想像力で空を飛ぶ
ふじゆう
<短編>
この町で一番背の高い鉄塔の上が、僕の特等席だ。
眼下に広がる無数の光の中で、同級生達は高校入試の受験勉強に追われていることだろう。
僕は勉強をする必要がなくなった。さて、今日は、どこへ遊びに行こうか? この町は、ほぼほぼ見尽くしたし、いっそ海外にまで行ってみようか。
僕には、そんな勇気はないのだけれど。
頭上を見上げれば、なんの隔たりもなく、無数の星々と無限の夜空が広がっている。どこまで行けるのか確かめたくなって、輝く星に手を伸ばしたこともある。しかし、地上から離れ、星に近づけば近づく程、輝く点は逃げて行った。限りなく上空まで飛ぶと、次第に好奇心は恐怖心へと姿を変えて、僕は全速力で帰った。真っすぐ飛んでいたはずなのに、下に降りると見たこともない場所に降り立った。その日は、明け方にようやく自宅に到着し、不眠で登校した。あの日から、無暗に高く飛ぶことをやめたのだ。
鉄塔の上は風が強い。体感ではなく、音でそう感じるのだ。暑さも寒さも感じない便利な体だ。僕がこの便利な体を手に入れたのは、夏休みに入ってすぐのことであった。どん底の恐怖心と逃亡への渇望がそうさせたのか。とにかく、一人になりたかった。あんなにも孤独を恐れていたはずなのに。
そして、今、僕は念願の孤独を手に入れたのだ。誰も僕とは、目を合わせようとしない。
きっかけは、いたってシンプルだ。自宅の二階にある僕の部屋の窓。その窓のカーテンレールにベルトを通して、輪っかを作った。踏み台に乗って、輪っかに頭を通し、台を蹴り出したのだ。不思議と苦しみはなく、意識が抜けていく感覚があった。次第に目尻から涙が零れてきたが、なんの涙なのか理解できなかった。薄目を開けると、目の前にぶら下がった僕の体があった。
「ああ、これが、死ぬってことなのか」
鉄塔の上から飛び降り、風に乗る。僕は誰よりも自由で。世界の支配者にでもなったかのようだ。誰も僕に逆らえないし、咎めることもできやしない。人間の生活範囲まで高度を下げ、辺りを見渡す。獲物の物色だ。
さあ、今日は、誰と遊ぼうかな?
中学も三年目を迎えた初日。まず、愕然としたことは、同じクラスに知った顔がなかったことだ。確かに、社交性が低い僕には、友達自体が少ない。それにしてもの現状だった。正確には、見たことがある顔はあるにはあるのだが、あまり関わり合いたくない人種であった。ようは悪目立ちをしている人達だ。ぼっちは避けたいのだが、如何せん僕には見知らぬ人に突撃する度胸なんかなかった。僕は、周囲に耳を澄ませ、会話を聞くことにした。何か僕も入っていける話題はないものか。しかし、周囲の会話は、昨夜のテレビ、アイドルの新曲、ファッションなどが大半で、さっぱり分からなかった。
「ねえ、ネットニュース見た? 前に話題になった大量殺人犯が、この町で目撃されたんだって」
「見た見た。怖いよね。もう何年も捕まってないんだよね?」
「そうそう。防犯カメラで姿を捕らえても警察が近辺を探すともういないらしいよ」
「だから、内部に情報をもらしている協力者がいるか、警察のサーバーにハッキングして、情報を盗んでいるんじゃないかって、話だよね?」
そのニュースは、僕も見た。会話をしている二人の女子にチラリと視線を向ける。この話題なら入っていける。だが、僕はそもそも女子と会話をしたことが、ほとんどない。僕は意を決して唾を飲み込むと、二人の女子の会話は既に別の話へと変わっていた。僕は落胆し、顔を机に突っ伏した。一瞬の躊躇いが、好機を逸した。僕から話しかけるのは、あまりにもハードルが高すぎる。作戦を変更することにした。
