nidosinoへのお題は『見たいのは夢じゃない・真っ赤な唇は半月よりも綺麗に・僕らはそれでも夢を見る』です。

 その女性は口元に赤い蝶の入れ墨をしていた。

 その蝶はちょうど彼女の口をぴっちりと塞ぐかのように大きくかたどられ、彼女が口を開くたびに縦に裂けて歪んだ。

 その入れ墨以外の彼女の外見についてはあまり覚えていない。目深に大きなつば付き帽をかぶっていたように記憶している。華奢で上品そうなだという印象を抱いたような気がする。おそらく細身の黒いワンピース・ドレスを身にまとっていたはずだ。

 それから、微笑み。

 そう、その女性は常に微笑んでいた。

 口元の蝶がいつも歪んでいた。

「罪は常に相対的なものです」

 彼女はそう言った。

「仮にAさんという人間がいたとしましょう。彼は数年後に人を殺します。その運命は星と星の間の魔力場に導かれており、たかだか人間社会の矯正や捕縛によって覆せるものではありません。

 このAさんの罪を未然に防ぐべく、BさんがAさんを事前に殺したとしましょう。

 さて、Bさんの殺人の罪の重さは、Aさんが将来的に起こしていただろう罪の重さと、軽重を比べられるものでしょうか?」

「……」


 あなたはいずれ人を殺す運命にあります。


 僕が答えないでいると、その女性は微笑みを崩さずに続けた。

「ここはあなたの罪状を未然に処刑するために用意された魔空間――あなたがたの言い方で言えば『夢の中』という言葉が最も近似された表現になるでしょう。

 あなたはここで、遠くない未来において犯すであろう自らの罪を裁かれ、正当な弁護を受け、くだされた判決に従い罪を贖います。

 最悪の場合は死刑――、最善の場合は禁錮30年程度で済むものかと思われます」

 そこで言葉を切り、何か質問は? とでも言いたげに女性は首を傾げた。

「……夢の中で死んだら、僕はどうなる?」

「二度と起きられなくなります。つまり、実体としての肉体から魂が剥がれ落ちる――その認識で間違いありません。

 ちなみに禁錮の場合は一定の年月だけ起きられなくなります。寝たきりのまま、刑期を勤め上げた数十年後に意識が戻るはずです。むろん、もしも肉体が残っていればの話ですが」

「僕は誰を殺すんだ?」

「状況によります。あなたは大きな爆弾を背負ったウサギのようなものです。針がちょうど12時を指したときに、近場にいる人間を巻き添えにして自爆します」

「いまがその時かもしれない」

「……」

 その女性は微笑みのままに僕を観察した。

「勘違いしないでいただきたいのですが――」

 ふいに口を開いて。蝶が歪んで。

「私がいま示したような裁きの手続きは、あなたに選ばれうるひとつの選択肢に過ぎません。

 もしもあなたがそれを望むなら、私達はあなたにそのような場を提供できるという一つの可能性です」

「……他の可能性は?」

「ひとつは、まずこのまま起床する。

 それからすぐに手近な窓から飛び降りていただきます。あなたはマンションの15階に住んでらっしゃるはずです。痛みを感じる間もなく即死できるでしょう。

 もうひとつはこのまま生き延びてしまうことです。

 あなたはいずれ人を殺します。この未来は変えられません。

 よほど運が良くない限り、その殺人はこのうえない悲劇としてあなたの人生に――また、あなたの大切な人の生涯に大きな傷跡を残すでしょう。

 取り返しのつかない過ちです。どんなに罪を償ったところで、あなたの内側から消えるものは何一つありません。指先は真っ赤に染まり続けたまま、あなたは墓石の下で眠ることでしょう

 それでも良いと仰るなら、どうぞお行きなさい」


 ……。


 そこで僕は目覚めた。

 その夜体験した一連の出来事を、所詮夢だと思うべきだろうか?

 当然ながら僕は窓から飛び降りることをしなかったし、いまのところは誰も殺めていない。

 もし仮に、夢の中であの女性の言ったことがすべて本当だったとしたら、僕はいますぐ死ぬべきだろうか? 君は僕を殺してしまいたいと思うだろうか。

 しかし少なくとも、僕はまだ誰も殺していない。

 それがすべてだ。これ以上何を望む?


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