第40話 えがお
ノアは俯いて震えていた。手は銅貨をぎゅっと握ったままだ。
こちらの視線に気がついたのか、顔を上げてオレを見る。今にも泣きそうで、すがるような目をしていた。
すぐさましゃがみこんでノアと目の高さを合わせる。近づいたことでノアの目に涙が浮かんでいるのが見える。
「あの……あのね……私、失敗……」
「大丈夫。落ち着いて。まずこういうときは微笑んで、まわりの状況をみて、何ができるかを考えるんだ。何かできることはないかってね。とりあえず、ここはオレがなんとかするから……大丈夫」
「うん」
ノアは少し落ち着きを取り戻したようで、コクリと小さく頷いた。
「では、その銅貨はわたしが預かりましょう」
ぎゅっと握りしめた手をゆっくりと解いて、オレはノアの手から銅貨を受け取る。
続けて周りの状況を確認する。
幸い看破の魔法は起動したままだ。しばらく対象を見つめると、普通に見る以上の情報が得られる。
奴隷商人……こいつはザーマという名前だ。勝ち誇ったような笑顔でオレ達を見ていた。ハーフリングの男はビーバという名前らしい。こいつもニヤニヤとオレを見ている。階級は平民。奴隷ではなかったのか……。
加えて、いつの間にかオレ達は、屈強な男女に囲まれていたらしい。最初から、結構な人数がグルだったということだ。
獣人はピッキーとトッキーという名前で、所有者はザーマ商会所有となっている。
次に、ミズキを見る。彼女は苛立たしげにプレインと話をしていた。
「どうするんスか?」
「知らないって、最悪ぶん殴って逃げる。ゴメンね」
そんな話が聞こえてきた。
もし殴って逃げても、オレは止めないだろう。おそらく、援護する。
ん? 彼女の状況を看破でみたときに奇妙な事に気がついた。
彼女は、命約奴隷でノアサリーナ所有のままだ。変わっていない。
奴隷の所有者を変える儀式が失敗したのか?
ザーマは失敗したそぶりも見せていない。どういうことなのか、看破でみる所有者の表記が変わるのにタイムラグがあるのだろうか……。
奴隷の所有者がどのタイミングで変わるのか、確認が必要だな。
カガミはぼんやりと何処かをみていた。視線の先にはロンロがいる。こちらに向かってきているようだ。
サムソンは、腕を組んで難しい顔をしている。オレ達の中で一番冷静に見える。オレと目があって、ジェスチャーでミズキを指した。所有者の表記が変わっていないことに気がついているようだ。
一通り見回した後、静かに立ち上がりおもむろにパンパンと手を叩いた。
みんながオレの方に注目する。
「ハァ……。まったくノアサリーナお嬢様の前ですよ。静かになさい」
ことさらに大きな溜め息をついて、芝居がかった口調で周りに言い聞かせるように発言する。
畏まった言い方に仲間も気がついてくれたようで、静かになった。
それから、意識して作った笑顔でザーマを見据えた。
「な、なんザマスか?」
「いえいえ、話が終わっていないので、進めておきたいのです」
「話? 奴隷の話なら終わってるザマス。これ以上いうなら領主にでもお伺い立てるザマスよ」
「領主……?」
「そうザマスよ。奴隷の売買で問題が起こった場合は、お城付の奴隷担当が仲裁を行うザマス」
オレが向き直ったときに一瞬だけ焦りの顔だったが、すぐに調子を取り戻した。
出るとこ出ようか、といったところか。
役所の人間にコネがあるのかもしれない。
どうであろうと、状況を確認し、対策をとる。この流れには変更はない。
「いえいえ、奴隷の契約がまだでしょう? そちらの獣人との契約が」
「獣人……、あぁ、そうザマスね。そうザマス」
奴隷商人は、ハッとした顔をして獣人をそばに呼び寄せた。オレは、手元から金貨をゆっくりと手に取り数える。
「あのテントの陰に、もう一人獣人がいたのぉ。チッキーって札が首にかけてあって、咳をしていたわぁ。病気みたい、寝込んでたわぁ」
そんなとき、オレの後ろでロンロがカガミに報告している声が聞こえた。病気の獣人がいたのか、3人兄弟だったわけだ。バラバラに売られたくないというなら、3人一緒が希望ということになる。抵抗の理由が分かった。
「ザーマ様、獣人なんですが……3人目も連れてきていただけませんか?」
「さ……3人目ザマスか?」
