第446話 閑話 微笑む勝者

 タイウァス神の聖地タイアトラープ。

 ノアサリーナを先頭に行進が再開され、静かになったその土地は、数日後、再び喧噪を取り戻していた。

 町中にもかかわらず、数多くのテントが張られているのは、ひときわ大きな館の前。

 ほんの数日前まで、ノアサリーナが滞在していた館。

 そこには現在、第1皇子クシュハヤートが逗留していた。


「マスムーファ様より、次のリストを預かりたいとのことです」

「ソヘイレム。お前に任せる、明日までに転記を終えよ」

「はっ」


 クシュハヤートは急ぎ用意した巨大なテーブルを前に、数多くの臣下に指示を出していた。

 彼の様子に、数日前の凜々しさはすでになく、まるで敗戦の将とも見えるやつれた姿だった。


「あぁ、ソヘイレム! もう一つ、他派閥の者には、民衆の護衛をさせるため、打ち合わせを指示しておけ」

「ははっ」


 ソヘイレムと呼ばれた騎士が、執務室となっている大広間から出て行くのを見届け、クシュハヤートは椅子に腰掛け天井を見上げ、溜め息をついた。


「少しお休みになっては?」


 そこに1人の男が、お茶をもって近づき声をかけた。


「あと少しだけ進める。それにしても、どうやって5人で管理していたのだ」

「さぁ。私にはなんとも……」

「エルフであるジャファニカにも見当がつかぬか」

「申し訳ありません。あのリストの作りから見て、何らかの魔法によるものであるとは考えておりますが……」

「おそらくな……だが、ここまで忙しくなるとは。命令書を積み上げるだけで、私の背丈を超えそうだ」


 お茶を一気に飲み干し、クシュハヤートは大きく溜め息をついた。

 彼の目線には、山積みになった書類の束がある。


「ですが、これで優位に立てました。賭けには勝ちましたな」

「賭け?」

「ノアサリーナが、民衆に何を約束したのかわからない状況で、約束を守るといったこと……で、ございます」

「あぁ。あれは賭けではない。勝算は、これだ」


 小さく笑ったクシュハヤートは、側にあった紙片を取り出し、スッと前へと置いた。


「これは?」

「マークシートと彼女らが呼んでいた物だ」

「手のひらほどの大きさの紙……この四角、塗りつぶされたものと、四角い印だけのものがありますな」

「無制限な約束をしたのではない。印をつけるという仕組み上、選択肢は限られていたのだ」

「なるほど。ノアサリーナはもともと守れる約束しかするつもりがなかった」

「気がついたのは、そこのムジターンではあるが」


 クシュハヤートはテーブルの端についていた、猫背の男に顔を向ける。


「いえ。皇子が進言を受け入れ、私に分析を任せていただけた故でございます」


 名前を呼ばれ、男はスッと立ち上がり、芝居がかったお辞儀をした。


「気がついていたからこそ、即答できた。それにしても、このリストは予想以上の出来だ」

「左様ですな。この先、これは大きな武器となりましょう」

「もっとも、ノアサリーナも同じ物……もしくはこれより正確なものをもっているでしょうが……」


 猫背の男……ムジターンが苦笑しつつ言葉を挟む。


「他の皇子に先んじて手に入っただけで良い。だが、1つ疑問がある」

「それは?」

「皇子の疑問とは、いかなことでしょうか?」

「なぜ、出身地をのせた。なぜ、出身地を聞いている? 理由がわからない。細部に至るまで抜け目が無い奴らのことだ。何か意味がある。意味があるはずだ」

「生まれですか?」

「えぇ。ジャファニカ様。このマークシートなるもので、出身地を聞いているのでございます。帝国西部のいずれかか、もしくは別の場所か、選択肢は少ないようですが必ず答えるようになっていました」


