第七章 雪にまみれて刃を研いで
第110話 閑話 魔術師ギルドの使者
ギリアの町にある貴族の屋敷。
今日は、日中不在が常である主人が久方ぶりに終日在宅していた。
それは王都の有力貴族を迎えるためだ。
屋敷の皆が緊張している中、ひとり余裕の若い男は口を開いた。
「ああ、ギリアには初めて来たが聞きしに勝る貧相さだね」
「確かに王都とは比ぶべくもなく……ですな。私としてはよくしていきたいと思っております」
屋敷の主人は落ち着いた様子で、返答する。
「ヘイゲル……だったかな。私は、貧相だと言ったのだよ。お前の決意表明を聞きたいのではない」
そう言って若い男は席をたち、部屋から窓の外をみる。
「ヘイゲルでなく、ヘイネルだったかと」
彼の従者らしき女性は、笑顔で小さく耳打ちした。
「あぁ、そうそうヘイネルだった。どうにも田舎貴族の名前は覚えられなくてね」
「いえヘイゲルでも、ヘイネルでも好きに呼んでもらえれば……。ところで、今回はどのようなご用件で、クルズヤンク様はギリアまで? 私でお力になれることがあれば、何なりとお申し付けください」
ニヤニヤと笑いながらヘイネルの言葉を聞いて頷く若い男……クルズヤンクは、窓ガラスを指で撫でながら答える。
「あの呪い子と、ゴーレム……それに温泉の調査だよ」
「調査でございますか」
「もっとも、ゴーレムはもう調査が終わったし、だいたい分かったからすぐに帰るつもりだけどね」
「そうでございますか。順調にすすんだのは何よりです」
笑顔でヘイネルが頷く。
「そうだね。お前のような才能の無い魔術士とは違うからね。例えばお前達のいうゴーレムだが、あれはまがい物だ。一応は使えるようだが、本物のゴーレムではないよ」
「確かに王都のゴーレムに比べ劣ったものです」
「あれはゴーレムではないと言ったのだが、本物の魔術士ならすぐ分かることだ。栄光あるスプリキトの卒業者とは思えない無能さだね。ギリアの町なんかにいるから勘が鈍ったのかもしれないね」
ヘイネルを見下ろしつつクルズヤンクはからかうような口調で語りかける。
その様子に、クルズヤンクの従者も口元に手をやり、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
「魔術士の血統として名高い名門ワルギルス家のクルズヤンク様とは、家格も才能も劣る身でありますので……お恥ずかしい限りです」
「ふん。そのように見る目がないから、そこのソレも失敗したのではないかね」
クルズヤンクがそんなことを言いつつ顎を振った。彼の示した先、部屋の隅にはヘイネルの奴隷であり従者である少年が立っていた。
「エレクでございますか? あれは、あれなりに十分働いてくれています」
「ハッ、魔欠けだというじゃないか。そんな魔欠けをありがたがるなど、どうしようもないな。どこまでいっても無能だ。そうだな……どれ私がみてやろう。もしかしたら魔欠けが治るかもしれないからね」
魔欠けというのは、生まれつき魔法が使えない者の事をいう。
多くの事柄が魔法により成り立っているこの世界において、魔法が使えないのは厳しいハンディキャップを背負うことになる。貴族であれば死産ということで処理され、市民であれば奴隷として売られ、そして魔欠けの奴隷はひどく安値になることが多い。
公衆の面前で、魔欠けといわれるのは酷い侮蔑と取られる。
自らの奴隷であり、従者であるエレクが魔欠けと嘲笑されたヘイネルは、しばらく無言だったが、ほどなくエレクに視線をやった。
エレクは少し頷き、ヘイネルの側まで歩み寄る。
クルズヤンクの従者はテーブルの上に紙とペン、それにインク壺を置いた。
「これは?」
エレクが小さく呟く。
「あぁ、知らないか。紙とペンだ。それに物が書けるのさ。ハハ、傑作だ。さすが魔欠けだ。魔法が使えないばかりか、文字も書けないとみえる」