「病気の獣人がいますよね。そう、名前はチッキー。そうだ! 3人分を金貨10枚でどうでしょう? ノアサリーナお嬢様は病気を理由に文句はいいません」
ザーマは、バッとそばにいるハーフリングの男……ビーバを見る。
彼は何も言っていないとばかりにブンブンと首をふって否定する。
「おまえ、なんで、それを?」
「ノアサリーナお嬢様は、兄弟が一緒にいることをお望みです。その希望を叶えたいだけなのです」
ビーバは顔を青くしてオレに訪ねてきたが、それには答えず希望のみ伝える。
知っているはずの無いことを知っていて驚いているようだ。もっと驚けとほくそ笑む。
こちらばかりが焦る状況は面白くないので、あちらさんにも多少は混乱していただきたい。
「……連れてくるザマス」
ザーマは不気味なものを見るように、オレをみたまま手を振りビーバに命令した。
準備にしばらくかかりそうなので、次の手をうつ。
ヘイネルさんから貰った商業ギルドへの紹介状に、仲間への頼み事をメモする。
――城へ行き、ヘイネルさんに助けを求めて欲しい。この紹介状を書いた人だ。手段はまかせる。
「何をしているザマス?」
ザーマの目の前で、堂々と紹介状にメモを書いていたら怪訝に思われた。
もっともな疑問だと思う。
「メモを書いているんです。お店までの道順を書いたものをね。というのもですね、ここは蒸し暑い。少し喉が渇いたのでグラプゥでも買ってきて貰おうかと思いまして」
「グラプゥなら、すぐ外に売っているザマス」
「いえいえ、お嬢様にも飲んでいただくので、できるだけ美味しいものをと思いまして。ご存じですか? 少し離れたところに、美味しいグラプゥを出すお店があるんです。上半分を凍らせる工夫で、飲んだときに冷たく甘みが引き立つんですよ……と、サムソンこれを」
ことさらに笑顔を深めて、ザーマを見る。それから、サムソンにメモを書き込んだ手紙を渡す。
「グラプゥだな。えっと、全員分でいいのか? 一人で持つのは辛いから、カガミ氏にも同行願ってもいいか?」
「そうだね。えっと、せっかくだザーマ様と、あとビーバ様のも買ってきてくれるかい」
サムソンとカガミが手紙を受け取り外へと出て行く。
グラプゥを買いにいってもらうなんて真っ赤な嘘。外に助けを呼びに行って貰うための方便だ。
ヘイネルさんが助けてくれるか分からないが、試さない手はない。
「チッキー!」
しばらくして、ぼろ切れに包まれた獣人が抱えられるように連れてこられた。
ひどく痩せ細っていて、頭の毛も所々抜け落ちて地肌が見えている。見るからに重傷で……後がないようにみえた。
獣人は3人まとめて金貨10枚で買うことになった。すぐに売買の儀式を行う。ノアは儀式のと中で何度もオレをみた。そのたびに笑顔で頷いた。
震える手でゆっくりと詠唱し、儀式をつつがなく終える。
魔法陣に魔力が通り淡く光るのを確認し、獣人の所有者を確認する。
所有者ザーマから、ノアサリーナにタイムラグ無しで変わっていた。
同じ事が残り2度繰り返される。結果、3度ともすぐに所有者が変わった。これで確信できた。つまり、ミズキの所有者は変更されていない。ザーマは所有者の変更に失敗していたのだ。
それなら話は簡単だ。オレ達は望む奴隷を手に入れた。少し癪に障るが、このまま立ち去ることにする。痛み分けってやつだ。
「ノアサリーナ様、奴隷は手に入れました。……それに、ミズキはお嬢様のものです。私が保証します」
微笑んでノアに宣言する。
「な、何を言っているザマス?」
「言葉通りですが……さきほどのミズキにした儀式は練習ですよ。所有者が変わるわけがないではありませんか。良い取り引きができました。私どもは帰ることにします」
さぁ行きましょうと、ノアの背中を軽く押す。病気の獣人は、プレインが抱えあげる。堂々と帰るのみだ。
すると、ザーマが早足でミズキの前に立ち塞がった。まじまじとミズキの顔を見る。
「そんな、まさか、そんな。なぜ、変わっていないザマスか」
「うっせーよ! ぼけ!」
ザーマの顔面をミズキが殴った。ザーマはよろめき尻餅をついた。
周りを取り囲んでいたならず者が殺気だったのが分かる。
やらかした!
あー、話がややこしくなった。これは不味い。
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