第515話 こくほんウレンテ

「待つですゾ」


 唸り声を上げてオレ達に向かってきた虎が、今にも飛びかかろうとした時、声がした。

 声を上げたのはキンダッタだ。

 生肉の入った籠を持ってトコトコと歩いて来る。


「びっくりしたよ」

「ふむ。こやつですか。この屋敷の周りは、斜面のきつい山も多いので、念のために騎獣を、取り寄せたのですゾ」


 キンダッタは、虎の喉を撫でながら、後を振り返りのんびりと言った。

 ゴロゴロと気持ち良さそうな鳴き声をあげているところを見ると、人には慣れているようだ。

 もっとも相手は虎だ。巨大な肉食獣はやっぱり怖い。


「なんだか可愛いっスよね」


 ところが、怖いと思っているのはオレだけのようで、他のやつらはそうでもなかった。

 こいつら感覚が麻痺しているよな。


「虎だぞ。虎」

「うーん。まぁ、もっと怖い生き物沢山いるじゃん」


 ミズキも虎の背を撫でて笑う。

 正気か?

 虎といえば、檻の中にいるのが分かっていても怖い動物ナンバーワンじゃないか。

 信じられない。


「ところで、皆様、おそろいで何かあったのですかな?」

「フィグトリカ様に、少しご相談したいことがあってお伺いしました」

「あいわかりましたゾ。ワタクシが呼んで参りますので、しばしお待ちを」


 キンダッタは、案外簡単に承諾してくれた。

 虎はキンダッタについてトコトコと離れていったので一安心だ。

 それにしても、虎を放し飼いか。


「まぁまぁ、あらあら」


 そして、キンダッタと入れ違いに来たのは、エスメラーニャだ。

 沢山のメイド猫を連れて近づいてくる。


「こんにちは、エスメラーニャ様」

「ようこそ。ノアサリーナ様」


 ノアが先頭に立ち、ちょこんとお辞儀すると、手に持った扇をバッと広げて応じた。


「急にお伺いしてしまいました。ご迷惑でした……でしょうか?」

「いえいえ。とんでもございませんわ。すぐに支度をさせますので」


 エスメラーニャが扇をパチパチと開閉させると、即座に後で控えていたメイドの格好をした猫集団が、動き出す。

 オレンジ色の絨毯がフワリと広げられ、椅子にテーブル。そして巨大なパラソル。壺に、薪をぶち込み、火をつけて……と、あっという間にお茶会の支度が進む。

 キンダッタに連れられて、ノソノソとフィグトリカが近づいてくる頃には、お茶会の準備がすっかり整ってしまった。


「ノアサリーナ様」


 準備が終わり、チェックを終えたエスメラーニャがノアを呼ぶ。

 お茶会の椅子は2つ。エスメラーニャとノア用なのだろう。


「では、給仕に行ってきます」


 そして給仕にはカガミとミズキ、そしてチッキー。

 チッキーはともかく、カガミとミズキは、メイド猫がちょこまか動く姿に見とれていたので、ノアの給仕をしっかりやるか不安だ。

 サムソンとプレイン、そしてオレが、フィグトリカと話をすることになった。

 ノアと違って、門の前で立ち話だ。年末の冷気がわりと辛い。


「ふむ、魔法の知識か」

「はい。はい、古い資料を探しています。どこかそのような資料が充実している場所などをご存じであればと……」

「それほどの力を持ちながら、さらなる高みを目指すか」

「魔法の知識に関することが記載された古い本を探しています。ご存じありませんか?」


 オレの質問に、サムソンが追加するように質問を重ねる。


「そうよな。お前達のお眼鏡に適うもの……そうそうあるまいて」

「フィグトリカ様は、ヨラン王国の事も知っていますですゾ」

「多少……ではあるがな。そうよな、例えばヨラン王国で、一番魔法の知識を貯め込んでいるのは、スプリキト魔法大学であろうな」


 そういえば随分前にそんな名前を聞いたことがあるな。

 どこでだっけ。

 そうだ。ヘイネルさんが言っていた。それと、誰かがスプリキト魔法大学の生徒だとか何だか言っていたな。


「スプリキト魔法大学ですか。なるほど」

「他では、イフェメト中央図書館。帝国の帝都にある巨大な塔だ。建国以来あらゆる知識に係る書物を取り揃えていると聞く」

「帝国、しかも帝都ですか……」


 帰って来たばかりだ。ダメ元で、クシュハヤートあたりに頼んでみてもいいかもしれない。ナセルディオをぶん殴った手前、なかなか頼みにくいけれど。


「南方には、ベヘヘバーケン。南方の洋上に浮かぶ書物あふれる聖地がある」

「聖地……ですか?」

「書物と氷を司るツネッケア神の聖地ですゾ」


 ツネッケア神……か、初めて聞く神様だ。あの行進にも居たのかな。

 ワウワルフとか有名な神官に遠慮して、無名な神官は距離をとっていたからな。

 あの有名人集団に、気兼ねなく入っていけるサイルマーヤとか言う人は凄い。そんな事を言われていたのを見かけたことがある。


「それに、魔法といえばグラムバウム魔法王国もあるな」

「魔法王国ですか?」


 その名前の響きからか、サムソンが興味深そうにフィグトリカへ尋ねる。


「世界で最も魔法が進歩している国だ。1年の半分が雪に閉ざされる最も北方にある大国。グラムバウム魔法王国については、あまり知らぬ……だが魔法の知識について、研鑽といえば外せぬであろう。これくらいか」

「なるほど、今の三つですね」


 王様の褒美でまかなえそうなのは、スプリキト魔法大学か。そこの資料の閲覧権限を下さいとお願いできればベストだ。ヨラン王国は世界でも1・2を争う大国だという。資料の質と量、そのどちらにも期待はできる。


「あぁ、そうそう」


 有望な手がかりを得ることができたと、喜んでいると、フィグトリカが何かを思い出したように声を上げた。


「他にも何か?」

「魔法の知識。しかも、お前達のお眼鏡に適いそうなものが、もう一つあったわ」

「それは?」

「禁書。例えば黒本ウレンテ」

「こくほん、うれんて?」

「ワシが知るだけでも、この世界には、歴史でも綴られておらぬほど過去から存在する書物が4冊ある。誰にも読めぬ書。そのうちの一冊が、少なくとも高度な魔法に関する本だ」

「それおかしいですゾ」


 フィグトリカが断言した言葉に、キンダッタが首を傾げる。


「何がおかしいんだ?」

「誰も読めない本なのに、魔法に関する本だとわかるのが、おかしいと思ったのですゾ」


 そういえば、そうだな。

 言われてみると、もっともな突っ込みだ。


「読む方法ならあるのだ。キンダッタよ。万写の眼……つまり万写眼の魔法を使えばいい」

「ばんしゃの……め? ワタクシ、初めて聞きましたゾ」

「万写の眼……とは神の眼のことだ。その眼は、文字という文字、その全ての意味を写し取り真実を知らしめるという。そして、その万写の力を自らの眼に宿す魔法を万写眼の魔法という」

「そんな魔法があるとは初耳ですゾ」

「それはな、親類の両手と両目を触媒とする禁呪だからだ。太陽が最も高く昇った時のみ使用可能な魔法で、日が沈むまでの間、この世、全ての文字を読み、書き記すことができるようになる。まるで、常日頃より使っている文字のようにな」


 ちらりとサムソンがオレを見る。言いたい事はわかる。オレ達の状態だ。

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