声をかけてもらえるように、きっかけを作る為、好きな文庫本を休み時間に読むことにした。そうすれば、小説が好きな人が声をかけてくれるかもしれない。もちろん、ブックカバーは外している。だが、一週間が経っても誰も話しかけてはくれなかった。このクラスメイト達は、小説を読まないのかもしれない。それとも逆効果で、『話しかけるな』というアピールに見えてしまったのかもしれない。僕は次の一手を打つべく、ゲームをすることにした。ゲームなら小説程ハードルが高くなく、悲しいけど需要があるかもしれない。
「おい、お前! なにゲームやってんだよ?」
突然、背後から声をかけられた。反射的に振り返りそうになったけど、待ちに待った感を出したくなかったので、ひと呼吸置いてから、緩慢な動きで背後を見た。その人物が目に入った瞬間、心臓が跳ね上がった。
「学校にゲームなんか持ってきていい訳ねえじゃん! 没収だ!」
クラスの中でも一番目立つグループの奴だった。悪い噂しか聞いたことがない男だ。暴力的な態度で、ヒエラルキーのトップに君臨している。一年の時から目立ち、僕は怖いからという訳ではなく、馬鹿とは関わりたくなかったのだ。奴にゲームをひったくられた。
その馬鹿一号は、クラスの五人でよくつるんでいた。僕は顔を机に埋めて、寝たふりをしながらクラスを観察していたので、クラスの事情には精通していた。一号はリーダー的存在、二号は一号と対等であり、三号は格が落ちる金魚のフン的な存在だ。そして、四号は一号の彼女で、五号も女性だ。五人とも見た目が派手だ。五人が爆笑し、クラスメイトに同意を求めた時の、あの寒々しい作り笑いの空気感が堪らなく気持ちが悪いのだ。クラスを支配していると勘違いし、悦に浸る表情に嗚咽を覚える。
「おーい! ゲームもらった! みんなでやろうぜ!」
一号が自慢げに笑いながら、仲間の元へと戻る。
「は? 誰にもらったんだよ?」
二号が首を傾げると、一号が振り返り僕に向かって、顎をしゃくった。
「あいつだよ。あのぼっちの奴。名前・・・まあ、いっか」
「ゲーム機一つで、どうやって皆でやるんだよ?」
「ああ、そっか。おい、お前。ゲーム機五個持ってねえの?」
二号の問いに、一号が僕に向かって声をかけた。僕は首を左右に振ると、一号がわざとらしく舌打ちをした。
「んだよ! 使えねえな! お前、今から買って来いよ!」
一号は僕の座席へと速足で接近し、机を蹴った。机は激しい音を立て、床に転がった。その音で、周囲が静寂に包まれた。生唾を飲む音が聞こえてきそうな程に。僕が上目遣いで一号を見ながら首を振ると、苛立ちを露わにした一号に脇腹を蹴られ、床に倒れこんだ。そこから、全身を蹴られ、僕は頭を抱え込んでうずくまった。僕は決死の覚悟で顔を上げ、傍観しているクラスメイトに視線を向けたが、みなが一様に俯いた。顔を上げた代償として、一号の靴が僕の顔面に入り、鼻血が飛び散った。
「おいおい、さすがに顔面はやめとけよ」
二号が一号の肩を掴んで、動きを制した。当然ではあるが、僕をかばった訳ではない。
「いや、こいつが、顔を上げたからだよ。蹴られたかったんじゃね? お前Мなんだろ?」
一号と二号の笑い声が、耳に突き刺さる。一号がしゃがみ込み、僕の髪の毛を掴んだ。
「おい、お前が汚したんだから、お前が掃除しろよ? 常識だぜ」
強引に顔を上げさせられた僕は、小さく頷いた。
「自分一人で勝手に転んで、鼻血が出ました。はい、復唱」
「自分一人で勝手に転んで、鼻血が出ました」
オウム返しをした僕に、一号は嫌らしく口角を釣り上げた。
