第503話 閑話 舞踏会の夜は明けて

 ――帝国は狂っている。

 ――暴走し、増長し、帝国の秘術により存在感を増すナセルディオによって。

 ――帝国の貴女は恋をする。

 ――他者を物言う駒としてしか見ないナセルディオに。

 ――過去から未来、全てを網羅する預言書によって祝福されるナセルディオは、帝国の主にならんとしている。

 ――やがて、皆で、まとまり、狂い踊るしかないだろう。


「どうかなされましたか?」

「いや。以前、皮肉屋の叔母上が詠った言葉を思い出しただけだ。すまない、皆の話を聞きそびれていた」


 まるで急に声をかけられたかのように、第一皇子クシュハヤートは苦笑する。


「ムジターン。もう1度報告を」


 その言葉を受けて、クシュハヤートの後に控えていた彼の腹心ジャファニカがテーブルに着いた面々に報告を促した。

 ここは、第一皇子クシュハヤートの宮殿にある一室。

 昨日の出来事に関する各種報告を行う会議の場だった。

 高い日差しが降り注ぐ室内に、クシュハヤートの配下が集う。


 出来事。


 舞踏会に、ノアサリーナとリーダが乗り込み、第三皇子ナセルディオを殴りつけ、逃げおおせた一件。

 その報告に関する会議の場だった。


「はい。ジャファニカ様。ノアサリーナ……様の、発言でございますが、信憑性は高いと思われます」


 ムジターンと呼ばれた男がゆっくりと立ち上がり発言する。

 猫背のまま、カサカサと前に置いてある紙束をめくりながら。


「黒の滴はリーダが倒したと言った事だな。根拠は?」

「フェズルード領主より報告が上がっておりました。黒の滴が奇妙な形で収束したと」

「そのような報告があがっておったか」

「はい。ソヘイレム様。南方にある帝国領……フェズルードにて、黒の滴が犠牲者なく収束したと情報が上がっていました。それも随分前です。そして、その場に、ノアサリーナが居合わせた可能性が高くございます」