その言葉に呼応するかのように、クルズヤンクの従者は、紙に魔法陣を描いた。それは呼び鈴の魔法陣だった。
「できました」
「それを唱えてみたまえ、さすがに字は読めるだろう」
エレクは頷き魔法を詠唱する。手慣れた様子で、先天的に魔法が使えないという魔欠けとは思えない仕草だった。
しかし、彼が詠唱を終えたあとも、何も起こることがなかった。魔法は失敗していた。
「ククッ」
クルズヤンクの従者が失笑を漏らす。
「お見苦しいものをお見せしました」
エレクは、うつむき小声で謝罪を口にした。
「ハハ、そうだな。本当に見苦しいよ。ヘイネル、ソレは駄目だ。才能もない、センスもない、これでは魔法なんてどれだけ努力しても使えないだろうよ。処置なしということだな。いや面白いものを見せて貰った」
「左様ですか」
「さて、もうここには飽きた。あとは温泉だったかな……テストゥネル相談役が何やら与えたとかいう……。もっとも大したことはあるまい。なにせあの呪い子もその従者も、少し魔法が使える詐欺師なのだからな」
「詐欺師ですか?」
「そうとも。ゴーレムを見て、すぐに分かったよ。口のうまい詐欺師だとね。どれ、私と従者で、彼らを捕らえ王都へと連れて行くのも面白い。見世物には楽しめそうだ」
言動には似合わない優雅なお辞儀をしてクルズヤンクは部屋を出て行こうとする。
その様子に、ヘイネルは慌てて立ち上がった。
「クルズヤンク様、どちらへ? お休みなられるのであれば、すでに部屋は用意させてありますので、案内させますが?」
「いや、心配ない。今日は別のところに世話になるよ。約束があるのでね」
そう言ったあと、クルズヤンクとその一行はヘイネルの屋敷を後にした。
「エレク、今日はすまなかった」
その日の夜、ヘイネルはエレクに謝罪する。奴隷の階級であるエレクに貴族であり主人であるヘイネルの謝罪は、めったにないことだった。
「とんでもございません。私は……慣れていますので」
「魔術師ギルドもめんどくさい者をよこしたものだ……。それにしても、温泉までもが注目を浴びることになるとは」
「使ってはならない時が、多分にもうけられた不思議な温泉……天を覆うほどの巨躯をもつ龍によってもたらされた温泉と、町で噂になっています」
「そうか、町でもか。貴族は、貴族で、ラングゲレイグ様が精力的に動いた理由を詮索している……」
ヘイネルは、とても深く溜め息をもらし言葉を続けた。
「……もうどうしていいかわからん」
「ところで、リーダ様達は大丈夫でしょうか?」
「さぁな、ただ心配は無用だろう。おそらくあの者達のことだ、主人である呪い子が不利益を被ることとなれば、即座に、そして苛烈に対応するはずだ」
「警告はなされないので?」
「しない。いいかね、エレクよ。他の者が呪い子を恐れ、関わろうとしないため、お前と私が対応し、情報収集のため接触しているにすぎない。必要以上に肩入れしてはならない」
「はい……」
「だが、まぁ……そうだな。お前自身の目で見るのもよかろう。あの者達に、我々の警告が必要かどうかをな」
「それは一体?」
「忘れたのかね。すでにお前は、彼らの元で数に対する学問を習う約束をしている。彼らの元へと行く理由はあるのだよ」
ヘイネルの言葉に、エレクは深く頷いた。
「かしこまりました。いつでも伺うことができるよう準備をしておきます」
その後、ヘイネルは一人になった執務室にて呟く。
「領主不在の時に、このようなことになるとはな。だが、詐欺師か……彼らが詐欺師であればどんなに楽だったか。それが思い違いであることをクルズヤンクは自らの身で思い知るだろうな」
その顔には、笑みが浮かんでいた。
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