「明日までに、ゲーム機を後四個持ってこいよ」
一号の笑い声を背後で聞きながら、僕は机と椅子を元に戻し、ティッシュで飛び散った血液を拭きとった。
今日この時から、地獄の蓋が開いたことを悟ったのだ。
明くる日、当然ゲームを用意できるはずがなく、僕はトイレへと連れ込まれ、五人から酷い仕打ちを受けた。その明くる日も、その明くる日も―――
「これは、科学の実験だよ。人体実験だ。身をもって、しっかり学ぶように!」
そう言った一号は、僕の顎を蹴り上げる。三号が背後に回り、僕の体を羽交い絞めにしている。奴曰く、顎にどれほどの衝撃を与えると、脳震盪を起こすのかの実験だそうだ。他にもブラックアウトの寸前の景色の考察と称し、首を絞められたり、潜水の実験と称し、大の便器に顔を突っ込まれた。
それからも、人道に反した行為を繰り返された。まさに、悪の所業だ。金品の要求から、公然での自慰行為。その全てをスマホで動画を取られ、脅された。
流石に生命の危機を感じ、担任に助けを求めたが、なにも対応してくれなかった。
「あいつ等、やんちゃだから、スキンシップもハードモードだな」とか、「お前にも原因があるんじゃないか?」とか、挙句の果てには、「被害妄想もたいがいにしろ!」と、怒鳴られた。親は親で、ご近所の目がどうとか、友達を疑ってはいけないとか、なんかそんなことを言っていた。大人達の言い分をまとめると、僕一人が我慢すれば何事もなく、世界は平和に回るといった感じだ。人身御供というやつなのだろう。
最初の方は、家に帰ると自室へと素早く入り、布団にくるまって泣いていた。窓も締め切り、汗だくになりながら、時間が過ぎるのを静かに待っていた。しかし、いくら待っても解決策などなく、地獄の明日がやってくるのだ。時間が経つにつれ、慣れとは恐ろしいもので、僕の心は動かなくなり、涙も流さなくなった。虐めが日常になったのだ。苦痛が平常装備となった。
その頃から、僕は自室のベッドで仰向けになり、天井を眺めるようになった。電気を点けていないので、天井が見える訳ではなく、暗闇が広がるだけだ。部屋の暗闇と夜空をリンクさせる。僕は、背中に翼をはやし、夜空を駆け回るのだ。ビリヤードの棒で星を打ち星座の形を変えたり、三日月の滑り台で遊んだ。満月ではウサギと一緒に餅をついた。現実的に逃げられないのなら、脳味噌の中へと逃げ込むことにした。
僕は想像力で、広大な夜空を飛び回っている。こんな狭い牢屋で生きていくのは、あまりにも窮屈過ぎる。一時でも安らぎを感じたい。誰もいない場所で、僕一人でのんびりと生きていけたら、どれほど幸せだろう。僕は笑みを浮かべ、気づけば朝になっている。そんな毎日を繰り返していた。
体に異変が起こったのは、夏休みに入る少し前のことだ。常に体のどこかに痛みはあるのだが、いつもの感覚とは違う違和感。朝目を覚ますと、胃袋を力一杯握られたねじ切れるような痛みと、吐き気に襲われるのだ。トイレへと駆け込み、嘔吐する。そこで母親から、『ずる休みは許さない』と叱責される。学校に近づくにつれ起こる眩暈に、立っていられなくなる。担任から、『ダラダラ過ごしていないで、体を鍛えろ。この貧弱野郎』と罵られた。毎度、保健室の先生には、煙たがられる。
身も心も限界だと悟った。想像力では、もはやカバーできないほどに。僕は学校を飛び出し、スマホの電源を切った。自宅へ帰ると、専業主婦の母親が惰眠を貪っていた。忍び足で自室へ向かう。音を立てないように、息を止めて自室の扉を閉めた。制服のズボンからベルトを抜き取ると、カーテンレールの隙間に通す。ベルトの先をフックにかけ、輪っかを作った。そして、踏み台を輪っかの下に設置した。僕に躊躇いは微塵もなかった。踏み台に乗り、輪っかに頭を通し、台を蹴る。小さな僕の体は、カーテンレールに宙づりになった。意識が離れていく。涙が零れ落ち、微かに目を開くと、目前には僕の姿があった。