「様をつけてください。ムジターン。クシュハヤート皇子と約束をした方です。敬意を」

「以後、気をつけます」


 静かに目を伏せたまま苦言を呈したジャファニカに、ムジターンは立ち上がりお辞儀する。


「ジャファニカ殿は厳しいな。皆、気をつけているよって」


 ゆっくりと座り直したムジターンを慰めるように、騎士姿のソヘイレムが笑った。


「今後の事もあります。我らは聖女としてノアサリーナ様をないがしろにしないと、その態度は重要です」


 少しだけ眉根を寄せて、ジャファニカは、冗談っぽく笑ったソヘイレムに言い返す。


「すまんすまん。それにしても、黒の滴が……廃されたとはな。ノアサリーナ様は、黒の滴を始末する手段を持っていたから、予言に対する罰を恐れなかったということか」


 ジャファニカの苦々しい顔を見てなお笑顔のソヘイレムは、伸びをするように、椅子の背もたれに体をあずけ上を見た。

 お手上げとばかりに片手を少しだけあげ、言葉を続ける。


「ところでジャファニカ殿。宮中はどうだ? あれから変わりは?」

「ナセルディオ様の影響力は違う意味で残っています」

「違う意味ですか?」

「えぇ。ムジターン。あれだけナセルディオ様に好意的だった者達が、処刑の望みを口にしていました」

「皇帝に推す言葉から一転、処刑か……」

「長期間にわたる魅了の反動だろう。好意は、憎悪に。無理矢理に作られた好意に抵抗するように育まれた憎悪のみが残ったのだ」


 その場にいる多くの者が言葉を失う中、クシュハヤートがなんでもないかのように即答する。

 それからグラスに入った水を一飲みすると、空のグラスをフラフラとジャファニカに向け振った。

 側に控えていた部屋付きの者に、ジャファニカはグラスを任せなかった。

 彼はクシュハヤートからグラスを受け取り、水を注ぎつつ声をあげる。


「ナセルディオ様が秘術を解いた姿を見ていませんので、そこまで想像が及びませんでした」

「そうだな。秘術に溺れた者の末路だ」


 その言葉に、クシュハヤートは独り言のように応える。


「ナセルディオ様については、今しばらく結論はだせませぬな」

「あぁ、カンヤイム老の言われる通りだ」

「して、ソヘイレム様の方については?」

「んん? ムジターン様を始め、第二皇子陣営の方々は、協力的だな」

「それは上々」

「カンヤイム老の方は、どうだ? たったの一晩では、結論は出ぬか?」

「いえ。あの光り輝く島……あれは、石の靴に相違ありませぬな」

「そうか。我らが受け取るはずだったが、受け取れぬか」

「それから、皇子。皆に伝えたい事があります。預言書を見せていただけませぬか?」


 ゆっくりとソヘイレムに頷いた後、カンヤイムはかすれた声をあげ、クシュハヤートへと顔を向けた。

 預言書という言葉に、部屋の一同に緊張が走る。


「右手に正しき道を示す書を」


 クシュハヤートが右手を掲げ口ずさむと、その手に真っ白い本が出現する。

 それをテーブルに置くと、テーブルの上を滑らすようにカンヤイムに投げ渡した。


「ありがとうございます。して、これは……どちらの側で?」

「それは、書き換わらぬ方だ。だが、今朝ほど見たところ記述は同じだった」

「左様ですか。書き換わる方は……」

「このような場で出せぬ。あれは……何か、そう……見つめられているように感じ、不安だ」

「かしこまりました」


 静かに頭を下げたカンヤイムが、しわがれた指でパラパラと本をめくり、1つのページを指し示した。


「これは……石の靴についての記述ですか」


 開いたページを覗き込み、普段は猫背の姿勢を伸ばしムジターンが読み上げた。


 ――天に近づく石の靴。

 ――魔の主へ進む、ただ一つの正答。

 ――それは、空と地を繋ぐすべ。

 ――それは、過去より繋ぐ、古き塁。

 ――それは、果てより対の乙女がもたらす捧げ物。

 ――人の世にとって、大いなる支え。

 ――人にとっては、得がたき宝。

 ――受け取るべきは、愛をささやく東の知るべき国。


「帝国にとって、大事な予言だな。私でも知っている」


 それに対し、ソヘイレムも大きく頷いた。


「愛をささやく東の知るべき国は、帝国を。体現者はナセルディオであると、あのマハーベハムは言っていた」

「左様、わたくしめも聞きました」

「だが、血塗られた聖女の伴侶として見込まれたナセルディオは、石の靴は受け取れなかったな」

「そうでございます」


 クシュハヤートが確認するように言った言葉に、カンヤイムは頷き、指を一点に這わせた。

 その指先は、対の乙女という文字を指していた。


「ここ……でございます」

「対の乙女?」

「ずっと1つ引っかかりがあったのです。ノアサリーナ様の従者、あの5人の従者のうち、家名を明らかにしている者が2人おります」


 クシュハヤートをはじめ、皆が考えている中、ムジターンが口を開いた。


「カガミ・ネーサン……ミズキ・ネーサン?」

「左様。同じ家名でございます。2人は見た目が正しいならば、年もほぼ同じ、いや同じかと」

「おぉ! 対の乙女、つまり?」

「左様。ソヘイレム様。今回、ノアサリーナ様達は、予言を壊すだけでなく、次に注目すべき予言を暗示するよう動いていたのです」

「そのために、家名を……」


 カンヤイムの言葉に、その場の全員が息を飲んだ。


「さすがでございます。さすがはカンヤイム様」


 ムジターンが立ち上がり恭しく頭を下げる。その様子をみて、ソヘイレムも大きく頷いた。


「よくやった。カンヤイム。預言書を預ける、しばらく対の乙女について調べよ」


 クシュハヤートもまた、カンヤイムの発見に息をのみ、声をかける。


「承りました」


 両手で掲げるように預言書を手に取ったカンヤイムに、満足したようにクシュハヤートは頷く。

 そして、席を立ち、その場の全員を見渡した。


「帝国を二分していた2つの考え、崩れつつある予言に従うか否か。それは、予言の体現者ナセルディオと、予言の破壊者ノアサリーナの直接対決により決着がついた。結果、予言に従わない方に大きく帝国は傾くだろう。そして、その新しい帝国には、このクシュハヤートこそがふさわしい。皆には、より一層の働きを期待する」


 クシュハヤートの宣言するかのような言葉に、場にいた全員が頷いた。

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