第157話 おわかれのまえに

 走り去っていくラノーラを、茫然と見つめる。

 なんというか、言葉が出ない。


「サムソン追いかけないの」

「いや、俺はいい……」


 ちょっとしたやり取りの後、屋敷に戻ることにした。

 帰りの馬車の中で、ノアがオレにだけ聞こえるように小声で言う。


「私……言っちゃいけないこと言ったの……」

「いや、そんなことはないよ。何にせよサムソンが説明する事だよ」

「そっか」


 せっかくだからと、ユクリンの事をノアに説明する。


「皆が憧れるぅ、お姫様みたいなものなのねぇ」


 前に説明したときも思ったが、アイドルという概念を説明するのは難しい。いつの間にか会話に加わっていたロンロの、このコメントが一番的を射たものだと思った。

 そんな説明を聞いて、ノアはしばらく黙っていたが、少しだけ笑った。


「あのね、ストリギの町を出た時に手を振ってくれてた女の子がいたの」

「見てたよ」


 それから、唐突に話題が変わる。

 ノアなりに気を遣ったのかもしれない。


「お友達になれるかな」

「もちろん、今度ストリギに行った時に会えるといいね」

「うん」


 久しぶりの屋敷は、やっぱり快適だった。

 俺は夜静かな環境の方が合っているようだ。

 早速、ストリギで購入した品々をテーブルに置く。石でできたと言われるノートは案外使えるかもしれないと思う。水に濡れてボロボロになった手帳の代わりに、今後はこれを使ってもいいかもしれない。


「今後のことを考えると、電撃の魔法なども、自分たちで作り直した方がいいと思うんです」


 確かに一理ある。あるものをもう一度作るというところは、車輪の再発明と言った感じだ。広く普及し、皆が使っている物を、再度作るという意味では、同じ。

 しかし領主による制限を受けることなく使える魔法……オリジナル魔法ということであれば話は別だ。


「飛翔の魔法とかも使えるようにしたいよね」

「そうっスね」


 なんとなくだったが、申し合わせたように、ラノーラとマリーベルの話題は避けていた。

 サムソンはその様子に一言も言わず、ずっと何かを考え込んでいる。

 静かな屋敷の夜。自宅ということで安心した為か、すぐに深い眠りについた。

 翌日起きるのがとっても遅れた、昼前になってようやく目が覚め、広間へと向かう。


「あれ、他の皆は?」


 ひとり残っていたカガミに質問する。


「ミズキとノアちゃんは街に出ましたよ、踊りを見せてもらうんですって」

「2人とも元気だな」

「他は、サムソンは部屋から出てないです。プレインは山に何かを探しに出たようです。いつものマヨネーズの和え物を作るための材料探しだと思います」

「そっか、俺はもう一眠りするよ」

「私は久しぶりに温泉に入ってきます」


 2度寝の後は、チクチクと、新しいノートに魔法陣を描き写す。

 岩石を神の加護により薄く頑丈な紙に変えた。そんな触れ込みだったが、石とは思えない真っ白いノート。高いだけあって品質がいい。

 おかげで描き写す作業がとても楽しい。その作業に熱中していたせいか、気がつかないうちに随分と時間が経っていた。


『ヒヒーン』


 馬の嘶きで、ふと我に返る。

 部屋からでて、渡り廊下から外を見ると。ミズキとノアが一緒に戻ってきた。


「あのね」

「なんだい」

「ラノーラさんとお話したの。メレウン一座に戻って旅を続けたいんだって」

「そっか」


 昨日はあやふやで終わった、2人の今後を聞いてきたのか。

 あの一座は、2人にとって居心地のいい空間だったようなので、その決断に安心する。


「それでね、2人を自由にしようかなと思うの」

「自由に?」

「そうなの。奴隷を止めてもらって、自由に旅をしてもらうの」


 なるほどな、解放奴隷か。

 この世界の奴隷は、物扱いから抜けきれない。魅力的な奴隷は、案外軽く奪われかねない。オレ達が、何度か、そんな目に遭いかけたように。

 そう考えると、やはり奴隷より、一般市民のほうがいいだろう。


「うん、それはいいね」

「そうしたらね、お金を返すから受け取ってほしいって言われちゃった」

「2人が納得するんだったら、それでいいんじゃないかな」

「うん、ミズキお姉ちゃんも同じようなことを言ってた。だからそれで良いよって言ったの」

「それでさ。2人は明日には、もうギリアから出て行くんだって」


 ミズキがこともなげに言う。

 結構、急な話だな。


「その前に踊りを見せてくれることになったの」

「そっか。じゃあ明日は皆で、街に出かけよう」

「あのね、ここに来てくれるんだって、私たちのためのためだけに踊ってくれるの」

「貸し切りか、それは豪勢だ」


 翌日。


 言葉通り、一座の全員がやってきた。大きな馬車4台の大所帯だ。こんな一座が、オレ達のためだけに踊りや芸を見せてくれるという。

 座長さんは恰幅の良い小太りの男だった。前に見た剣を使った芸をしていたうちの1人だ。


「あんた達のおかげで2人は無事戻ってきた。しかも2人のために色々と動いてくれたって言うではないですか。これは是非ともお礼をしなきゃいけないって思ってですな」

「とは言っても、私達に出来るお礼なんてほとんどないんですけどね」


 そうして始まった一座の演技、ちょっとした小芝居があったり、踊りがあったりすごく楽しかった。


「ラノーラさんと、マリーベルさんの踊りは、強くてかっこいいんだよ」

「それは楽しみだ」


 最後に、ラノーラとマリーベルの2人の踊りで締めくくる。剣を何度も何度も打ち付け、火花がチラチラと舞う。すごくかっこよかった。

 終始、ノアは真剣な表情で見入っていた。

 一通りの演技が終わった後、座長の男は我々に近づいてくる。


「楽しんでいただけましたか」

「ええ、とても面白かったです。しかもこんなに近くで見れるなんて感激しました」

「それはそれは」


 相好を崩した座長に、こちらも笑みで返す。


「さて、では、そろそろと……」


 一座の人達が荷物をまとめ出した時に、ミズキが前に出た。


「あのさ、ラノーラさんに、一つお願いがあるんだけど」

「お願いですか」

「ノアサリーナ様に踊りを教えてあげてもらえませんか?」

「えっと、踊りを教えるのですか」

「ええ。先程のとても素敵な踊りを教えてほしいのです。ですから、明日出発っていうのはちょっとだけ延期して頂けませんか」

「それはもちろん。いや、実はですな」

「ちょっとやめてください、座長」

「ああ、すまんすまん」


 大きな笑みを浮かべて座長は言葉を続ける。


「そういうことであれば、私らも、もうしばらくこのギリアに残ります。なんにせよ、恩人の願いを叶える機会を与えてもらえるのはありがたい」


 そんなやり取りがあり、ノアは踊りを習うことになった。


「あのさ。せっかくチャンス作ったんだからさ、何とかしてよね」


 ミズキがそんな言葉をサムソンにかける。


「なるほど」


 時間を稼いだっていうわけか。


「もちろんノアノアは踊りを習いたいって言ってたから、それがメインだよ」


 オレの言葉にミズキが言い訳っぽく反応した。

 それから、小声で、ノアと帰りの馬上でした話を教えてくれる。

「あんな風に踊れたらいいな」と言っていたらしい。

 確かに見るものを憧れさせる素敵な踊りだった。


「あんな風にクルクルおどって、かっこいいお姉ちゃんになりたいの」


 その日の晩。ラノーラから習ったばかりのクルリと回る動きを見せて、ノアは笑顔でそう言った。

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