すると、カーテンレールが激しい音を立て、窓から引き剥がされた。僕の小柄な体躯でもカーテンレールは、耐えることができなかったみたいだ。僕の体が乱暴にフローリングに叩きつけられている。まるで、操り人形の糸を切られたように、手足が床に投げ出されている。暫くすると、激しい足音が接近してきた。乱暴に開かれた扉からは、ゴルフクラブを握りしめた母親が顔を出した。母親は血相を変え、ゴルフクラブを投げ出すと、死体のように床に倒れている僕へと慌てて歩み寄る。何事かを叫び、急いで階下へと降り、また戻ってきた。僕は茫然とその光景を眺めていた。しばらくすると、遠くの方から救急車のサイレンが聞こえてきた。窓を閉めたまま顔を外に出すと、家の前で救急車が停車した。二人の救急隊員が、僕の部屋へとやってきて、丁寧な所作で僕の体を担ぎ上げた。
僕は救急車の後を追いかけると、病院へと運ばれた。様々な処置をされ、ベッドで横たわっている僕の体。医師と母親の会話を僕もすぐ隣で聞いた。
「今のところ、命に別状はありません。しかし、予断は許されない状態です」
医師が神妙な面持ちで告げた。
「命に別状はない?」
僕は首を傾げた。つまりどういうことだ? もしかしたら、復活してしまう恐れがあるということだろうか? それは、非常にまずい。僕は寝静まる自分の顔を覗いた。僕がこいつに引っ張られると、意識が戻るということなのだろうか? 僕は急いでその場を去ることにした。意識が戻る・・・生き返るなんて冗談じゃない。地獄に叩き落されてたまるか。
病院から抜け出すと、僕は歓喜に震えた。まさか本当に、空が飛べるなんて。想像が現実を飛び超えた。空は思っていたよりずっと眩しくて、とても美しい。やっと手に入れた夢の世界に涙が溢れてきた。僕はしばらく、辺りを飛び回った。もう嬉しくて嬉しくて、堪らなかった。こんな世界があるだなんて。ひとしきり飛び回ると、この町で一番背の高い鉄塔の天辺に腰を下ろした。もう、笑いが止まらなかった。これまでの辛いことが、嘘だったかのように晴れ晴れとした心地だ。僕は静かに目を閉じて、幸せを噛み締めていた。そして、目を開けた―――
目の前には、先ほどまでの広い空は消え失せていた。僕は茫然と天井を眺めている。何がなんだか、思考が追い付いてこない。
「あ! 目を覚まされましたか? すぐに先生を呼んできます!」
突然、大声が響いて僕は驚きながら、声の方へ顔を向けた。そこには、慌てて部屋から出ていく、白衣を着た女性の後ろ姿があった。数分後、白衣をきた男性医師がやってきて、僕に質問しながら体に触ってくる。瞼をこじ開けられ、光を照らされた時は、さすがに苛立ちを覚えた。色々質問されるが、思考がまったく回らない。僕が混乱していると、左頬に痛みが走って、体が横に流れた。何事かと顔を上げると、恐ろしい形相で母親が鼻息を荒くして仁王立ちしていた。医師や看護師が母親を宥めている。どうやら、母親から平手打ちを食らったようだ。その後、色々まくしたてられた。母親の言い分は、多くの人に迷惑をかけて、本当にみっともない。と、いうことであった。
どうやら僕は、死んでいないようだ。生き返ったと言った方が正しいのだろうか?
僕が先ほどまで見ていた夢のような景色は、本当に夢だったのだろうか?
