第540話 しれつなたたかい
「あの何か?」
どうしても気になったので、残念そうな表情をしたボルカウェンに確認してみることにした。
ノアのサインは間違っていない。むしろ、とても丁寧な文字だ。
「いや、聖女の紋章が……」
オレの質問にボルカウェンが苦笑し、何かをごまかすように呟く。
「聖女の紋章?」
「ほら、ノアノアが作った豆判の……」
首をかしげるオレにミズキが体を傾けて、囁き声で教えてくれた。
前に作った芋判ならぬ豆の判子……あれの絵柄。チューリップのやつか。
「申し訳ありません。そうでした。黒いインクとペンがあったので、それだけで済ましてしまいました」
微笑み、影から豆判の入った小箱を取り出す。
こうやってみると、影収納の魔法が持つ物質が大きく劣化しないという効果は便利だ。
元の世界だったら、冷蔵庫に入れたとしてもこんなに長時間もたないだろう。
豆判の入れてある小箱に、一緒に入れていた赤色の絵の具を溶かしてから、豆判をポンと押す。
「おぉ! これが聖女の紋章なのですね」
赤いチューリップの形をした印影を見て、ボルカウェンが笑みを浮かべる。
前の神官達もニッコリと笑っていて、ノアもまんざらではない様子だった。
「えぇ、そうです。もしかして、初めて見られたのですか?」
向こうから言い出したくらいだから、見た事があるのかと思っていた。帝国で、神官達はこれを客寄せに使っていたわけだしな……というより、聖女の紋章と言い出したのは奴らだ。
「大体の形は知っていたのですが……帝都の者達が……聖女の紋章を、その……軽々しく見せることはできないと断ったのです」
は?
あいつら自分達だけで独占していたのか。
勝手に使ったうえに、使用を独占するとは……。神官のくせに。少しだけカチンとくる。
「やはり、信徒獲得の競争は熾烈なのですね」
「そうなのです!」
軽くカマをかけてみたら、思いっきり食いついてきた。
「帝都と、王都の戦い……ですか」
「はい。おっしゃる通り」
神様ごとの戦いかと思っていたが、国単位でも信徒数を競っているのか。
思ったより複雑なのだな。
変なところで感心しているオレをチラリと見て、ボルカウェンは言葉を続ける。
「ところで……我々はこれを使ってもよろしいのでしょうか? いや、もちろん何時までも、というわけではございません。4……いや、3ヶ月ほどでいいのです」
そしてボルカウェンは、ノアのサインにある聖女の印を見て、それからオレに視線を移して聞いてきた。
彼らが使う事については問題が無い。これから護衛などもしてもらうわけだし、立派な本も貰った。しかも、これからも地図の本は追加されると言う。
しかし、帝都の神官が、ボルカウェンに聖女の紋章を見せなかったという話が引っかかる。
使用権まで譲るつもりはない。
「もちろんです。ただし、あくまで紋章はノアサリーナ様のものですので、その点は忘れないでください」
今後の事も考えて、聖女の紋章はノアのものであると宣言しておくことにした。
紋章か……登録とかあるのかな。
この件は、後で同僚達に相談しよう。
それから明日以降のことを話し合う。
明日も、あんな大軍に来てもらっては困るのだ。
「なるほど、リーダ様の考えはよくわかりました」
恐る恐ると切り出した申し出に、ボルカウェンは快く応じてくれた。
明日以降は目立たないように、館の警備と身の回りの護衛をしてくれるという。
ついでに、ピッキー達3人の神官服を借りることにもなった。
「獣人の子達は、神官服を着ておいた方が安全かと愚考します」
人員について詰めていたとき、チェンバレンからあった提案がきっかけだ。
王都において、神官を公衆の面前で狙う者はいないらしい。
「確かに、それは名案。ケルワッル本神殿で修行した者達ですので、今回は特例としてケルワッルの神官服を手配しましょう」
チェンバレンの提案に、ボルカウェンも大きく頷き神官服の手配もしてくれるという。
狙われる可能性が少なければ少ないほど良い。一も二もなく了承をする。
「満額回答だったと思うぞ」
概ね良い話し合いができたこともあって、上機嫌で大神殿を後にすることができた。
「明日はさ、劇場に行ってみない?」
帰りの馬車の中でミズキがそう切り出した。
大神殿を出て、すぐ側に大きな建物がもう一軒あって、劇場だったのだ。
王都にはたくさんの劇場があると、練習中にパッターナも言っていた。
そして、出し物のレベルも高く、世に誇れるものだと。
「そうだな。演劇か」
ミズキの提案に、誰も反対する者はいない。
ということで翌日、街へと繰り出す。
聖光騎士団の人達は、少し距離をとって影からオレ達を見守ってくれる手はずだ。
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