている。
『カッ、カッ……カッカッ』
背後から音がする。
何の音だろうと振り向くと、苛ついたコウオルが、ハイヒールのかかとで床を叩く音だった。
彼女はどこからか椅子を持ってきていた。
それに腰掛け、身を乗り出すように前屈みした姿勢で、こちらを睨んでいた。
怖い怖い。
しょうがない。この場での読むのは諦めて、木片の事は帰って皆と相談しよう。
そう思い、木片を手に真理の間を後にした。
儀式が終わった後は、まっすぐ帰宅。
オレの帰宅を待っていた皆の前で、顛末を報告する。
卒業の儀式、そしてこの木片について説明をする。
「それが、その木片か」
オレの話を聞いて、サムソンが木片を興味深そうに眺め、ポツリと呟いた。
「それにしても、監視付きだと思いませんでした」
「そうなんだよな。その上なんか一人すごくせっかちな人がいるし」
「せっかち?」
「そうそう。つばの広いとんがり帽子をかぶった女の先生で……」
「コウオル先生だろ……オレの担当教授だ」
説明しかけた時に、その言葉に被せてサムソンがうんざりとした調子で言った。
「あんなのが担当教授か、サムソンも大変そうだな」
「それでどうするんです」
プレインが木片を指で突きながら聞いてくる。
「一応この木片をへし折ろうかと思ってる」
「迎えが来るって事ですよね」
「あぁ。パッと見た感じ、あの本には魔法の究極について大事なことが書いてある。それは間違いない。だからこそ黒本エニエルの写本が欲しい」
魔法の究極。願いを叶える魔法。オレがこの世界に残り続ける方法として、有望な1つだ。
せっかくチャンスが転がり込んできたのだ、あてにしない手は無い。
「確かにそうです。でもどんな人なんでしょうか?」
「さぁ。この木片の情報しかないからな。詳細はわからないよ。一応警戒して、訪ねてきた人間を見てから判断しようかなと思う。場合によっては条件の話も出てくるだろうしね」
「確かにそうだな」
「でいつ折るの、これ?」
「今日はもう遅いから明日の朝でいいだろ」
「皆がここで待機しておいた方がいいと思います」
「確かにカガミ氏の言う通りだな。俺も明日は学校に行くのはやめよう」
そう話はまとまる。
翌日、朝食を食べた後にポキリと木片をへし折った。
「何にも起きないね」
「あぁ」
何か反応があるのかと警戒していたが、何の反応もない。
そしてその後も特に何も起こらずに一日が過ぎ、夕方になった。
「結局何も起こらなかったっスね」
「明日かな?」
そう言って気を抜いていた時のことだった。
「馬車がぁ、やってくるわ」
外でずっと見張りをしていたロンロが、ふわりと広間に飛び込んでそう言った。
馬車のお出迎えか。
ノアには一旦、隠れてもらう。いざとなったらハロルドの呪いを解いてもらい、援護をお願いするのだ。
オレが先頭。サムソンとミズキがバックアップという形で出迎える。
カガミとノアは玄関そばで待機。プレインは屋根の上で、状況によって弓が撃てるよう警戒態勢をとる。
近づいてくる馬車は、馬車といっても馬が引いているわけではなかった。引いているのはマントを羽織った猿……猿というか、あれはゴリラ。
「あれ、あの人……」
屋根の上から様子を窺っていたプレインが声を上げる。
馬車の御者台に座っていた人に見覚えがあるのだ。
イオタイト。
以前帝国でハロルドを助けてくれたイオタイトだ。
得体の知れない人物。ただハロルドを助けてくれたことから敵ではないと思う。
「やぁやぁ。久しぶり」
馬車は飛行島から少し離れた場所に止まる。
そこからイオタイトが飛び降り、よく通る声をあげた。
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