落胆するほかなかった。地獄へと引き戻されてしまった。検査入院する為に、病院に一泊することになった。しかし、そんなことは、どうでもよい。先の事を考えると、吐き気をもよおしそうだ。僕は現実逃避をする為に、固く目を閉じる。先ほど見ていたまさに夢のような世界。美しい風景を脳内に蘇らせる。
真っ暗な病室のベッドの上で、僕は仰向けで眠っている。両手を胸の前で組み、何かをお祈りしているような格好をしている。まるで死んでいるのではないかと思えるほどに、ピクリとも動かない。僕を見ていたら、無性に悲しくなってきたので、せめて僕だけでも僕を労ってあげたくなってきた。僕は自分の寝顔に接近した。寝顔に手を伸ばしたところで―――気が付いたのだ。
僕は、僕から抜け出していた。病室の中で宙に浮き、僕は歓喜に震えた。大声で叫びたい衝動を抑え込むことができずに、力の限り声を出した。大声を出す快感と周囲の無反応で、笑いが止まらない。すかさず、病室を飛び出し、夜空を駆け回る。まだ見たことのない景色を堪能したい。
翌日、とくに問題のなかった僕は、自宅へと強制送還された。しかし、前ほどの悲壮感はない。
「お前、人が変わったみたいだね。気味悪い」
帰宅後の母親の第一声だ。だが、何も感じなかった。むしろ笑いを堪える為に、必死で奥歯を噛んだ。母親の言うことは、あながち間違いではない。僕はあの時、死んだのだ。体は不本意ながら、生き残ってしまった。だが、死を決意し実行した心は、死んだのだ。不幸中の幸いとは、このことだろう。あの出来事のおかげで、僕はこの特異な能力を身に着けたのだ。俗にいう『幽体離脱』という現象だ。オカルト系で眉唾ものだったが、実際に体験してしまっているのだから、仕方がない。信じるほかにない。目を閉じて、体の前で手を組み、体から抜け出すイメージを思い浮かべると、精神が体から抜け出すのだ。色々試してみたのだが、このスタイルが一番効果的であった。目を閉じ手を組む所作が、最もイメージが容易い。効率的でもあるが、その一連の動作が、まるで離脱トリガーのようでカッコイイと思い、採用している。
夏休みも早くも一週間が経過したころ、僕は偶然ある人物達に遭遇した。不愉快であったが、違和感を覚え後をつけることにした。僕を貶めている五人組の内の二人だ。電車で五つの駅を超えた隣町の更に奥だ。違和感の正体は、すぐに理解できた。馬鹿二号と四号が、手をつないで歩いていたのだ。確か四号は、一号と付き合っているはずではなかったか。二人は、そのまま何の躊躇いもなく、ラブホテルへと入っていった。僕は二人のすぐ後ろをついていき、ことの一部始終を観察した。初めて見る光景に、背筋と下半身がゾクゾクした。何度か行為を繰り返し、二人は部屋を出た。部屋を出る直後の二人の会話を聞いて、僕はある考えが浮かんだ。
「絶対に内緒だからね。あいつにばれたら殺されるよ」
「言う訳ねえじゃん。だから、またここに来ようぜ」
その後、四号について回り、次の機会を伺った。その日は、意外にもすぐやってきた。当日、僕は生身の体のまま少し早くに隣町のラブホテルへ到着し、入り口が見える木陰に身を潜めた。何も知らずにやってきた二人が、ラブホテルに入る姿をスマホの動画機能で撮影した。念の為出てくる姿も押さえた。手を口に当てて、必死で笑いを我慢する。僕の情けない姿を動画で、撮影されていた。その意趣返しだ。僕は奴等の弱みを握ることに、残りの夏休みを全て費やした。この能力があると、人の弱みを握ることが、あまりにも容易くて少し拍子抜けした。弱みのない人間など存在しないとさえ思えてくる。当然だが、一人でいる人間は、あまりにも無防備だと痛感した。特に弱みになる部分は、性的な行動と性癖だということが分かった。多くの人間が、陰でコソコソと、悪さをしている現実を思い知った。
「ただいま」
僕が情報収集を終え帰宅すると、パタパタとスリッパを鳴らし、母親が満面の笑みで出迎えた。
「おかえりなさい! 今日はあなたの好きなトンカツよ」
「はあ? 一昨日もそうだったよね?」
「ご、ごめんなさい。今すぐ作り直すわね。何が食べたいの?」
母親は、動揺を隠そうともせず、僕のご機嫌を伺った。僕はわざとらしく大きく溜息を吐き、『別にトンカツでいい』と、告げた。狼狽える母親に、笑いが込み上げてきた。僕はそんな母親を残し、自室へと向かった。母親の変貌ぶりに、枕に顔を埋めて爆笑した。