 マークシートを手に取り、食い入るように見つめるジャファニカに対し、ムジターンが補足するように説明する。


「確かに……出身地、何に利用できましょう?」


 テーブルについた皇子の配下が小声で議論を交わす。

 その様子を少しだけクシュハヤートは見た後、天井を見上げ物思いにふける。

 そんな時間がしばらく続いていたとき、テーブルについていた1人の老人が立ち上がった。


「貴族であれば名前で所属がわかる。民衆は……そういうことか、そういうことなのか」

「どうしたカンヤイム?」

「例えば、これだ。エクサイーンから行進に参加し、タイアトラープに行きたいとある。

これも、これもだ」

「それでは、わからぬ。落ち着いて説明してくれぬか、カンヤイムよ」


 立ち上がり周りの注目を集めつつまくしたてるヒゲの長い老人を、クシュハヤートがたしなめる。

 その言葉を聞いて、ハッと我に返ったカンヤイムと呼ばれた老人は、小さく咳払いをした。


「たしかに、さようでございますな、出身地を聞いた理由……おそらくは出身地に戻りたい人間と、戻りたく無い人間の割合を測りたかったのではないかと愚考します」

「つまり?」

「はい。こちら、エクサイーン領から行進に参加したこの者は、聖地タイアトラープに留まりたいと希望しております。つまりエクサイーンに戻りたくない、とも読めます」

「つづけろ」

「出身地に帰りたい者と、帰りたくない者。それらを比べることで、領地運営の手腕を測っていたのではないかと。つまりはそういうことでございます」


 その場にいた全員がカンヤイムの老練な思考に感服し頷く。

 1人、額にしわを濃くしたクシュハヤートを残して。


「エクサイーンはナセルディオ派。領地が……」

「皇子? どうなされましたか?」

「あぁ。ジャファニカ。これは、ノアサリーナから我らへのメッセージではないか。民衆を見ろと」

「道理としてはとおっておりますな」

「わざわざ、出身を聞いたことのつじつまもあいます。あいますが……深読みしすぎでは?」

「そうかもしれぬな。だが、ここの民衆をみて思ったのだ。昔と違う」

「昔でございますか?」

「そうだ。ジャファニカよ。査察として所領を訪問したとき、民衆はここまで貧しくなかった、そして笑顔ではなかった」

「貧しくなって、笑顔に?」

「いや、そうではない。次の皇帝を目指すため、政争に明け暮れ帝都にこもっている間に、帝国臣民たる民衆は貧しくなっていた。私は、それに気がつかなかった」

「所領の運営が上手くいっていない? ですが、帝国は益々栄えています」


 わからないと言った様子でジャファニカは首を傾げる。

 彼の長い耳についた耳飾りがチャラリと音を立てて揺れた。

 周りは、彼の耳飾りの音が聞こえるほど静まりかえり、皇子の言葉を待つ。


「ここにくるまで私もそう思っていた。だが、違うのではないか?」

「違いまするか?」


 猫背のムジターンが目を細めてボソリと聞き返し、クシュハヤートは大きく頷く。


「そうだな。帝都に居る者を呼び寄せよ。全力で事にあたる。無論、私もここが解決するまで残る」


 そして決意を語るように、ひときわ大きな声でクシュハヤートは言った。

 直後、テーブルに着いていたクシュハヤートの配下がざわめきだした。

 そして、意を決したように顔に大きな傷をつけた男が立ち上がる。


「それはいけません。今回の一件で、ナセルディオ派に対抗できる武器を手に入れたのです。せっかくの武器も使う者が必要です」

「そうでございます。ここは誰か適当な者に任せ、皇子は戻るべきかと」


 顔に傷がある男に続き、カンヤイムも、席を立ち、老人特有のしわがれた声で同調する。


「だめだ。この物量だ。任せるわけにはいかぬ。むしろ、我らだけでは対応できぬ。人が必要なくらいだ」

「ですが」

「一番大事なのは、約束を守ることだ。帝都などくれてやれ」

「それで、皇子は勝てると? 老い先短い、このカンヤイムめに、夢を見せてくれると?」

「当たり前だ。私は皇帝になるために生きている」

「それを聞いて安心いたしました」

「あぁ」

「今回の勝利に続き、これから先も皇子の判断に従います」


 カンヤイムは大きく頷き、静かに席に座り直した。

 それを見て、テーブルについた全員が落ち着きを取り戻した。


「勝利?」


 だが、クシュハヤートは、彼が最後に言った言葉に眉間の皺を深くする。


「はい。サートゥール大橋における皇子の決断によって、イブーリサウト派も、ディクヒーン派の一部も取り込めました。勝利と言って良いのでは?」

「もし、行進の対応により最も利益を得た者を勝者とするならば、私ではない」

「はて? では誰が?」

「ノアサリーナだ。ここに来るまで、ノアサリーナの評価は分かれていた。帝国を……皇帝をないがしろにする者か、否か。争う姿を見聞きした者も少なくないはずだ。だが、今はどうだ? ノアサリーナを悪し様に罵る者がいるか?」

「そういえば……」

「いませんな」


 ハッと表情を変えたジャファニカに、小さく呟いたカンヤイム。

 その場の誰もが、無言になる。


「先の回答は、ノアサリーナが帝国をないがしろにするどころか、私を通じ、帝国を信頼するという意味を含んでいた。その後の対応も、だ。全てを私に任せるという形をとることで、信頼を行動で示した」

「確かに。結果、ノアサリーナに対する評価は、帝国を信頼する聖女ということになりましたな」

「そういうことだ。私が行進を止めた後、終始微笑んでいたノアサリーナ。あの者が、勝者……ということだ。そして、それをもたらしたのは……いや、いいだろう。まったくもって、世界は広いものだ」

「クシュハヤート皇子……」

「さて、頑張らねばな。私には私の目的がある」


 大きく息を吸ったクシュハヤートは、部屋全体に響く声で、言う。

 さらに、疲労がありありとわかる様子で「ハハッ」と小さく笑った後、言葉を続ける。


「せっかく民衆に、そして諸侯の評価を得る好機だ。失敗はできぬ」

「はっ」


 テーブルを囲む配下が揃って声をあげたのを見て、クシュハヤートの顔から、その日、初めて眉間の皺が消えた。

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