第353話 閑話 キユウニ領主の間にて
その部屋はまるで訓練場のように、質素で訓練用の道具であふれていた。
巨大な石を彫り込んで作られた机がなければ、誰もこの部屋が領主の執務室とは思わないだろう。
天井近くの壁には、肖像画が並べて飾ってあった。
その一番端、そこには、この部屋の主であり領主オラダオーレの顔が描かれていた。
そのような質素な部屋には、3人の男を中心に、彼らの従者が立っていた。
1人は、領主オラダオーレ。
そして、第4騎士団長ディングフレ。
3人目は、キユウニの町にある魔術師ギルドの支部長ボダハン。
夕日が差し込む執務室で、眉間にしわを寄せ神経質そうな青い顔の魔術師ギルド支部長が、領主を見つめる。
見つめられていた領主は右へ左へと、目を閉じうろついていた。
耐えきれないといった様子で、魔術師ギルド支部長が口を開きかけた瞬間、領主は目を開き、低いが良く通る声で、二人へ向かって話しかけた。
「確認するが、今回の騒ぎで、怪我人はいなかったというのだな?」
「左様です。我らが……魔術師ギルドが尽力したこともあり、被害は最小限に留められました」
「うん、なるほどなるほど。大事にならず良かった。実にそう思う。さすが魔術師ギルド」
「いや、滅相もありません」
あまりにも芝居がかった領主の言葉に、魔術師ギルド支部長は苦々しく答えるとどまった。
しかし、ぷるぷると震え握られた拳と、この場にいる2人の男を上目遣いに睨みつける様子は、言葉以上に、彼の心を物語っている。
「今回の、騒動の原因はわかっているのかね?」
そのような魔術師ギルド支部長の様子は、知らぬとばかりに、領主は再び魔術師ギルド支部長に尋ねた。
魔術師ギルド支部長は、その言葉を聞いてしっかりとした表情を取り戻し、恐れながらと話し始めた。
「はい、かの呪い子ノアサリーナの仕業と判断しております」
「ノアサリーナとは? あぁ、そうか、サルバホーフ公爵閣下が気にかけられている、あの呪い子達だな?」
「その通りでございます。彼女達は何が理由かは知りませぬが魔術師ギルドに対し魔導具を使って襲撃したのでございます」
「襲撃とな? それは、それは王より預かりし、この地の領主である私にとっても看過できない話ではないか!」
大げさな身振りで、領主は魔術師ギルド支部長へと歩み寄った。
それから肩を、ポンと叩いた。
まるで友人を慰めるように。
だがその顔はいつも以上の笑顔だ。
逆に魔術師ギルド支部長は苦々しく無理矢理な笑顔で応じるだけだった。
その様子を、1歩引いた場所で眺めていた第4騎士団長は、ゴホンと咳払いをして注目を集めてから言葉を発した。
「なんと、犯人がわかっている。これは、これは流石は魔術師ギルド支部長のボダハン様。僭越ながら、私がすぐに部隊を整え、かの呪い子ノアサリーナを捕らえてまいりましょうか?」
彼の大きな声は、広い領主の執務室に響き渡る。
筋骨隆々の巨漢の彼にふさわしい声量だったが、この場ではいささか大きすぎる声。
あまりにも大きな声に、領主は、少しだけ眉根を潜めて彼を制した。
「ふむ。殊勝な申し出、してどうするがいいだろうか?」
「いえ、そこまではしていただかなくても」
「何をおっしゃいます。王から預かったこの地に混乱をもたらす者達ですぞ。かくなる上は取り押さえ、処分しなくてはならぬかと」
だが、そんな領主の仕草などお構いなしに第4騎士団長は大きな声で、部隊を出すことを再度、主張した。
彼が大きな声で喋るたびに、まるでテーブルの上にあったコップが震える様相を見せた。
その迫力に、魔術師ギルド支部長は、1歩そしてまた1歩と、ゆっくりと後退する。
「まて、其方は声が大きすぎる。この場には我らだけではない、そうだろう?」
とうとう耐えきれなくなったとばかり領主は、彼と同じように大きな声で第4騎士団長へと声をかけた。
確かに、ここにいるのは3人だけではない。騎士団長の従者である二人の騎士、そして魔術師ギルド支部長の秘書。加えて領主の部屋にはいつものように補佐する官吏。加えて、メイドなどもいた。
だが、領主の言葉を聞いて、魔術師ギルド支部長は首を少しだけ傾げた。
それは当然のことなのだ。
今回の一件は、特に極秘の話ではない。
一般的な報告だ。
あたりに知られている騒動に関する報告。
いつものように、執務の補佐をするため必要な従者達がいるのは当たり前の話だ。
他者に聞かれるなどと領主が言う必要はないはず。
だから、魔術師ギルド支部長は首を傾げた。
だが、それにそう思ったのは彼だけだったようだ。
「いやいや、確かにそうでございました。この猿めに聞かれればいかなる言い逃れを考えるやもしれませんでした」
そう言って第4騎士団長は「ガッハッハ」と大笑いした。
「猿ですか?」