母親は、父親ではない男と不倫をしていた。その証拠を母親に突きつけると、顔面蒼白で崩れ落ちた。泣きながら土下座をし、父親には黙っていて欲しいと懇願した。母親が言うには、専業主婦の母親は、父親に捨てられると生きていけないそうだ。今まで、僕を虐げてきた母親が、あまりにも小さく惨めに見えた。そこから、僕には一切逆らうことをせず、僕の一挙手一投足に怯えて暮らしている。
効果は敵面だ。夏休みが終わるのが、楽しみで仕方がない。この夏休み中に、三号以外と担任の弱みを握った。一号は、学校以外の悪い連中とつるみ、法に触れる行動のオンパレードだ。この事実を突きつければ、退学では済まない。間違いなく少年院行きだ。五号と担任は、援助交際をしていた。この二人が行ってくれていれば、手間が省けたのに、面倒な奴らだ。三号の弱みは、掴んでいない。弱みがなかった訳ではないだろう。必要ないと判断したのだ。三号以外の人間が、僕から手を引けば、自ずと離れるからだ。フンは金魚にくっついていく。
待ちに待った二学期の初日、想像通り一号が怒り心頭で、僕の元へとやってきた。夏休み中、彼からの連絡を全て無視していたからだ。休み時間になり、僕の首根っこを掴んだ一号に、トイレへと引きずられた。そこで、鬱憤を爆発させるべく、僕の体を痛めつけた。二号と三号が加わり、二人の女は笑っていた。しばらく、僕を痛めつけて奴らは満足気に、トイレから出て行った。僕は血を拭いながら、笑みを浮かべた。ここから、作戦開始だ。まずは、一号にラインを送った。昼休みにタイマンを張ることを告げる。その後、仲間がいないと何もできないのか? と、煽り文を送付。僕を侮り見下している一号は、必ず一人でくると確信していた。
案の定、一号は怒気を孕んだ顔で、一人でやってきた。一号は、僕が話すのをまたず、いきなり殴りかかってきた。左頬に激痛が走った。そして、僕の胸倉を掴み上げ、睨んできた。僕はすかさず、一号の悪事を話し、証拠の写真を見せつけた。ついでに、このスマホを破壊してもデータは別の場所に保存していることも告げた。これは、一種の賭けだった。後先考える知性を持ち合わせていない一号が、逆上して僕に襲い掛かってくるかもしれない。だが、その考えは徒労に終わった。一号は、あっさりと、怖気づいたのだ。僕への無関心無干渉を絶対条件にし、秘密は黙っておく約束をした。これは、あくまでも口約束だが、一号は従いざるを得ない。本当は奪われた金品の回収も行いたかったが、この辺が落としどころだ。
その後、二号・四号・五号への脅迫は、簡単であった。理由は言わなかったまでも、一号が僕から手を引いたのは、知っていたからだ。僕への暴力を止めて、はいお終いでは、僕の気が済まなかった。奴等にも怯えてもらわなければ。何よりも、女子二人には、別の目的もあった。女子に証拠を見せると、顔面蒼白になり、『何でもするから、内緒にして下さい』と、訴えてきた。それは、願ったり叶ったりであった。なにせ僕は、彼女達の行為を間近で、見ていたのだから。そして、最後に担任を強請った。彼は逮捕され職を失うのだから、口止め料は弾んでもらうことにした。止めておいた金品回収を担任に背負ってもらう。監督不行き届きというものだ。
僕を苦しめた連中への制裁が完了した。そして、僕は支配者となったのだ。
残り僅かな中学生活を満喫したい。あんなにも苦しい思いをしたのだから、これくらいのことは許されるだろう。自分の身を自分の能力で守ったに過ぎない。誰も助けてくれなかったのだから。
二学期から成績も爆発的に上がった。テストの点数は、常に上位だ。理由は簡単だ。勉強をする必要もない。担任からの内申書も申し分ないだろう。希望校への進学は、手堅いはずだ。。
秋風が吹き、冬の足音が近づいてきた今日この頃。中学三年の前半の暗黒期。その鬱憤を晴らすべく、青春を取り戻すべく、後半戦は好き放題に過ごした。全ての欲求を、欲望を、身勝手に自由気ままに解消した。この世界の支配者であり、王様であり、神様にでもなった気になっていた。振る舞いは、まさにそれだ。
この生活が、生涯続くであろう。なんて、幸せな人生なのだ。
さあ、今日は、誰と遊ぼうかな?
三階建てのレンガ造りの古びたマンションの屋上に降り立った。屋上の淵に腰を下ろして、両足をブラブラさせた。様々な飲食店が、チラホラ存在する。通りを眺めて、誰の私生活を覗こうかと、獲物を物色する。この能力を手に入れてから、人間観察が趣味になった。もちろん、普段は見ることのできない、閉ざされた空間での人間の行動が大好物だ。プライバシーが確保された、正確には確保されていると思い込んでいる人間の無防備な姿が堪らない。例えば、人気モデルのような飛び切りの美人が、誰もいない自室で鼻くそをほじっている。例えば、有名進学校に通う好青年が、特殊な性癖を解消している。例えば、会社では冴えないサラリーマンが、家庭では暴君の如く、ふんぞり返っている。法を犯している者から、モラル的に顔をしかめたくなる者など様々だ。今の僕からしてみれば、人間なんて『弱み』の宝庫だ。
「お前も! お前も! お前も!」
僕は立ち上がり、眼下を通り過ぎる人々を指さし叫び、腹を抱えて笑った。笑い過ぎて涙が出てきたから、手の甲で涙を拭った。
「ん?」
僕は、反射的に背後を振り返った。僕の背後には、このマンションより背の高いビルがあるだけだ。僕は首を傾げて、通りに視線を戻した。多くの人々が、行き交っている。
―――気のせいかな?
先ほど、一人だけ、僕の方を見ていた気がした。目が合った気さえしたのだ。偶然、僕の背後でも見ていたのかと思い、振り返ったが特別なものは、なかったはずだ。先ほどみた人物を探す。黒いパーカーを着ており、フードを頭に被っていたので、性別は判断できなかった。立ち止まって振り返り、僕を見ていた。僕は辺りをキョロキョロ探す。すると、少し離れた位置に、先ほどの人物であろう後ろ姿を発見した。偶然だろうが、気になるので、本日の獲物を確定する。真っすぐに飛んで行って、その人物の正面に回り込んだ。僕は思わず笑みを浮かべた。その人物は、恐ろしく顔立ちが整った女性であった。大学生くらいだろうか? ゆったりめの格好をしているので、スタイルはよく分からないが、これは当たりだと胸が躍った。この素敵な女性を覗けると思うと、テンションが上がる。出来ることなら、相手を支配できるほどの『弱み』があれば、最高だ。
女性は、僕の脇をするりと抜けて、人の間を器用に通り抜けていく。僕は人を交わす必要がないので、女性を見失わないように、背中を凝視してついていく。女性は軽いフットワークで、人と接触せず、素早く歩いている。その身のこなしに、なにかスポーツでもやっているのかと思った。すると、女性は、突然左に折れて、路地へと入った。人込みに嫌気がさしたのか、それとも近道なのかわからないが、僕にとっては好都合だ。路地は、人一人通れるほどの狭さで、電灯がまばらで薄暗い。この場所なら、確実に、見逃さない。僕は舌なめずりをして、彼女の尻を追いかけた。女性は、また左へと路地を曲がった。僕は慌てて、彼女の後を追う。建物の切れ端に辿り着き、左に折れた。
「はーい。捕まえた」
一瞬何が起こったのか、理解できなかった。語尾にハートマークをつけたような甘美な声色で、目前には美しい笑顔があった。僕が意識を取り戻した時には、両手の手首をしっかりと握られていた。当然、痛みは全く感じないのだが、身動きが取れないほど、力強い圧力があった。頭が混乱している。
―――どうして、僕の姿を確認することができ、どうして、僕に触れられるのか。
「へーまさかとは思ったけど、君は私と同じなんだね?」
僕の疑問が、一瞬で解決した。彼女も幽体離脱という特異な能力を持ち合わせていたのだ。この能力を持って、まだ数か月しか経っていないが、初めて出会った。