魔術師ギルド支部長はその言葉を聞き、不思議そうに問い返す。
「うむ、猿である。そこに」
領主は、部屋の片隅に置いてあった木彫りの猿の人形を指差した。
「なっ!」
その瞬間、魔術師ギルド支部長は小さな声を上げた。
そして、唇を強く噛んだ。
今にも唇を食いちぎりそうなほどに強く噛んだ。
「今回の騒動における下手人のうち一人。第4騎士団が捕獲したものである。なれど、こやつは一向に動かない。おそらく魔道具であろうと思うが。いかがか?」
その様子にピクリと眉を動かした領主は、ことさらに深刻そうな顔で魔術師ギルド支部長をみやった。
魔術師ギルド支部長は小さく歯ぎしりをした後、ゆっくりと領主に返答を始めた。
「そうでございますな。魔道具でございます。おそらくその像にかけた魔法が切れ、動かなくなったのでございましょう」
「なるほどな。魔道具を使って魔術師ギルドを襲撃したか」
第4騎士団長は、深刻な顔をして頷く。
その様子を見て、魔術師ギルド支部長は誰にも聞こえないように「グルなのか」と小さく呟いた。
そんな独り言などお構いなく、第4騎士団長は続ける。
「うむ。スターリオ様に、この木造の猿を見てもらい、そしてノアサリーナ達がいかなる凶悪な魔法を使い魔術師ギルドを襲撃したのか判断してもらおうと思っておる」
そう言って、大きく頷いた。
「星読み……様に?」
その言葉に魔術師ギルド支部長が大きな声を上げた。
「いやいや。驚くことではない。我が第4騎士団を束ね、邪悪な魔法使いノアサリーナ一行の討伐をするのだ。それぐらいの裏付けを取らねば王に示しがつかぬ」
そう、まるで用意したかのように第4騎士団長は答えた。
「いえいえ、結構です! ここは魔術師ギルドが始末をつけますよ! 私、用事を思い出しましたので失礼」
その言葉を聞くか聞かないかのうちに魔術師ギルド支部長は、席を後にした。
従者にも部屋のメイドにも任せることなく、自ら開け放った扉をくぐり外へと魔術師ギルド支部長は出て行った。
その姿を見送った後、領主は片手を上げ、部屋の小間使いに扉を閉めさせた。
それと同時に、領主と第4騎士団長は声を殺したようにクククと笑う。
「いやはや、お前も悪ふざけが過ぎるぞ。何が邪悪な魔法使いノアサリーナ一行だ」
笑いながら領主は、第4騎士団長へと向かい声をかけた。
「いつも、嫌みな言葉を聞いておりますのでな。ついつい、このような機会、反撃したいではありませんか」
そう言って第4騎士団長はニカッと笑った。
「だが、さすがサルバホーフ公爵閣下がお認めになった者達だ。こんなおもちゃで魔術師ギルドを手玉にとってしまうとはな」
「おもちゃ……ひょっとして、ノアサリーナ達を黙って行かせたのは、既にご存知だったからで?」
「大体察しはついていた。物見の報告によると、このおもちゃは、接近すると動きを止めると報告をうけたのでな」
「それは?」
「つまり、ただ追いかけ回すだけの魔導具ということだ。であれば、過剰反応する必要はあるまい。町にちょっとした混乱をもたらした。確かにそれは問題だ。だが、まぁ、よいであろう」
そう言った後、領主はグラスに入った水を一飲みし、ドンとテーブルに置いた。
それから再び言葉を発した。
「なんせ私は久しぶりにスカッとしたのだからな。領主である私よりも、自らの方が偉いとばかりに調子づいていた魔術師ギルドの鼻っ柱をへし折ってくれたのだ。今回の件を話に出せばしばらく彼らも大人しくなろう」
「それにしても、ほんの少しだけの滞在でこの騒ぎ。ギリアのラングゲレイグは大変だろうな」
芝居がかったため息をついた後、第4騎士団長は笑顔で言った。
しばらく面白そうに見ていた領主だったか、少しだけ真顔に戻り言葉を発した。
「うむ、確か第3騎士団の副団長だったか?」
「はい。勘が鋭いだけで、彼が領主になると聞いた時に、大丈夫かと不安になったものでした。ですが、なかなかどうして、うまく領地を運営しているようですぞ」
「領主としての才があったのだろう。なかなか見事なものだ。先日、忠告までしてくれた始末」
「忠告……?」
「白薔薇の戦艦が隠れている可能性があるということだ」
「あれは、ギリアからの情報でございましたか」
「何が目的かはわからぬが、問題が起こる前に排除できてよかった」
「帝国の者が、軍艦で我が領地に来るとは、いささか調子に乗りすぎておりますからな」
「うむ。まぁ、何せよ、全てが終わったことだ、これからしばらくうまい酒が飲める、今日は付き合うかね?」
「そうでございますな。明日の訓練に支障がない程度には」
「私も明日の訓練には支障がない程度にはしておこうか」
そう言って2人は笑い、その笑い声は部屋にこだました。
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