「おかしいと思ったんだよーマンションの上で爆笑しているのに、誰も君を見ていないんだもの。それで、ピーンときたね。私」
やはり彼女は、あの時僕を見ていたのだ。そして、スルスルと人の間を器用に抜けていたのは、文字通りすり抜けていたのだ。僕に能力を悟られないように、体の端だけを。さすがに、そんな細かなところまで、目視確認できる訳がない。追いかけていたのだから。
「はーせっかく出会えたのにー本当に残念だよー無念だよー」
彼女は先ほどまでの優しい笑みから、突然、目を伏せ大きく溜息をついた。
「君を殺さなくちゃいけない」
落胆した表情で、彼女は僕を見つめた。先ほどまでのキラキラしていた瞳は、瞬間的に色あせ、眠たそうであった。まるで、僕を見ているようで、見ていないような。僕の後頭部を覗き込んでいるような錯覚に陥った。
「え? え? ど、ど、どういうことですか?」
動揺が隠し切れない僕は、素直に質問した。お互い稀有な存在で、そんな二人が出会って、何故殺すという発想になるのか、まるで理解できない。
「だってー君は私と同じ能力を持った同士であると同時に、唯一の天敵でもあるんだから」
抑揚のない、相変わらずの間延びした口調で、彼女は平然と言う。
天敵とは、どういうことだ? 少し、考えて合点がいった。僕が行っている行動も決して褒められたものではない。むしろ、非難されるだろう。彼女も知られてはまずい、悪事を行っているのだろうか? 僕に向けて殺意を向けている人物に、何をやったのかなんて、恐ろしくて聞けない。でも、それなら、お互い利害が一致するのではないか。協力関係が結べないなら、今後一切互いに干渉しなければいい。そのことを彼女に伝えると、ゆっくりと顔を左右に振った。
「ダメダメ、君と私じゃあ、対等になれないもの。小さな芽でも摘んでおかなくちゃ」
彼女の言っている意味が分からない。対等になれないとは・・・。
「君、今から人を殺せる?」
とんでもないことを言う彼女に、僕は息を飲んだ。茫然と彼女を見つめることしかできない。
「私ねー沢山、沢山、人を殺しちゃったからねー」
「あ!」
思わず、声を上げてしまった。咄嗟に口元を抑えようとしたが、がっちり握られた腕はビクともしない。
この町にいるという大量殺人犯。まさか、彼女が?
「あーばれちゃったかな?」
能面のような顔で、彼女は首を捻る。
彼女は、幽体離脱の能力を利用して、警察から逃げ続けているのだ。確かに、この能力を使用すれば、警察の情報は駄々洩れだ。きっと、捜査会議やらの会場に堂々と侵入し、なんなら警察官の隣に座ったりして、情報収集をしていたに違いない。検問を張っている位置なんかも手に取るように分かるだろう。
「さーて、これはある意味、私の儀式みたいなものなんだけどねー」
言うと、彼女は、満面の笑み浮かべ、僕の鼻先に顔を寄せた。
「なにか、最後に言い残す言葉はない?」
僕は、小刻みに顔を左右に振る。咽頭に、固い物体を押し込められたように、声が出てこない。
「そうかーなにもないかー君、見かけによらず、潔いね」
違う! 違う! 違う! 違う! そうじゃない!
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!
どうして、僕ばっかり、こんな目に合わなければいけないのだ。
「さーてと、君の体はどこにあるのかな? まずは、君の家にお邪魔しよう」
僕の体は、華奢な彼女の手に引かれて、薄暗い路地裏に姿を消した。<完>
想像力で空を飛ぶ ふじゆう @fujiyuu194
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